セクメトスの決定
「お待ちください。前哨戦とはいえ、他国の一貴族でしかない私が獣王戦に参加するのは分を越えます。どうかご再考ください」
咄嗟に声を張り上げると、笑顔だったヨハンが耳を下げてしゅんと俯いてしまった。
「リッドは僕が相手じゃ不満なのか」
「い、いえ。決してそのような意味でありません。王子であるヨハン殿が直々に私の相手していただけるというのは光栄ですが、ズベーラで由緒正しい獣王戦という場に他国の部外者である私が出るのは場違いだと申し上げているのです」
「そんなことはないぞ、リッド殿」
セクメトスが笑みを浮かべたまま頭を振った。
「バルディア家はただの帝国貴族ではない。旧グランドーク家をアモンと共に打ち破っている。我等からすれば、獣王戦のような大舞台こそ貴殿達に相応しい舞台だよ。それと折角の機会だ、バルディア騎士団の力も見てみたい」
彼女はそう告げると、僕の背後に控えていたダイナスやカペラ達に視線を向けた。
「そちらに控えているのは、バルディア縁の者達だろう。是非、貴殿達も前哨戦に参加してくれたまえ。それもまた、リッド殿が求めた申し出を受ける条件としよう」
「な……⁉」
無茶苦茶な条件提示に驚きのあまり絶句するが、セクメトスはこちらの様子を気にする気配はない。
「リッド殿が提示した条件には『獣王が代わっても』という部分があったからな。貴殿達が前哨戦で我等が納得できる力を示してくれれば、万が一にも私以外の者が獣王になったとしても今回の交渉内容は維持される。そう考えてくれたまえ」
「し、しかし……」
僕は間を繕おうと言い淀みながら、必死に考えを巡らせる。
獣王戦の開催時期は近いであろうことは予測していたが、まさか前哨戦に参加しろ、と言われるなんて考えてもいなかった。
ズベーラで数年に一度開かれる獣王戦。この戦いを勝ち抜いた者が次期獣王となり、国政を行う国の代表となる。
聞くところによると、各部族領から部族長だけに留まらず豪族達や一般市民も集まって観戦する『祭典』でもあるそうだ。
ズベーラ国内の人々が集まる大舞台の前哨戦に立てば嫌でも注目の的になるだろうし、帝国内でまたいらぬ憶測や推測を呼びかねない。
でも、セクメトスの言うように『次期獣王』が誰になるのかわからないのも事実だ。
友好と信頼の証として僕が前哨戦に出て力を示せば、この場にいる部族長の誰が獣王となっても交渉を良い方向に進められる可能性は高いだろう。
「……リッド様、少しよろしいでしょうか」
ふいに小声で耳打ちをしてきたのはダイナスだった。
「どうしたの」
「獣人族にとって、『武』は想像以上に重要視されます。ズベーラとの今後の事を考えれば、我等を含め前哨戦に参加すべきかと」
「言わんとしていることはわかるけど、流石に目立ち過ぎちゃうでしょ」
ダイナスに返事をしたところ、「恐れながら私も参加すべきかと存じます」とカペラも小声を発した。
「確かに目立つかもしれませんが、逆に言えば我等の存在を獣人国内に知らしめる絶好の機会でもあります。前哨戦とはいえ、獣王戦の舞台に立った他国かつ異種族の話は聞いたことがありません。ズベーラにおいてリッド様の、いえ、バルディア家の存在感と立場は確固たるものとなるはず。そうなれば、クリスティ商会も動きやすくなります」
「それはそうだろうけど……」
カペラとダイナスの言う、獣王戦の舞台に立つ利点は理解できる。
僕達とアモンが協力してガレスやエルバを打ち破ったことはズベーラ国内でも周知の事実だが、各部族領の人達には半信半疑の人もいるはずだ。
狐人族領内でさえ、当初は僕達を訝しむ人達が多かった。
狭間砦の戦いの当事者ではない、ズベーラ全土の人々となれば尚更だろう。
部族長達と友好や信頼関係をこの場で築けても、各部族領で過ごす人達に僕達が受け容れてもらえるには通常であれば相当な時間がかかる。
でも、獣王戦に参戦すれば、いくらかその時間を短縮することはできるはずだ。
「リッド。前哨戦だけど、私も出るべきだと思う」
「君もか」
僕が隣に席に座るアモンに視線を向けると、彼は真剣な表情で口火を切った。
「今回の獣王戦、狐人族からは私が出場する予定なんだ。リッドは前哨戦、私は本戦という違いこそあるが、二人揃って獣王戦の場に立つ。これは、獣王がグランドーク家とバルディア家の関係性を改めて認めたことになる。父の、いや、ガレスの葬儀に続いて二回目となれば、私達の繋がりを疑う者はいなくなるはずだ」
「確かに、それもあるね」
新政グランドーク家の部族長となったアモンと、バルディア家嫡男である僕が一緒に獣王戦へ参戦することを獣王を始めとする各部族長達が認めた。
つまり、僕達の関係が国にも公認されていることをズベーラの国民にも伝える機会にもなるわけだ。
国内外の要人に伝えるという部分は、表向きアモンが喪主を務めたガレスの部族葬に父上も立ち会うことで果たされている。
だけど、ズベーラの国民に対してという点で鑑みれば、少し弱いだろう。
この世界での情報は伝聞が主だ。
新聞もあるにはあるが、大陸全土でみれば識字率は高いとは言えないし、高価だから貴族階級やある程度裕福な人達しか目を通すことはない。
そうした状況下で獣王戦における前哨戦の場に立てば、ズベーラ全土に僕達の関係性を告知できると考えれば参戦する利点は大いにあるはずだ。
獣王戦の前哨戦に参戦すれば、こちらが求める条件をセクメトスは呑むと言っている。
そして万が一、次期獣王が彼女でなかったとしても、バルディア家は『獣王戦の場に立つという約束を果たした』という大義名分ができるから交渉は強く出られるだろう。
また、大舞台でそれなりの実力を示せば、ズベーラ国内の人々から好意的に見られる可能性が高い。
一方、参戦すればその事実はすぐに各国の要人達に伝わるはずだ。
その際、必ず様々な憶測が走って、変な問題が起きるとも限らない。
帝国の両陛下は勿論、念のため義父であるレナルーテのエリアス王にも根回しをしておく必要があるだろう。
獣王戦にバルディアが参加するともなれば、ズベーラとあまり良い関係とは言えないトーガの動きも気掛かりだ。
デーヴィドは、帝国貴族とズベーラが手を結べば警戒を強めて手を出すことは控えるだろうと言っていた。
しかし、獣王戦に帝国貴族が参加するのは、刺激が強すぎるかもしれない。
最悪、トーガが帝国への攻勢を強め、ケルヴィン領の負担増に繋がる恐れもある。
思案のしどころだなぁ。
考えを巡らせて唸ったその時、「さて、そろそろ答えは出たかな」とセクメトスが問い掛けてきた。
見やれば、彼女は実に楽しそうに口元を緩めている。
「そう、ですね」
僕は相槌を打つと、少し間を置いて咳払いをした。
「わかりました」
「おぉ。本当だな、リッド」
ヨハンが嬉しそうに身を乗り出すが、僕は「ただし……」と切り出した。
「父の名代とはいえ、この一件は私の一存だけで決められることはございません。従いまして、正式な返答は少々お待ちいただきたく存じます」
こちらが提示した条件を呑んでくれるだけなら、表向きはグランドーク家と獣王での決定事項ということにできるから誤魔化しようがある。
でも、僕を含めたバルディア縁の者が獣王戦に参戦するとなれば、表沙汰になることは避けられない。
誤魔化しようも無くて逃げ道も確保できないとなれば、事前に根回しをしておくべきだろう。
眉間に皺を寄せた父上の顔が目に浮かぶなぁ。
僕の返答にセクメトスが「ふむ」と思案顔で頬杖を付く中、ホルストが「それならば……」と切り出した。
「獣王戦にバルディア家の皆様を来賓として招待するのはどうでしょうか。現状、両家両国にわだかまりがなく、友好的な関係であることを国内外に広く伝えることにもなりますよ」
「なるほど。良い考えだ」
セクメトスは名案と言わんばかりに頷くと、鋭い目を光らせて白い歯を見せた。
「それでは此度の獣王戦では、友好の証として国境を構えるバルディア家を来賓として招待する。そして、リッド殿とバルディア騎士団には前哨戦に参戦してもらうことにしよう。賛同する同志諸君は挙手をしてくれたまえ」
彼女がそう告げると、部族長達がすっと手を挙げていく。
僕は予期せぬ展開と光景を目の前に「え……」と唖然とするのであった。




