ホルスト・パドグリー
「止めないか、イリア」
優しくも棘のある重い声が響くと、彼女はハッとして「も、申し訳ありません」と会釈した。
ホルストは「良い子だ」と微笑むと、こちらに視線を戻す。
「申し訳ありません。イリアは姉のアリアと仲が良かったものですから」
「いえ、生き別れた姉が他国にいると知ったのですから、当然の反応だと思います。アリアも、イリア殿のことをとても気に掛けておりましたから」
ちなみに、この王都には第二騎士団の子達はあえて誰も連れてきていない。
各部族長達の人柄もよくわからない状況下では、何かしら問題が起きた時の対処が難しいと判断したからだ。
それに、故郷から売られた子達からすれば部族長達には様々な思いがあるはず。
突発的で無用な争いを起きることを事前に避けるためでもある。
僕はホルストに答えると、イリアに視線を向けた。
「アリアだけじゃない。エリア、シリア、サリア。イリア殿の姉妹達全員が、ずっと心配していたよ。私達のために無理をしたんじゃないかって」
「私は無理なんかしていない。あいつらが勝手にいなくなったんだ」
優しく声を掛けたつもりが、イリアは言葉とは裏腹にたじろいで後ずさり始めた。
よく見れば、顔も強ばっているし体調が悪そうだ。
「えっと、大丈夫?」
「やめろ、私に近づくな。頭が痛くなる。お前なんか、お前なんか嫌いなんだ」
「え……⁉」
心配して声をかけたつもりが、頭を抱えられて睨むように拒絶された。
イリアの言動から本当に心底嫌われたらしい。
ここまではっきりと言われたのは初めてで、ちょっと心に棘が刺さったような感覚を覚えた。
「申し訳ありません。この子は少し情緒不安定なところがありましてね。イビ、イリアを連れて先に下がれ」
「畏まりました」
ホルストの指示にイビが頷き、イリアを連れてこの場から離れていく。
ハッとすると、僕は遠ざかっていくイビの背中を見つめながら手を振った。
「イビ殿。今度、機会があったら本当に歌声を聞かせてくださいね。それから、イリア殿も。アリア達に会いたかったらいつでも狐人族領を訪れてください」
「……ありがとうございます」
イビは足を止めてこちらに会釈すると、再びイリアと共に歩き始める。
二人が離れていくと「ところで、ホルスト」とヨハンが切り出した。
「母上は部族長は皆、会議室に集まるよう言っていたぞ。リッドを見かけたにしても、どうしてこっちにきたんだ。何か用事でもあったのか」
「えぇ、会議前にリッド殿にあるお願いがありましてね」
「お願い、ですか」
ヨハンの問い掛けに頷いたホルストは、目を細めてこちらに視線を向けてくる。
何を言ってくるつもりなのか、僕は警戒しつつも素知らぬ顔で首を傾げた。
「先程のイリアの姉妹達。アリアを始めとした皆を、パドグリー家に帰していただくことはできませんか」
彼が笑顔で言い放った言葉で、場の空気が一瞬で凍てつき、ぴりついた。
状況を確認するべく周囲をそれとなく見渡せば、ヨハンはきょとんと首を傾げている。
彼の横に並び立つ王城警備の竜戦士達は、『こんなところで止めてくれよ』と言わんばかりにバツの悪そうな雰囲気を出し、横目でこちらの出方を窺っている様子だ。
アモンは表情こそ変えていないが、眉をぴくりとさせて警戒を強めている。
ラファは楽しげに目を細め、ダイナス、カペラは無表情のまま僕の背後にすっと立った。
ティンクはティスとシトリーを守るような立ち位置で畏まっている。
僕は少し間を置いて深呼吸すると、目を細めて微笑んだ。
「……申し訳ありませんがお断りします」
「そう怖い顔をしないでください。私も無理にというわけではありません」
ホルストは苦笑すると、「しかし、これだけは知っておいていただきたい」と話頭を転じた。
「アリア達がバルストに売られたのは、私の預かり知らぬところで行われたことなんです」
「預かり知らぬところ、ですか。それはどういうことでしょう」
「いやはや、これは身内の恥を晒しますがね……」
聞き返すと、彼は頬を掻きながら決まり悪そうに語り始めた。
当時、アリア達姉妹で抜きん出た実力を持っていたイリア。
彼女だけはホルストの手元に置いていたそうだが、アリア達は分家の豪族に任せていたそうだ。
しかし、その豪族がガレスとエルバの甘言に惑わされ、私利私欲を果たすためにアリア達をバルストに売ったらしい。
「……というわけでしてね。恥ずかしい話、私がこの件に気付いたのはアリア達をバルディア家が保護してから大分経った後でした」
ホルストは心底後悔したように暗い表情を浮かべているが、彼の語った内容はアリア達から聞いた話と少し違っている。
アリア達が鳥人族領にいた際、面倒を見ていたのは豪族が存在し、彼等の手によってバルストに連れて行かれたというのも事実だ。
だがその時、豪族は泣き叫ぶアリア達に向かって『これは、ホルスト様の指示だ』と笑って告げてきたと聞いている。
彼の語った様子からして、その豪族がアリア達にホルストの仕業であることを告げたことまでは把握していないのかもしれない。
「豪族は相応の処分を下しましたが、あの子達には辛い思いをさせてしまった。本当に悪いと思っているんですよ。だから機会があれば、バルディア家の方とお話したかった次第です」
「そう、ですか」
ホルストの声を聞いていると何故か疑ってはいけないような、信じたくなるような感覚に襲われる。
何より不気味なのは、心地よくて嫌悪感が湧いてこないことだ。
だんだんと意識にもやがかかっていくような、頭の中がふわふわとしてくる。
見れば、ホルストは慈愛の満ちた表情を浮かべて微笑んでいた。
その顔がだんだんと、父上や母上と重なっていく。
いや、というか、彼の言っていることが正しくて、アリア達の言っていることが間違っていたのかもしれない。
だって、父上や母上が嘘をつくはずがないからだ。
「リッド様。お気を確かに」
「……⁉」
ふいに肩に手を置かれてカペラの声が聞こえると、全身に軽く電気が流れたような痛みが走る。
次いで、頭の中にあったふわふわともやが消えて意識がはっきりしてきた。
我に返った僕は、自分が一瞬でも『ホルストの言っていることが正しい』と思ったことに愕然とする。
そして、再びホルストの顔を見ると、彼の浮かべていた慈愛に満ちた笑顔に背筋が寒くなって、何とも言えない嫌悪感に襲われた。
間違いない。
どんな方法なのかはわからないけど、ホルストは面と向かって催眠的な何かを仕掛けてきたのだ。
こいつと、腸が煮えくり返るが、彼が何かを仕掛けてきたという客観的な証拠は何もない。
僕は平静を装いながら、微笑み返した。
「どのような経緯にしろ、彼女達は貴殿の領地から追い出されて売られたという事実に大変心を痛めておりました。最近、ようやくその傷が癒えてきたようですが、本人達から領地に帰りたいという話は一度も聞いたことがありません。どうかご容赦ください」
「わかりました。では、アリア達には『当家はいつでも君達の帰りを待っている』とだけお伝えください」
「それぐらいでしたら構いませんよ。私の口から伝えておきましょう」
僕がそう答えると、ホルストはにこりと微笑んだ。
「では、私もこれで失礼しましょう。皆様、立ち話に付き合わせて申し訳ありませんでしたね。また、会議でお会いしましょう」
彼は一礼すると、踵を返してこの場から去って行く。
ホルストの背中に漂う雰囲気はガレスやエルバ、帝国貴族、レナルーテの華族達の誰とも違う。
ただただ、得体の知れない気持ち悪さが感じた。
部族長会議、やっぱり一筋縄ではいかなさそうだ。
そんなことを思いつつ、僕達一行は案内された来賓室に足を踏み入れた。
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