リッドの弱点?
「ラファ様とは、確か以前バルディアでリーファと名乗っておられた女性。そして、リッド様のことを気に入ったと『素敵な置き手紙』を残していた方で間違いございませんか」
「そ、そうだね」
黒いオーラと凍てつく冷気を放っているが、笑顔を浮かべているファラ。
ただ、目の奥は笑っておらず、底の見えない暗黒のような闇深さがある。
彼女の発する圧に顔が引きつり、足がたじろいだ。
なお、『素敵な置き手紙』とはラファが口紅でキスマークを残していたもので、当時もファラの誤解を招いた一品だ。
「で、でも、ほら。ファラも知っての通り、彼女はアモンの姉でもあるからさ。狐人族領の運営会議とかでよく顔を合わせるだけだよ」
そう、仕事で彼女とは顔が合わせる事が多いだけで、やましいことは断じてない。
気圧されつつも丁寧に弁明すると、ファラの黒いオーラと凍てつく冷気が徐々に減っていく。
その代わり、彼女は頬を膨らませた。
「本当ですね。では、何処の誰であろうがうつつを抜かさないと、私とナナリー様に約束できますか」
「え……」
横目でちらりと一瞥すると、母上はにこりと微笑んだ。
しかし、その笑顔は今までに感じたことのないような凄みと圧がある。
次いで、「リッド」と母上に呼ばれて目があった瞬間、全身に悪寒が走って背筋に戦慄を覚えた。
「貴方は自分が考えているより、様々な人に色々と狙われる立場です。ファラが心配する気持ちもわかりますね」
「は、はい」
遠回しな言い方だけど、母上の言っていることも、ファラの心配も理解できる。
バルディアの技術を狙って僕に近づいてくる人は、男女問わず多い。
無理矢理にでも縁を作ろうと、僕が乗る木炭車や馬車の前に飛び出してくる『当たり屋』なんてのもいたぐらいだ。
勿論、そういう輩はバルディア領出禁になっている。
あと、狐人族領から戻ってきて父上から聞いた話では、未だに帝国内の貴族から僕宛に新しい縁談の申し込みが届くそうだ。
中には、直接訪ねてきた人もいるらしい。
僕がバルディア領不在の間、ファラはそうした様子をよく見聞きしていただろうから、ちょっと不安になってしまったのかもしれない。
「では、約束できますね」
母上の問い掛けに、「勿論です」と僕は即答した。
ここは皆の誤解を解き、夫として、男の子として甲斐性をみせるべきだ。
僕は意気込むと、ファラの手を両手で取ると、彼女目を間近で真っ直ぐ見つめた。
「誓うよ、ファラ。僕が見つめるのは、生涯君一人だけだよ」
「ふぇ⁉」
頬を膨らませていたファラは目を丸くして、顔が耳まで真っ赤になった。
「あらあら、熱々ね」
母上が笑みを溢すと、周囲からも生暖かい眼差しが向けられた。
僕だって気恥ずかしいけど、ファラや母上の不安を払拭できるなら、いくらでも愛の言葉を叫んでみせる。
ごめん、流石に叫ぶのは羞恥心が耐えられないかもしれない。
ファラにだけ囁く程度なら、できるかな。
言っておいて今更なんだけど、だんだんと僕も顔が火照ってきた気がする。
「大丈夫ですよ、ファラ様」
甘酸っぱい空気の中で声を張り上げたのは、ティスだ。
彼女も普段と違う帝国様式の正装ドレスを着ている。
ドレスの装飾は天真爛漫なメルと、お淑やかなシトリーとの間を取ったような印象を受けるものだ。
いや、どちらかといえば活発なメル寄りという感じだろうか。
皆の注目を浴びたティスは、自身の胸に手を当ててドヤ顔を浮かべた。
「アモン様との顔合わせで、ラファ様にもお会いすることになるかと存じます。その際、私がちゃんと『リッドお兄様には、ファラ様という生涯愛し合うと誓った人がいます』と関係各所に申し伝えて参ります」
彼女がそう告げると、「あ、それは良い考えだね」とメルが相槌を打った。
「兄様って意外と押しに弱いから、ティスが代わりに毅然と言うのは大切かも」
「お、押しに弱いって。僕はちゃんと全部断ってるよ」
ため息を吐きながら呆れ顔を浮かべると、「甘いですよ。お兄様」とシトリーが険しい顔で詰め寄ってきた。
「ラファ姉様は、リッド様と違って悪い意味で常識が通じません。だから、マルバス兄様や豪族達が莫連女とか刹那的快楽主義者と陰口を叩いていたんです。そんなラファ姉様に本気で迫られたら、リッド兄様は断れますか」
「ほ、本気って……」
今までラファから茶化すように迫られたことはあるけど、言われてみれば本気で迫られたことはないような気がする。
もしも、妖艶な彼女が本気で異性を落とそうと迫るとすれば、どんな言動をするんだろうか。
脳裏にそんな疑問が横切ったその時、シトリーが目を光らせた。
「あ、リッド兄様。いま、ラファ姉様のことを考えていましたね」
「え⁉ いやいや、そんなことないよ」
慌てて頭を振ると、僕はファラを見やった。
「何度も言うけど、僕は誰であろうとすぐに断るよ。それに、迫られるならファラが良いに決まっているからね」
「わ、私がリッド様に迫る、ですか」
ファラは再び耳まで顔を赤らめるが、皆は何やらざわついた。
「兄様って、そういうのが好きなんだ」
「リッド兄様に迫る、ファラ様か。ちょっと、見てみたいかも」
「やっぱり、リッドお兄様は押しに弱いです」
メル、ティス、シトリーが立て続けに呟いた。
「いや、今の言葉のあやというか。その、好きな女の子に言い寄られてうれしくない男の子はいないんじゃないかな。あはは……」
更なる墓穴を掘った気がして、僕は顔の火照りを感じながら笑って誤魔化そうと頬を掻いた。
すると、今まで黙っていたキールが思案顔を浮かべて「そうか、それなら……」と呟いてファラに何かを耳打ちする。
「え、そんなことするんですか」
「大丈夫。これをすれば、迫られるのに弱いリッドはイチコロさ」
何やらしたり顔のキールに、『誰が迫られるのに弱くて、イチコロだ』と言い返そうとするが、その前に意気込んだファラが僕の目の前に迫ってきた。
「ど、どうしたの」
真剣な彼女の凄みと圧に押されるまま、僕は後退る。
程なく、玄関の扉に背中がくっついて逃げ場がなくなってしまった。
その瞬間、ファラが僕の頬を掠めるように右腕で扉を叩きながら、真っ直ぐに瞳を見つめてくる。
「リッド様、お慕いしております」
「え、う、うん」
どきりと胸が高鳴り、顔が一瞬で熱くなった。
こんな間近でファラに見つめられたのは、初めてかもしれない。
彼女の綺麗な朱色の瞳が煌めき、まるで時間が止まったような感覚さえ覚えた。
「お前達、一体何をやっているんだ」
「きゃぁああああ⁉]
「うわぁああああ⁉」
背にしていた玄関の扉が急に開き、僕とファラは驚きのあまり勢い余って飛び退いてしまう。
慌てて振り向けば、呆れ顔で首を捻る父上が立っていた。




