武舞台へ
「さぁ、ここなら思う存分に戦えるぞ」
ヨハンが自慢げに案内してくれた場所は、王城の敷地内にある立派な武舞台だ。
バルディアで僕が第二騎士団の皆と立ち会った武舞台よりも規模は小さいが、観覧席を含めて城内同様の荘厳な造りとなっている。
此程の武舞台は、大陸全土を探してもそうはないだろう。
獣人族であればこの舞台上に立つことは、それだけで名誉なことなのかもしれない。
武舞台をぐるりと見渡すと、僕は力なく尋ねた。
「ヨハン。本当にやるのかい」
「勿論だとも。だから、ここに皆を案内したんだろ」
彼は僕の背後にいるアモンやダイナス達を見回すと、目を細めて微笑んだ。
「それに、ラファも私との手合わせを了承してくれたじゃないか」
「えぇ。ここ最近、あんまり身体を動かしてなかったから丁度良い運動になりそうだわ」
ヨハンに視線を向けられた彼女は、相槌を打ちながら口元を緩めている。
来賓室にいた僕達が、どうして武舞台の前にやってきたのか。
それは、ティスの『噂であれど、戦う前に僕の情報を得られることは不公平である』という指摘に、ヨハンが『私の実力をラファ相手に披露する』と言いだして聞かなかったからだ。
対戦相手として指定されたラファも、『退屈しのぎにはなりそうね』と誘いに意気揚々と乗ってしまったのである。
僕やアモンで制止もしたけど、『あら。ズベーラの王子様直々のお誘いよ。断れるわけないでしょ』と彼女はわざとらしく肩を竦め、聞く耳を持ってくれなかったのだ。
楽しければよい、という思考の持ち主であるラファらしいと言えばらしいが、問題は他にもある。
僕は振り返って、背後の最後方にいる面々を見てため息を吐いた。
「……皆様もお忙しいと思いますので、今からでもご自身の部屋に戻られては如何でしょうか」
「つまらねぇこと気にするなよ、リッド」
「うむ。我等に気を使う必要はありませんぞ」
兎人族部族長ヴェネが白い歯を見せると、彼女の背後に控える補佐役のシアが好々爺らしい笑顔を浮かべる。
次いで、ヴェネの両隣にいる猿人族部族長ジェティが目を細め、馬人族部族長アステカがにやりと口元を緩めた。
「そうよ、リッドちゃん。皆で見た方が楽しめるじゃない」
「そうだぜ、リッドさんよ。こういう時こそ、上に立つ者は度量をみせなきゃならねぇもんだぜ」
四人は楽しげに笑い始めるが、僕は力なく項垂れた。
実は此処にくる途中、僕達と会談の日程調整を行う目的で来賓室を訪れようとしていた彼等と鉢合わせしたのだ。
最初に顔を合わせたのがヴェネとシアなんだけど、ヨハンが彼等に会うなり『そうだ。ヴェネに審判をお願いしよう』と言い出したのである。
当初のヴェネとシアはきょとんとして顔を見合わせるが、僕達が事情を説明すると『そりゃ面白いな。よし、俺が公平な審判をしてやるぜ』とヴェネから満面の笑みが返ってきたのだ。
大事にしたくない僕とアモンが言葉を選んで丁重に断ろうとしたところに、ジェティが『あら、皆で内緒話かしら』と笑顔で登場。
更に、『なんだ、なんだ。型破りな風雲児のリッドさんは、年上の女が好みか』とアステカまで冷やかすようにやってきたのだ。
もうどうにでもなれと、諦め顔で状況を説明したところ、案の定彼等の瞳は興味と野次馬の色に染まった。
そして、観覧を決め込んでここまで付いてきたのである。
今までの出来事を思い返しながら小さなため息を吐くと、僕は視線をヨハンに向けた。
「ところで、この武舞台は使っても本当に大丈夫なんですか」
「うむ、問題ない。日によっては、私もここで母上と訓練しているからな」
「そう、ですか」
父上に僕が教えてもらうように、彼もセクメトスから様々なことを学んでいるんだろう。
その点だけは、親近感が湧いた気がした。
「あれ、でも……」
首を傾げて周囲を再確認するが、僕達以外はやはり誰も見当たらない。
「セクメトス殿は、ここにはいないんですね」
「母上はルヴァやギョウブ達と打ち合わせをしているからな」
ヨハンはそう答えると、上着を脱ぎ捨てて飛び上がる。
武舞台上に立った彼は、屈伸や腕を交差させて身体を解し始めた。
「さぁ、リッド。話したとおり、私の実力をラファに披露しよう。しっかり見ておいてくれ」
「わかりました」
僕が頷くと「やっと出番ねぇ」と不敵に笑いながらラファが悠然と歩いてきた。
来賓室に用意されていたお酒をほぼ飲み尽くしているにもかかわらず、彼女の表情には何も変化が見受けられない。
相変わらず、とんでもない酒豪ぶりである。
「ラファ。ちょっと耳をかして」
「あら、何かしら」
声を掛けると、彼女はその場にしゃがみ込んで頭に生えている白い狐耳をこちらに向ける。
その毛先がふいに鼻先へ触れてこそばやくなったので、僕は咳払いしてから切り出した。
「……ヨハンの実力は未知数だけど、身体能力の高さや近接戦の才能は僕以上の潜在能力を持っているかもしれない。腕試しとはいえ、気をつけて」
前世の記憶における『ときレラ』でのヨハン・ベスティアは、物理攻撃最強と言われるキャラだった。
ゲームの世界と僕が今生きている現実は相違点も多いが、ヨハンが持つ才能の片鱗はすでに何度か目にしている。
油断してはならない相手であることは、間違いないだろう。
「ふふ、わかったわ」
ラファは笑みを溢すと、こちらに振り向いて目を合わせてくる。
彼女の瞳は蠱惑的な薄紫色であり、ここまで間近で見るのは初めてだ。
何やら、少しどきりとしてしまう。
「それにしても、私のことを心配してくれるなんてね。ちょっと意外だわ」
「意外もなにも、ラファはもう僕の大切な家族の一員なんだよ。心配するのは当然でしょ」
妹のティスとアモンが婚約した以上、彼の姉であるラファは僕と遠縁である。
彼女は色々と難しい性格をしているし、以前から狐人族の暗部を任されている人物だから決して油断をすることはできないだろう。
でも、エルバやガレスのように他人を踏みつけ、痛めるようなことを嬉々として行うような悪人ではない。
「ふふ、嬉しいこと言ってくれるのね。でも、私はまたいつ敵に戻るかわからないわよ。そんなこと言ってもいいのかしらね」
「そうだね、そうかもしれない」
おどける彼女の言葉に頷くが、僕は「でも、大丈夫だよ」と続けて微笑んだ。
「とてもわかりにくいけど、ラファは心の奥に綺麗なものを持ってるからね」
「あら……」
彼女はきょとんとして目を瞬いた。
ラファは僕達と敵対していたころから、決して無為に人の命を奪うようなことはしていない。
彼女は命を狙ってくる輩は容赦無く返り討ちにしているみたいだし、暗部を任されている者として冷徹な部分もある。
しかし、電界でラファの心の奥底にある、小さいながらに綺麗で温かい光を感じたことは一回じゃない。
襲撃事件で初めてあった時から、その都度会う度に感じていた。
アモンが部族長になってからは、その温かい光が少しずつ強くなっているような気もしている。
呆気に取られてラファだが、ふいに「ふふ……」と不敵に笑って肩を竦めた。
「綺麗なもの、ねぇ。多分そんなものは、ずっと前になくした気がするわ」
彼女がそう答えた時、「ラファ様。リッドお兄様」とティスが小走りでやってきた。
「どうしたの?」
僕が尋ねると、彼女は「申し訳ありませんでした」と深く頭を下げる。
意図が分からず呆気に取られていると、ティスが顔を上げてしゅんとした。
「私の至らぬ発言でこんなことになってしまって……」
そういうことかと、合点がいった僕は破顔して頭を振った。
「そんなこと気にしなくていいよ。驚きはしたけど、ヨハンの実力が見れるまたとない機会であることは間違いないからね」
「でも、私の軽率な発言のせいでラファ様が武舞台に上がることになったんです。なんとお詫びすればよいのか」
顔が晴れないまま、ティスは俯いてしまった。
すると、ラファが目を細めて彼女の頭に手を置いて優しく撫で始める。
「私のことも気にしなくていいわよ。でも、お詫びというなら一つお願いがあるんだけど。いいかしら」
「は、はい。私に出来ることなら、なんなりとお申し付けください。ラファ様」
ティスが真面目な表情を浮かべると、ラファは口元を緩めた。
「そのラファ様はやめてくれないかしら。だって、アモンの婚約者でしょ。なら、貴女は私の義妹になるのよ」
「あ……」
指摘にハッとしたティスは、「じゃ、じゃあ……」とはにかみながら切り出した。
「ラファお姉様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「えぇ、良い響きだわ」
ラファがにこりと頷くと、「おーい。早く上がってこいよ」と武舞台上のヨハンから不満げな声が聞こえてきた。
「待たせてごめんなさいね。今行くわ」
ラファは呼びかけに答えると、ティス、シトリー、アモンを順番に見やって微笑んだ。
「じゃあ、行ってくるわ。たまには、弟妹に良いところも見せないとね」
彼女の言葉に三人はハッとすると、すぐに声を張り上げた。
「が、頑張ってください。ラファお姉様」
「ラファ姉様、頑張ってください」
「姉上、よろしくお願いします」
三人の声にラファは右手を上げて軽く答えると、武舞台に上がるべく飛び上がる。
音もなく静かにヨハンの前に降り立つと、彼女は不敵に笑った。
「坊やの力。お姉さんが見定めてあげるわ」
ラファは『ずっと前になくした』と言っていたが、アモン達を前に武舞台に立った姿を見た僕は『やっぱり、ラファは温かい光を心に持っているよ』と心の中で呟いた。




