リッドの憂鬱
「はぁ、どうしてこんなことに……」
部族長会議が終わって来賓室に皆と帰って来た僕は、備え付けられているソファーに腰を下ろすと同時に深いため息を吐いて俯いた。
僕達の議題が終わると、部族長会議は各領地の現状報告と獣王戦開催に向けた話し合いに議題は変わった。
そして、僕達が各部族長達と行う個別会談の日程を決めてお開きとなったのである。
部族長会議を振り返ればセクメトスのティスとアモンの婚約発表から始まり、各部族長達へ僕達が様々な提案を行った時点までは順調だったのだ。
だけど、獣王であるセクメトスの鶴の一声で、今後の協力関係を見据えて『獣王戦で行われる前哨戦に僕が参戦する』ことになるなんて夢にも思わなかった。
しかも、その前哨戦で立ち会う相手は、『ときレラ』で物理攻撃最強キャラと呼ばれていた『ヨハン・ベスティア』だ。
ゲームと違って僕と同い年の子供状態ではある彼だけど、狐人族領と王都で突然と襲いかかってきた時のことを思い返せば、既にその片鱗が見え隠れしている。
奇襲的だったとはいえ、ヨハンは幼いながらにカペラやティンク達を身のこなし一つで突破したのだ。その点から考えれば、身体能力や才能は文句なく一級品。
ゲーム同様、将来的には大陸に名が轟くような戦士になるだろう。
おまけに前哨戦という舞台で彼に負ければ、バルディアは今後行われるであろう貿易で不利な条件を求められる可能性が高い。
挙げ句、ヨハンが言いだした提案によって将来生まれる僕の子がズベーラに嫁ぐ可能性まで出てきた。
父上や母上は勿論、ファラもこの件を知ったらきっと怒ることだろう。
皆の表情を想像するだけで、頭が痛くなる。
「リッド様、お疲れ様でございました」
「ありがとう、ティンク」
項垂れているところに、彼女が温かい紅茶を目の前の机に置いてくれる。
気持ちを落ち着かせるべく、その紅茶を一口飲むと自ずと息が溢れ出た。
「……予定外のことも多々あったけど、とりあえず当初の予定は果たせたから良しするべきなのかな」
「あぁ、私はそう捉えるべきだと思う」
僕の発した言葉にアモンが相槌を打った。
「私とティス、シトリーとヨハン殿の婚約を発表。そして、各部族領との私達との連携についての発表は概ね好評だったからね。リッドが獣王戦に参戦することになったのは驚いたけど、もっと無理難題を言われる可能性もあったはずさ」
「それはそうだろうけどね……」
彼が言わんとしていることも理解できる。
ズベーラの獣王であるセクメトス。
彼女が帝国やバルディアに負の感情を抱いていれば、もっと無理難題を言われていた可能性は高い。
ヨハンが言いだし、セクメトスが決めた『将来的な縁談』というのも帝国やバルディア家にとっては利点がないわけじゃないからだ。
各国と関係強化を深めていきたいという考えがある帝国は、将来の獣王となった者の親族と帝国貴族が縁談が結べる機会を得られるのは大きな利点と考える者もいるだろう。
バルスト、レナルーテ、ズベーラと国境を構えるバルディアとしても二国と縁談を結んだとなれば、注視するのはバルストだけで良くなる。
勿論、縁談を結んだとしても警戒を怠ってはならないけど、相当な負担減になるのは間違いないからだ。
「まぁ、いいじゃないの」
あっけらかんと楽観的な声が室内に響く。
見やれば、ラファが片手に持ったグラスにお酒を注いでいた。
「他人の出す結果で自分の進退が決められることほど、やきもきさせられることはないわ。今回の場合、リッドが頑張ればいいだけだもの。そう考えれば、こちらにとっても良い条件だったと思うわよ」
ラファはそう言うと、お酒を飲みながら僕の横にやって来た。
「セクメトスはね。勝てる算段や利点がなければ、誰の提案であろうとも受け容れないわ」
「つまり、セクメトスは僕がヨハンに負けると考えていると言いたいのかい」
僕が聞き返すと「えぇ、その通りよ」と彼女は即座に頷いた。
「バルディアとの協力関係を築くにしても、各部族長達が色々な主張をしてまとめるのが大変でしょ。でも、獣王戦で結果を出せば話はまとまりやすくなる。万が一、ヨハンが負けたとしても交渉相手がリッドなら、そこまで無理な条件を言い出すこともない……そんな考えもあるでしょうね」
彼女は言い終えるとにやりと口元を緩め、グラスになみなみと入った酒を一気に呷っていく。
その様子を横目にしていたダイナスが咳払いをした。
「セクメトス殿は武人としても優れているのでしょうが、相当に頭も切れる様子でしたな。こちらが条件提示すれば、あちらも対等がそれ以上の条件提示を即答でしてくる。あれは中々できるものではありませんぞ」
「そうですね。あの場でこちらが引かなければ、延々と条件の打ち合いになっていたことでしょう。そうなれば、部族長達のリッド様とアモン様に対する印象が悪くなっていた可能性もあったかと存じます」
彼の言葉にカペラが相槌を打って畏まった。
今回の部族長会議に向けて僕達は事前に様々な資料を作成していたが、その内容は極秘扱いで外に漏れないよう厳重な情報管理をしている。
セクメトスを始め、部族長達はこちらの提案内容を知ったのは会議場が初めてだったことは間違いない。
しかし、彼女はこちらの提案に対して即座に反応し、必要な処理をギョウブやルヴァに指示していた。
あの頭の切れ具合は、帝国で言うならマチルダ陛下を彷彿させるものだ。
敵に回せば、間違いなく厄介な人になるだろう。
味方だとしても、油断はできないけど。
僕はため息を吐くと、「とりあえず……」と切り出した。
「向こうの言い分が無理難題ではあることは間違いないけど、バルディア家で何とか対処できる範疇に治まったと考えて前向きにやっていくしかないね」
そう告げて室内を見渡すと、皆がこくりと頷いた。
すると、酒をたしなんでいたラファが「それにしても……」と話頭を転じた。
「ヨハンが勝ったら、将来の獣王の子とリッドの子が縁組みするのよね」
「それは僕の一存じゃ決められないから、何とも言えないね」
いくらセクメトスが出した条件とはいえ、一介の帝国貴族に過ぎないバルディア家が他国との婚姻を勝手に取り決めることはできない。
しかし、ズベーラの獣王からの申し出となれば、皇帝も無下にできないだろう。
肩を竦めて頭を振ると、ラファが不敵に笑いながら僕の顔を覗き込んできた。
「リッドがヨハンに負けたら、私も将来の獣王を目指そうかしらね」
「……なんでそう言う話になるのかな」
呆れて聞き返すが、彼女は笑顔で続けた。




