リッドの新たな護衛
「どうした、何をそんなに驚くことがある」
「い、いえ、お父様。その、出発するリッド様との別れが惜しくて、色々とお話をしておりました」
「ファラの言う通りです。急に扉が開いたので、驚いた次第で……」
僕達が慌てて弁明するのを横目に、キールやメル達はこちらに背中を向けて体を震わせていた。
というか、ファラがさっきしたのは『壁ドン』じゃないか。
キールめ、読書か何かで得た知識だろうけど、なんてことをファラに吹き込むんだ。
思わず、少しときめいちゃったじゃないか。
父上はこの場にいる皆を見やると、「まぁ、よかろう」と頷いた。
「しかし、いくら別れが惜しいからと言っても、人の出入りがあるこんなところですることではないぞ」
「は、はい。申し訳ありません」
僕とファラが会釈すると、母上が場の空気を改めるように咳払いをした。
「あなた、今までどちらにおられたんですか」
「すまない。ナナリーが提案してくれた例の件だ。その準備に少し手間取ってな」
「そうでしたか。それで、当人はもうこちらに来られたんですか」
「うむ。改めて、皆にも紹介しようと思ってな」
「まぁ、それは素敵ですね」
父上の答えを聞き、母上が嬉しそうに微笑んだ。
例の件、改めて皆に紹介……。
はて、なんのことだろうか。
二人のやり取りに首を傾げていると、父上の後ろから二人のメイドが畏まりながら姿を現した。
右にはディアナ、左にはニーナが四輪式の手押し車を押しながらやってくる。
なお、ニーナは、ダナエと同期でバルディア家に仕えているメイドだ。
彼女は茶色の長髪を左右で少し束ねつつ後ろ髪を残す髪型をしていて、つり目と青い瞳から気の強そうな印象を受ける女の子だ。
実際、ニーナの気は少し強いけど、面倒見がよくてメルや第二騎士団の子達からはとても好かれている。
そして左右に立つ二人の間から、一人の見慣れないメイドが頭を下げながらやってきた。
あれ、何処かで見たことがある気がするんだけど、誰だろう。
僕達が首を傾げていると、そのメイドは勢いよく顔を上げた。
「元バルディア騎士団所属の騎士にて、英雄ことクロスの妻で未亡人。リッド様の護衛兼お目付役の大任をライナー様から賜り、子連れメイドとして復帰します。よろしくね」
ティンクは自身の左手を腰に当て、ピースサインの右手を突き出しながら「ぶい」と白い歯を見せて笑った。
「え……」
呆気に取られたのは僕だけじゃない。
父上と母上を除いた此処に居る誰もが、ティンクの言動に目が点になって唖然としている。
「あ、あれ。掴みに失敗しちゃったかしら」
ティンクが決まり悪そうに頬を掻くと、ディアナがやれやれと首を横に振り、ニーナが肩を竦めた。
「さすがに『ブイ』はないかと存じます」
「そうね。せめて、ドヤ顔ぐらいで止めておくべきだったんじゃない」
「あら、二人とも手厳しいのね」
三人が和気あいあいとする中、僕は我に返って頭を振った。
「いやいや、ちょっと待って。父上、ティンクが僕の護衛兼お目付役ってどういうことですか」
ディアナが懐妊したことで、彼女が僕の護衛とお目付役の任務が外れたの間違いない。
だけど、後任は騎士団長で狐人族領にいるダイナスだという話だったはず。
こんな話は何も聞かされていなかった。
「そ、そうです。ママがそんな任務に就くなんて、私も聞いてません」
ティスが前に出て続くと、父上が咳払いをした。
「事前に伝えれば、二人に反対されるとナナリーとティンクから言われてな。今日まで、秘密にしていたんだ」
父上が母上とティンクを見やると、二人はこくりと頷いた。
「リッド、ティス。秘密にしていて、ごめんなさいね。実はディアナの後任としてティンクを推したのは私なんです」
「母上が、ですか」
僕とティスが顔を見合わせると、母上が目を細めて語ってくれた。
ディアナは懐妊後、母上の側仕えとなったけど、その際に僕の専属護衛兼お目付役の後任に不安があることを相談したらしい。
すると、母上は「それなら、名案があります」と父上の承諾を得て、すぐティンクに連絡を取ったそうだ。
母上から事情を聞いたティンクは、「大変有り難いお話ですが、そのような大任は私では務まらないでしょう」と辞退を申し出る。
でも、母上は引かず、「実は、これは内々のことなんだけど……」とティスが近いうちに狐人族領に出向くことを告げたらしい。
その際、僕の専属護衛兼お目付役として同行しつつ、母上の代理としてグランドーク家との顔合わせに参加してほしいとお願いしたそうだ。
アモンとティスの顔合わせは、僕が父上の代理で参加するからバルディア家の面子は保っている。
だけど、母上はそれだけじゃ弱いと考えたらしい。
確かに、父上代理で僕一人だけより、ティスの実母であるティンクが母上の代理として顔合わせに同席した方が相手側の受ける印象もかなり変わるだろう。
母上の申し出にティンクは驚くも、ティスとアモンの顔合わせの場に『母上の代理』として同席できるなら、相当に強い発言力や影響力を持てると、その場に同席していたディアナからも諭され、悩み抜いた末に引き受けることにしたそうだ。
「……というわけなの」
「私も最初は驚いたが、お前の目付役にダイナスでは些か不安でな。それに、お前は様々な方向から色々と狙われている立場だ。従って、ティンクのような護衛が必要と判断したわけだ」
「うぐ……」
知ってか知らずか、父上の言葉が胸に突き刺さる。
まさに今さっき、その様々な方向から色々と狙われている件でファラの誤解を招いたばかりだ。
僕は肩を落とし、ため息を吐いた。
「畏まりました。でも、恐れながらティンクの実力はいかほどものなんでしょうか」
「その件は心配無用だ」
父上は二つ返事で頷いた。
「ティンクは、バルディア騎士団に騎士として所属していたこともある実力者だ。念のため、ここ暫くは勘を取り戻す訓練も行った。抜かりはない」
「は、はぁ。そうですか」
彼女が元バルディア騎士団に所属した騎士だったことは聞いたことがあったけど、流石にその実力まではわからない。
でも、父上は情に流される人じゃないから、ティンクの実力はおそらく本物なんだろうけど。
どこか半信半疑でいると、「リッド様、ご安心ください」とディアナが切り出した。
「ティンク様は、私に様々な武器の扱いと戦い方を教えてくださった先生です。必ずや、リッド様のお力になると存じます」
「え、そうなの」
騎士団の中では、ディアナも上位に入る実力者だ。
そんな彼女の先生となれば、ティンクの実力も相当なものだろう。
僕が目をやると、彼女は照れくさそうに頬を掻いた。
「先生と言われる程のことはしていませんよ。当時のディアナが、今の旦那の横に立とうと頑張っただけです。ね」
「う……⁉ ティンク様、一言余計です」
顔を赤らめたディアナから鋭い目を向けられ、「ごめん、ごめん」とティンクは笑顔でおどけてみせる。
どうやら、二人は師弟関係にあるみたい。
「あ、でも、クロードはどうするの」
ふと問い掛けると、ティンクはにこり微笑んだ。
「ご安心ください。ライナー様とナナリー様のご配慮により、私がリッド様の護衛任務に付いている間は彼女が面倒を見てくれますので」
「ま、まぁ、ライナー様とナナリー様のご命令とあればこれも仕事よ。あ、赤ちゃんが可愛いから、志願したとかじゃないからね」
ニーナはそう言うと、照れくさそうに口を尖らせてそっぽを向いてしまう。
そうした言動が面白かったのか、乳母車の中にいるクロードから楽しそうな笑い声が響くと、「か、可愛いじゃない」とニーナは瞬く間に破顔した。
その様子を横目で見ていた父上が、咳払いをして耳目を集める。
「リッド、これは決定事項だ。後、今回の件はダイナス宛に手紙も用意している。渡しておいてくれ」
「あ、はい。畏まりました」
父上が差し出した封筒を受け取ると、僕は丁寧に懐にしまう。
それとなくティスを横目で見やれば、彼女はとても嬉しそうに頬を緩めていた。
「リッド様、そろそろ出発のお時間ですがどうされますか」
「あ、うん。すぐ行くよ」
外から聞こえてきたエレンの声に返事をすると、僕は改めてこの場にいる皆を見渡した。
「じゃあ、行ってきます」
「リッド様、お気を付けて」
ファラや皆と別れを告げた僕は、ティスやシトリー達と一緒に再び狐人族領に向けて出発した。




