リッドの忠言
「リッド。バルディアとライナー殿は変わりなかったかい」
「うん。皆元気にしていたし、特に問題も起きてなかったよ」
部族長屋敷を訪問すると執務室に案内された。
そして今、僕はアモンと部屋の真ん中に備え付けられた机を挟み、ソファーに腰掛けて話し始めたところだ。
室内には僕達以外にも護衛としてカペラとカラバがいて、それぞれ壁際で控えている。
執務室の内装は質素だけど、壁紙や家具にはそれとない気品もあるし、来賓対応もできる造りだ。
僕もこの部屋で色々と事務処理をこなすことも多いし、彼とも気心が知れているから来賓室よりもこっちの方が居心地が良い。
「それで、こっちの様子はどうだった」
「とんでもなく忙しかったよ」
僕の問い掛けにアモンは肩を竦めて苦笑すると、最近における狐人族領の動きを語り始めた。
豪族の改易によって管理者不在となった領地。
それらを一旦、全て部族長直轄管理とする処理を進めつつ、人手不足を痛感していたアモンは政権運営の協力者を身分に関係なく募集したそうだ。
『第一に能力、第二に熱意。高き志は大前提。身分は問わず、狐人族領の未来を明るく照らしたいという者。我こそはという者を募集する』
旧政権時、ガレスやエルバに楯突いた結果身を隠さざるを得なくなった優秀な豪族やその家族が領内にまだいるはず、という考えから出したらしい。
エルバの持つ圧倒的な力のような他を魅了するものを、自分は持っていないという認識だったアモン。
募集してもそんなに人は来ないだろうと、彼は思っていたらしいが蓋を開けてみると領内全域から若者達が大量に集まって驚愕したそうだ。
何故、こんなに人が集まったのか、と当初のアモンは首を傾げたが、面談を始めていくうち徐々にその理由が判明する。
アモンが新たな部族長となって間もない頃は『バルディア家の助力で勝利したアモン・グランドークは、部族長の器ではない』と領民達の多くは否定的もしくは懐疑的だった。
しかし、アモンが表向き取り仕切ったガレスの葬儀にズベーラの獣王と各部族長が参列したことを皮切りに、狐人族領内の状況が少しずつ変わり始めたそうだ。
特に決定的となったのが豪族達の改易だったらしく、領民達の間でも豪族達の腐敗ぶりは囁かれていたそうだが泣き寝入り状態だった。
そこにアモンと僕が入り込んで、尽く改易したから、『これは本物だ』とアモンの評価が一転したらしい。
ある程度、狙っていた部分もあるが、実際に領民達の評価が一転したということはそれだけ旧政権の政権運営に誰もが心の中で不満を抱いていた、ということだろう。
豪族達もアモンの手腕を最初こそ疑問視していたみたいだけど、旧政権筆頭だったサンタス家が改易されて没落したことを目の当たりにしたことで評価は一転。
今は、畏怖と畏敬の念を持ってアモンに接しているらしい。
「……という具合でね。リッド達のおかげで、狐人族領全体がどんどん活気づいている。狐人族領に住む皆には、もう以前のような辛い思いはさせたくない。今後も、不正は厳しく接していこうと思っているよ」
「そっか、とりあえず一安心だね」
為政者としては舐められるよりは恐れられる方が良いから、豪族達の中でアモンや僕達の評価が一転したことは良い傾向だ。
身分を問わず優秀な人材も集まり始めているみたいだし、圧政で虐げられていた分、解放された反発で狐人族領はきっとすぐに発展していくだろう。
ただ、息巻く彼の様子を見て、一抹の不安を感じた僕は「アモンのやっていることは間違ってないと思う」と切り出した。
「でも、誰もが君のように高潔じゃない。その事は、理解しておいた方が良いと思う」
「……リッド、申し訳ない。それはどういう意味だろうか」
アモンは少し表情を曇らせ、首を捻った。
「以前、読んだ領地運営についての本でね。こういった言葉があったんだ」
僕は深呼吸すると、彼の心に残るよう丁寧に言葉を発する。
「水至って清ければ則【すなわ】ち、魚なし。人至って察【さち】なれば則ち徒【と】なし……水も清すぎれば魚が住めなくなってしまう。同様に、良かれと思って、小さな事まで咎め立てすれば人が寄りつかなくなってしまうという戒めだね」
「つまり、一部の不正は見逃せということか」
彼の声色に少し棘が出るが、僕は臆さず真っ直ぐ見返した。
「いや、不正はしっかり摘発すべきだよ。でも、何事も案配が大切ということさ。旧政権派の彼等は、改易処分が間違いなく妥当だった。だけど、今後は情状酌量の余地を残してあげないと、折角アモンの元に集まった皆が離れてしまうことに繋がりかねないと思うんだよね」
「案配と情状酌量の余地、か」
アモンが思案顔を浮かべて唸ると、僕は彼の背後に立っていたカラバに視線を向けた。
「バルバロッサや豪族達から、何か聞いてるんじゃない」
「……いえ、特にはございません」
カラバは頭を振るが、言動に少し間があったことから何か聞いているんだろう。
アモンも感じ取ったらしく、「構わない。今後のためにも教えてくれ」と尋ねた。
「し、しかし……」
「誰だって、始めから出来るわけじゃない。僕やアモンだって、間違えることはあるんだ。その時、間違っていると諫言してくれるのが本当の家臣なんじゃないかな」
優しく告げると、戸惑って躊躇していたカラバがハッとする。
「畏まりました。では、恐れながら申し上げますと、アモン様は領民を優先するあまり、豪族には手厳しいという声が派閥問わずに少し出始めているようです。しかし、そもそもは前政権の圧政が酷かった故、そこまで気になさる必要はないかと存じます」
「派閥問わずに、か。教えてくれてありがとう、カラバ」
アモンは少し驚いたみたいだけど、すぐにいつも表情に戻って苦笑した。
「どうやら、リッドの言うことが正しいみたいだな。助言をもらえなければ、厳しい取り締まりを継続していたよ。そうなれば近い将来、旧派閥の生き残りや外部の者が付け入る隙に繋がっていく。そういうことだろう」
「うん。綱紀粛正と信賞必罰は重要だけど、厳しくやりすぎれば必ず反発が生まれるからね。新体制での『改易』は鞭だったから、次は発展と案配という『飴』を与えればいい。そうすれば、豪族達は文句を言わなくなるはずだよ」
不正は基本的に厳罰にしなければ、政治腐敗が蔓延してまう。
かと言って、厳しくしすぎれば反発と不満が生まれて組織内での対立が生まれかねない。
アモンは高潔で清廉潔白な人柄だ。
でも、それ故か、知らず知らず他人にも自分と同じ考えを求めてしまうところがある。
その点が良くなれば、彼はさらに素晴らしい人になるはずだ。
それこそ、僕の妹であるティスの夫として相応しいぐらいにね。
「水も清すぎれば魚が住めない。そして、飴と鞭か……」
彼は唸るように呟くと、僕を見て肩を竦めた。
「いやはや、忠言には恐れ入った。それにしても、リッドと話していると自分がまるで年下のように感じられるよ。まさか、魔法で年齢を誤魔化しているんじゃないだろうね」
「え、あはは。やだなぁ、そんなことあるわけないじゃないか。それにほら、言ったでしょ。本で知った言葉だってさ」
彼の訝しむ眼差しを、僕は頬を掻きながら笑って誤魔化した。
「ふふ、そうだったね。あ、ところで、そのリッドが読んだ『本』なんだけど、折角だから借りたりできるかな。私も色々な書物を読んでいるけど、そんな面白い格言は聞いたことがなくてね。とても興味があるんだ」
「あ、えっと、それは……」
どうしよう。
彼に伝えた言葉は、前世の東洋古典とかそんな感じの格言集に載っていた言葉だ。
流石に、前世の古典文学ですとは言えない。
なんて答えようかと、考えを巡らせていると「あ、いやいや。無理ならいいんだ」とアモンが頭を振った。
「おそらく、帝国に伝わる帝王学的なものだろうから門外不出だろうからね。無理を言ってすまない」
「あ~……。うん、実はそうなんだよね」
これ幸いと、僕はアモンの勘違いに全力で乗っかった。
古典文学の格言集も元は帝王学の一種だろうから、多分間違ってはいないはずだ。
しかし、アモンは目を光らせて身を乗り出した。
「やはり、そうなのか。リッド、帝国の秘伝書を貸してくれとはいわない。しかし、後学のため、口伝で構わないから時間があるときにまた教えてくれないか」
「う、うん。まぁ、時間があるときなら、別にいい、かな」
本当は帝国の帝王学でもなければ、秘伝書でもないけど。
僕が口伝で格言を伝えるぐらいは、多分大丈夫だろう。
でも、アモンは僕の答えを聞くと本当に嬉しそうに笑った
「本当かい⁉ リッド、ありがとう。この恩は決して忘れないよ」
「忘れないよって。あはは、アモンは大袈裟だなぁ」
僕が苦笑していると、「リッド様、少し部屋の外までよろしいでしょうか」とカペラから耳打ちされた。
「え、うん。別にいいけど……」
なんだろう、何か緊急事態でも起きたのかな。
僕はアモンに席を外すことを伝え、一旦執務室の外に出た。
「カペラ、どうしたの」
「リッド様。恐れながら、あのような帝王学をまとめた書物の内容を口伝とはいえ、国外に出すのは如何なものかと存じます。立場次第では最悪、重罪になりかねない内容かと」
「えぇ⁉ そんな価値ある言葉じゃないでしょ。何処だって、読めるないよ……」
自分で言い掛けてハッとした。
『何処だって読める内容』
この世界の常識を冷静に考えれば、そんなことがあるわけない。
書物それ自体が高価だし、何より兵法書や帝王学が記載してある書物となれば、国家機密扱いされかねない代物だ。
アモンがどうしてあんなに目を光らせ、嬉しそうに笑ったのか。
今更ながら、合点がいった。
大陸の中でも相当な国力を持つ国の帝王学に触れる機会を得られる、為政者であれば誰もが興味を持つ話だろう。
向上心の高いアモンであれば、尚更だ。
「あぁ~……。やっちゃたなぁ」
頭を抱えてしゃがみ込むと、カペラの声が聞こえてきた。
「幸い、アモン様はバルディア家と縁の出来る方故、そこまで大きな問題にはならないと存じます。ですが、必ず外部には漏らさないようにとお伝えはしておくべきかと」
「……うん。そうするよ」
僕は小さなため息を吐くと、執務室に戻ってアモンに『口伝の件はここだけの話。絶対、外部に漏らさないで』と伝えたところ、彼は『勿論だ。何なら、リッドに教えてもらう時は人払いをして二人きりになるよ』と笑顔で意気込んでいた。
父上にも後で報告しないといけないかなぁ。
実際のところは帝国の帝王学でも何でもないが、『前世の知識を口伝する』ということにはなる。
仮に誤魔化したとしても、カペラからいずれ報告はいくだろう。
それにアモンと父上が会った時、何かの拍子でこの話題になれば辻褄が合わなくて、二人の信頼を失いかねない。
「やっぱり、正直に言うしかないよなぁ」
考えを巡らせて呟いたその時、「リッド、大丈夫かい」とアモンの声が聞こえて我に返った。
「ごめん。ちょっと考えごとをね」
「そうか。ところで、そろそろ例の件を聞きたいんだが良いだろうか」
「例の、件」
小首を傾げると、アモンが恥ずかしそうに頬を掻いた。
「いや、その、ティス殿のことだ。リッドと一緒だったから、もう到着はしていると思ってね」
「あ、その件ね」
僕は威儀を正すと、咳払いをして新たな口火を切った。




