狐人族領、再び
狐人族領の首都フォルネウに無事に到着した僕達一行は、バルディア家の駐屯地となっている屋敷に一旦移動した。
部族長屋敷に直接尋ねて行くことも出来たけど、今回はアモンとティスの初顔合わせの件もある。
長旅の疲れがある状態かつ化粧や衣装も完成されていない状況で、二人を合わせるのは適切ではないという判断だ。
アモンからも事前にこの件は了承を得ているし、狐人族側からも特に問題視はしていない。
駐屯地の屋敷ではダイナス、カペラを初め第二騎士団分隊長の子達と騎士達が揃って出迎えてくれる。
通信魔法要員である鼠人族のアリーナを通じて連絡はしていたが、被牽引車両【トレーラーハウス】から降り立ったティンクのメイド姿に、ダイナスを初めとする第一騎士団所属の騎士達は目を丸くしていた。
「本当にディアナの代わりとしてティンクが来るとはな。連絡をもらった時は驚いたぞ」
「お久しぶりです、ダイナス団長。改めてよろしくお願いします」
二人は笑顔で握手を交わすと、ダイナスは意味深な眼差しで僕をちらりと見やると「ところで……」と切り出した。
「ディアナから聞いていると思うが、型破りなリッド様の護衛兼お目付役は中々に大変だぞ。体力だけでなく、意外と心労も多い。大丈夫か」
「えぇ、全てライナー様とディアナから伺っております。ご安心下さい」
ダイナスの僕に対する言葉も中々にだけど、さも当然のように笑顔で答えるティンクも酷い気がする。
父上とディアナは、僕のことを一体なんだと考えているんだろうか。
「ちょっと、僕の傍が意外と心労も多いって、まるで問題児みたいじゃないか」
頬を膨らませて抗議すると、二人を初めこの場にいる皆がきょとんとして顔を見合わせた。
「あ、あれ……?」
周囲が変な空気になってしまい、戸惑っていると「あぁ」とダイナスが何かを察した様子で頷いた。
「ご自覚がなかったんですな。はは、リッド様は間違いなく良い意味で問題児ですぞ」
「えぇ⁉」
こんなに良い子にしているのに、なんて言われようだ。
驚きのあまりに素っ頓狂な声を発してしまうと、ダイナスが「あ、いや、これは申し訳ありません」と会釈した。
「問題児という言葉がよくありませんでしたな。確か、最近リッド様のことをよく言い表した記事がありましたね。あれはなんと言ったか……」
「風雲児、でございましょう」
「おぉ、そう、それだ。リッド様は間違いなく、勢いのあるよき風で皆を振り回す、型破りな神童にして風雲児でございますぞ」
「み、皆を振り回す型破りな神童にして風雲児……」
カペラがそれとなく告げた言葉に、ダイナスが大きく頷いて豪快に笑い出した。
それはもう、見方と呼び方が違うだけで『問題児』と大して変わらないんじゃないだろうか。
唖然としていたが、ハッとしてふと周りを見やれば、この場にいる誰もが納得顔で「うんうん」と相槌を打っていた。
どうやら、皆も似たようなことを思っていたらしい。
僕が大きなため息を吐いて頭を振ったその時、「リッド兄様……」と背後から小さくて可愛らしい声で呼びかけられる。
振り返ると、ティスとシトリーが立っていた。
「あれ、二人ともどうしたの」
問い掛けると、ティスが少し恥ずかしそうにしながらも意を決したように「あの……」と口火を切った。
「私はリッド兄様が『型破りな神童にして風雲児』って呼ばれるの、とっても嬉しいですよ。それに格好良いと思います」
「わ、私もそう思います。それに呼び名は、リッドお兄様の優れた才覚が認められている証拠ですから。もっと自信を持って良いと思います」
「え……」
ティスとシトリーから向けられる熱い眼差しは、二人の言葉に嘘偽りがないことを現している。
僕の妹達はなんて良い子達なんだと、感動のまま二人を抱きしめた。
「ありがとう、君達のことも必ず僕が守ってあげるからね」
「は、はい。でも、リッド兄様は少し大袈裟です」
ティスは少し困惑しつつも、嬉しそうにはにかんだ。
彼女からすれば、僕の言動は大袈裟に感じたかもしれない。
でも、バルディア家が将来断罪の憂き目に遭う可能性を知る僕からすれば、大袈裟でも何でもなかった。
「リッドお兄様。その、私も守ってくださるんですか」
シトリーは少し驚いたみたいだけど、どこか嬉しそうに目を瞬いた。
「勿論だよ、シトリー」
僕は即答して頷くと、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「バルディアでも言ったでしょ。君はもう僕の家族、妹なんだ。君を守るのは、兄として当然だよ」
「……⁉ は、はい。ありがとうござい、ます」
不思議と彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまう。
あれ、どうしたんだろう、と首を傾げるているとティンクが小さなため息を吐いて、耳打ちをしてきた。
「リッド様。あまりやり過ぎると、シトリー様が将来殿方に求める理想が高くなって大変なことになりますよ」
「え、そんなことないでしょ」
僕はそう答えると、シトリーを真っ直ぐに見つめる。
そして少しの間を置いてから、ティンクに耳打ちした。
「こんなに可愛い器量良しなんだから、将来は誰だって放っておかないさ。そもそも、シトリーが大きくなったとしても、僕や父上の目が黒いうちはそんじょそこらの輩とは縁談なんてさせないよ」
実際、ティスがアモンと婚約したことでシトリーは名実ともにバルディア家の親戚となっている。
良くも悪くも、将来シトリーの夫になる男性というのは、かなり精査されることになるはずだ。
一番大事なのは本人の気持ちであることは言うまでもないことだけど、この世界には身分というものが存在しているし、様々な思惑や利権も絡んでくるからそこは難しい案配になると思う。
それでも僕の妹になったシトリーの相手である以上、素晴らしい人でなければ認められないし、認められるはずがない。
バルディア家の影響力も少しずつ大きくなり始めている。
余程の影響力を持つ権力者、もしくは他国の王族とかの縁談で無い限りはある程度断ることはできるだろう。
「……畏まりました」
ティンクがやれやれと肩を竦めて姿勢を正すと、シトリーが「どうかされましたか」ときょとんとして首を傾げた。
「いやいや、何でも無いよ。気にしないで」
「は、はぁ。承知しました」
シトリーが頷いたその時、「あ、お久しぶりです。ダイナス様」とティスの声が轟いた。
「おぉ、ティスじゃないか。少しみない間に見違えたじゃないか。いや、これは失礼しました。今はティス様とお呼びせねばなりませんな」
ダイナスがハッとして畏まると、ティスは頭を振った。
「気にしないでください。今まで通りの『ティス』で良いですよ」
「そう言う訳には参りません。私はバルディア家に仕える騎士でございます。そして、ティス様はバルディア家の一員となられた。お言葉は嬉しいですが立場上、今まで通りに接しては内外に示しがつきません。どうかご容赦ください」
「そう、ですか……」
寂しそうにティスが肩を落とした。
騎士団長のダイナスはクロスとの親交も厚くて、ティスのことも生まれた頃からよく知っているそうだ。
狭間砦の戦いが起きる前は、ティスが通っている試験運用中の第二騎士団員養成所でダイナスが特別講師をしていたこともある。
そうした時、二人は気さくな様子で会話していた。
ティスが寂しそうにこうして肩を落とすのは、実はこれが初めてじゃない。
バルディア家の養女となった以上、彼女に対する周囲の接し方はどうしても変わってしまう。
頭でわかっていても、実際に面と向かって対峙するのは中々に辛いものがある。
『仕方ありません。こうなるとわかって、私が決めた道ですから』
彼女はその都度、そう言って気丈に振る舞っていた。
勿論、僕達は励ましてはいたけど、やっぱり辛いもの辛いし、寂しさはどうしてもあるだろう。
特に幼い頃から自分を知っている、それもクロスと仲の良かった身近なダイナスから言われたんだ。
落ち込むのも無理はないだろう。
励まそうと僕が声を掛けようとしたその時、ダイナスが白い歯を見せて「ですが……」と言ってにかっと笑った。
「ティス様がお心を許された御仁だけが集まる個人的な場所でしたら、ご希望があれば私はいつでも言葉を崩しましょう」
「え、あ……⁉」
ティスは一瞬首を傾げるが、すぐにハッとする。
ダイナスの言わんとしていることが理解したんだろう。
彼はさっき、立場上という言葉を使っている。
バルディア家に仕える騎士団長が、バルディア家の一員であるティスに軽口を使っては示しが付かないのは事実だ。
それに平民出身の貴族令嬢となれば、どうしても知らず知らず人の妬みを買ってしまう部分がある。
そうした状況下、ダイナスが大衆の面前でティスに軽口を使えば、結果として彼女の立場が軽く見られてしまうということだ。
「じゃ、じゃあ、後でダイナス団長を部屋に呼んでもよろしいでしょうか」
「えぇ、勿論です。余程の急務がなければ、いつでも駆けつけましょう。よろしいでしょうか、リッド様」
ダイナスはティスの問い掛けに頷くと、こちらに視線を向けた。
念のための確認、ということだろう。
「うん、勿論だよ。その時はティンクも同席したら」
「私も、ですか。しかし、リッド様の護衛とお目付役がございます故……」
ティンクは少し戸惑うが、僕は頭を振ってカペラを一瞥した。
「僕の護衛とお目付役は、カペラでも大丈夫だよ。折角だし、今日ぐらいは皆で話しても良いんじゃないかな」
「ですが……」
「ティンク様、私のことは気になさらないでください。それより、明日はアモン様とティス様の大事な顔合わせでございます。どうか、体と心を休めることを優先した方がよろしいかと存じます」
カペラが会釈すると、彼女は少し悩んでから「で、では……」と切り出した。
「お言葉に甘えまして今日だけは、ティスの傍にいてもよろしいでしょうか」
「うん、決まりだね」
僕はそう言って頷くと、「あ、そうだ」と懐から一通の封筒を取り出した。
「これ、父上からの指示書。確認しておいてね」
「畏まりました」
ダイナスが封筒を受け取ったその時、乳母車に乗せたクロードをあやしていたニーナが「あ、そうだわ」と発した。
「ダイナス様。私もマリエッタ様から手紙を預かっています。どうぞ」
「おぉ、すまんな」
彼は破顔してその手紙を受けとるが、僕は首を傾げた。
「マリエッタって、メイド長のこと」
「えぇ、そうです。団長とメイド長、文通しているそうなんですよ。だからといって、私を伝書鳩にするのはどうかと思いますけどね」
ニーナは口を尖らせてそっぽを向いて、クロードのところに戻っていった。
「確かに、それは公私混同かもね」
ちらりと横目でダイナスを見やると、彼は決まりが悪そうに後ろ頭を掻いた。
「いやぁ、申し訳ありません」
「まぁ、いいけど。ほどほどにしてよ、立場があるんだからさ」
「うぐ……」
彼は胸が何かで刺されたようように表情が固まった。
ついさっき、自分で示しが付かないどうこう言ったばかりだろうに。
ダイナスが僕のお目付役に相応しいかどうか、父上が悩んでいた理由はこういうところなのかもしれないな。
それにしても、細かいところに気が付くメイド長の小柄なマリエッタと多少大雑把な騎士団長で体格の良いダイナスが文通か。
意外とわからないもんだなぁ。
そんなことを思いつつ、僕は周囲にいる皆を見渡した。
「じゃあ、僕は一足先にアモンのところに行ってくるよ。少し話したいことがあるからね。カペラ、早々に悪いけど一緒に行ってくれるかな」
「承知しました」
彼が会釈した時、「あ、そうだ」とハッとして足を止めた。
「シトリー、君はどうする。一緒に行くかい」
「いえ、アモン兄様は今は部族長です。私も部族長の妹としてちゃんとした場と格好で会いたいです。本当はすぐにでも会いたいのですが、今日は我慢しようと思います」
毅然と凜々しく告げたシトリーの表情には、捨て駒にされた会談で怯えたいた頃の面影は全くない。
似た雰囲気を持つ人物をあげるなら、ファラや母上が近いかもしれないな。
「そっか、わかった。じゃあ、その事も伝えておくよ」
「はい。アモン兄様にはよろしくお伝えください」
ティスやシトリー達に見送られ、僕はカペラと一緒にアモンのいる部族長屋敷へと向かった。




