リッドとシトリー
「リッド様、どうかお気を付けて」
「うん、ありがとう。ファラも何かあればすぐに連絡してね」
そう言って軽く抱きしめると彼女は耳をぴくりと動かして、「はい」と嬉しそうに頷いた。
今、僕達が居る場所は新屋敷の玄関だ。
外には出発前の準備で多くの木炭車、馬車、荷台と沢山の人で溢れかえっていた。
父上への報告、溜まっていた事務処理の片付け、狐人族の豪族子息令嬢達と幹部候補生の研修。
バルディアでの日程を全て終えた僕は、狐人族領に向けて今日再び出発する。
旧グランドーク家派とも言うべき狐人族の豪族達は、『狐人族再建五ヵ年計画』の予算横領の件でほとんどが『改易処分』を下されて力を急速に失った。
彼等が治めていた領地は新グランドーク家預かりにして、アモン達と僕達で管理している。
狐人族領を根本から改善するため汚職と政治腐敗にまみれた豪族達を処分した分、今頃狐人族領ではアモンとカペラが事務処理に追われているはずだ。
何せ、改易した豪族達が運営していた領地を新政権で全て直轄管理に切り替えたわけだから、当然その分の業務は爆増。
おまけに、処分した豪族達がばれないと高を括って自領で色々と行っていた違法行為の確認も日々行われている。
新体制のグランドーク家は、まさに産みの苦しみともいうべき激務の真っ只中なのだ。
ファラが気恥ずかしそうに僕の胸から離れると、正装で車椅子に乗った母上がこちらを見つめながら微笑んでいた。
「リッド。ティスとシトリーのことも、よろしくお願いしますね」
「はい、勿論です」
僕は即答すると、少し離れた場所でメルやキールと談笑している二人に目をやった。
彼女達の足下には、子猫姿のクッキーとビスケットもいる。
ティスはバルディア家の養女なって間もなく、アモンとの婚約が決定。
僕の狐人族領派遣に伴い、二人の顔合わせも行われる。
今回の婚約は、僕の義妹となったティスをアモンの下に嫁がせるというよりは、バルディア家の養女となったティスにアモンを婿入りさせた。
と言った方が、力関係的には正しい。
バルディア家の力を借りて、狐人族領で新たな部族長となったアモン。
でも、彼はバルディア家の助力を得る際、『バルディア家に従属する』という密約を僕達と結んでいる。
この取り決めをバルディア家で知るのは、僕と父上を含めて極限られた者だけ。
帝国頂点に君臨する両陛下には経緯と共に父上が報告しているけど、領外の帝国内で知る者はその二人ぐらいだろう。
アモンの妹であるシトリーも、顔合わせに同席するために帰郷する。
その後、見聞を広げるため、改めてバルディアに長期留学することが領内外へ公式発表される予定だ。
シトリーは部族長の血を引く女の子だから、新政権が発足して間もない頃、部族長の座を簒奪しようと企む旧政権派の豪族達に狙われる可能性があった。
実際、サンタス家のガリエルや他の豪族達が彼女を妻に迎えようと画策していた節がある。
旧政権派の豪族達には改易処分を下されたが、新政権がもっと盤石になるまではシトリーはバルディア領で過ごすのが良いという判断だ。
厳しい言い方をすれば、アモンに対する『人質』という側面もある。
ただ、シトリーはバルディアのことを凄く気に入ってくれているし、母上のことは本当の母のように慕ってくれているから端から見た感じでは『人質』という印象は受けないだろう。
「あれ……」
談笑するメル達を見つめながら、ふと気が付いた。
「そういえば、父上が姿がありませんね」
「あら、言われてみればそうね」
こういう時は、いつも見送ってくれるんだけどな。
母上と一緒に周囲を見渡していると、メル達がこちらにやってきた。
「兄様、母上。どうかしたの」
「いや、父上の姿が見当たらないと思ってね。メルは見たかな」
「父上なら用事があるって、さっき外に出て行ったよ」
「あ、そうなんだ」
用事、か。
僕がこうして出かける時って、父上は必ず毎回見送ってくれるんだよね。
何か問題でも発生したのかな。
首を傾げていると、メルの後ろからやってきたシトリーが「あの、リッドお兄様」と気恥ずかしそうに呟いた。
「うん、どうしたの」
「その、この衣装はどうでしょうか」
シトリーはそう言って、自身が着ている服に目を落とした。
彼女が着ているのは、メルや母上と同じ帝国様式の正装ドレスだ。
でも、天真爛漫なメルが着ているドレスよりもフリルが少なくて、落ち着いたお淑やかな印象を受けた。
改めて彼女をよく見れば、以前よりも顔色や体全体の血色が良くなって、黒髪や白い肌にも艶や張りがある。
バルディアに来たばかりの彼女は、少し頬がこけて痩せていた。
狐人族領で良い待遇を受けていなかったと聞いたから、当時は栄養失調気味だったのかもしれない。
バルディアに来てからのシトリーは栄養ある食事も取れているし、狐人族領で過ごしていた時より良い環境で生活を送っていることは間違いない。
きっと、今の姿が彼女本来の健康な姿なんだろう。
「うん、とてもよく似合ってるよ」
「ほ、本当ですか。ありがとうございます」
シトリーは嬉しそうにはにかんだ。
それにしても、彼女は目元を始めとして誰かに似ている気がするんだよなぁ。
まじまじと見ていると、シトリーが「お兄様、どうかされましたか」と小首を傾げた。
その時、とある人物が脳裏に浮かんでハッとする。
「あ、そうか。シトリーはあれだ。ラファによく似ているんだね」
「ラファ姉様に、ですか」
考えてみれば二人は姉妹だから、似ていて当然かもしれない。
でも、彼女はあまり嬉しくなかったらしく、「むぅ~……」と頬を徐々に膨らませていく。
「お兄様。失礼ながら、私はラファ姉様のような莫連女【ばくれんおんな】ではありませんし、そうなるつもりもございません」
シトリーはそう告げると、口を尖らせてそっぽを向いてしまう。
同時に彼女の発した『莫連女』という言葉に、玄関前に居た皆からざわめきが起きた。
確か、莫連女って素行や振る舞いに品がなく、ずる賢い女性を指す蔑称だった気がする。
何にしても、おいそれと実姉に使って良い言葉ではないだろう。
「し、シトリー。どこで覚えたんだい、そんな言葉」
「……ラファ姉様に振り回された豪族達やマルバス兄様が、よく裏で吐き捨てておりました。気になって調べたこともありますから、意味もちゃんと理解しております」
彼女は僕の問い掛けにそう答えると、鼻を鳴らして再びそっぽを向いてしまった。
ラファに煮え湯を飲まされたからといって、マルバスも豪族達も子供の前でなんて乱暴な言葉を使っているんだ。
これは、シトリーのラファ対する心象が著しく低いということでもあるし、もしくは何かしらの誤解がある気がしてならない。
そうでなければ、姉妹の間に相当な確執があるかだ。
というか、シトリーってもっと内気な性格だった気がするんだけどな。
バルディアで元気と自信を取り戻し、本来持っていた負けん気の強い部分が表に出てきたのかもしれない。
呆れと困惑が混在していたその時、「似ている、だなんて。よくお相手の顔を見ておられるんですね」と背後から冷たい視線を感じ、背筋に悪寒が走る。
振り向けば、ファラが目を細めて微笑み、黒いオーラと冷気を発していた。




