リッドの小休止
「さて、リッド様。手加減はしませんよ」
「勿論。むしろ、手を抜いたら怒るからね。ルーベンス」
今、僕は新屋敷の野外訓練場で木刀を持ち、木剣を持つルーベンスと向き合っていた。
バルディアに帰郷してから数日が経過し、父上達との打ち合わせや狐人族領から連れてきた子達の研修も一通り終わっている。
だけどこの数日間、僕は体をほとんど動かせていない。
そこで、久しぶりに会ったルーベンスに手合わせを申し込み、現在に至っているというわけだ。
「リッド様、頑張ってください」
「兄様、今日こそ勝ってね」
「うん、応援ありがとう」
可愛い声のするほうに振り向いて手を振れば、ファラとメルが嬉しそうに微笑んだ。
二人の傍にはキールと護衛のネルスを始め、ティス、シトリー、ダナエ、カペラの姿もある。
皆、ルーベンスと僕の手合わせに興味津々という感じだ。
木刀を正眼に構え、彼と対峙しながら僕はこれまでのことを思い返していく。
ディアナは父上に懐妊を報告した翌日から、僕の専属護衛の任から外れて母上の側仕えとなっているから此処にはいない。
異動の理由は伝えられ際、母上は「まぁ、それは素晴らしいことだわ」と凄く喜んでくれた。
ただ、ルーベンスとの馴れ初めから懐妊発覚までに至る経緯を母上に色々と尋ねられ、ディアナは「い、今までのことを全部ですか」とちょっとたじろいでいたけど。
バルディア帰郷当時、ルーベンスは騎士団を率いて領内巡回中で不在だった。
父上に許可をもらい、僕は第二騎士団航空隊所属のシリアを通じて『ディアナのことで至急の用件あり。第二騎士団宿舎に急ぎ戻るように』と連絡を取った。
「リッド様、ディアナの件で至急の用件ってなんですか」
ルーベンスは何事かと血相を変え、巡回を騎士達に任せてすぐに宿舎の執務室にやってきた。
でも、僕の傍で普段通りに事務仕事を手伝っているディアナを見て、「あ、あれ……」と目が点になる。
邪魔が入らないように来賓室で彼等を二人っきりにしたところ、暫くしてルーベンスの歓喜の雄叫びが宿舎全体に轟いた。
なんか、前にもレナルーテで同じことがあったなぁ。
当然、何事かと宿舎にいた皆が来賓室に集まってしまう。
各分隊長の子達はダイナスと狐人族領に残してきたから、集まったのは宿舎にいた副隊長や一般騎士の子達に加え、僕やファラも駆けつけた。
「ルーベンス。喜んでくれたのは嬉しいけど、そんな大声を出さなくても良いでしょ」
「ご、ごめん。でも、ディアナのお腹に俺の子がいるんだと思ったら、つい……」
予想外の大騒ぎになってしまい、ディアナは顔を真っ赤にして怒っていたけど、ルーベンスは顔を綻ばせて頬を掻いていた。
騒ぎを落ち着かせるため、ディアナの口から懐妊の事実がその場にいる皆に告げられる。
事情を知った皆から祝福され、二人は嬉しそうにはにかんでいた。
和やかな雰囲気に辺りが包まれている中、「あのぉ、リッド様。ちょっとお二人のことでよろしいですか」と馬人族で白い髪をしたマリスが手を上げた。
彼女はおおらかで天然なところはあるけど、第二騎士団陸上隊第二分隊所属副隊長を任されている子だ。
ちなみに、彼女のことで何かあると第二分隊の隊長である馬人族のゲディングが漆黒の髪を靡かせ、とんでもない勢いでやってくる。
騎士団内ではマリスのいるところ、ゲディングの影が何処ぞにある、と言われているほどだ。
今回、ゲディングを狐人族領に連れていった際には、彼はバルディア領に残る面々に「くれぐれも、マリスが悪い奴に唆されないよう注意してみてくれ。何なら、一日中見ていてくれていい」と真顔で切実にお願いして回ったらしく、第二騎士団内でちょっと引かれていた。
「どうしたの」
僕が聞き返すと、彼女は首を捻りながらディアナとルーベンスを見やった。
「ディアナ姐様がルーベンス様の子を授かったのは分かったんですが、そもそも『子』ってどうすればできるんでしょうか」
「え……」
マリスの発した疑問に僕は呆気に取られ、この場にいた大人達は微妙にバツの悪い顔を浮かべ始める。
騎士団の子達はマリスと同じ疑問を抱いたらしい子、苦笑する子、大人同様にバツの悪い顔を浮かべる子、何も表情が変わらない子と様々な反応を示した。
「えっと、そうですね。そう、綺麗な白い鳥が運んで来てくれたんですよ、マリス」
皆から向けられる好奇の眼差しにいたたまれなくなったのか、ディアナが咳払いをして諭す。
でも、マリスは頬を膨らませて首を横に振った。
「むぅ。そんな話があるわけないことぐらい、私もわかりますよぉ。ねぇ、ベル。貴女も気になるでしょ」
『ベル』と愛称で呼ばれのは、第二騎士団陸上隊第三分隊の副隊長を務める牛人族で細い目の青い瞳をしたベルカランだ。
彼女はとても穏やかな性格をしており、髪は赤毛。
頭には二本の小さい角と横耳が生えている子で、第二騎士団所属する女の子の中では一番長身かつ身体的な成長が早い。
ベルは、同じ分隊に所属する分隊長のトルーバと、とても仲が良いことも第二騎士団内では有名だ。
何でも彼女に手を出そうとした者には、音も無く凄みのある笑顔を浮かべたトルーバが背後から現れるという噂がある。
そして、牛人族特有の怪力を発揮したトルーバの右手が肩におかれ、『駄目だよ』と耳元で優しく囁かれて生きた心地がしないとか。
僕も彼から面と向かって、『ベルに手を出さないでくださいね』と言われたことがある。
『手を出すわけないでしょ』と即答したけど、そうした言動から察するに、噂は多分事実なのだろう。
「そうですねぇ。でも、私達がもっと大きくなっていけば、おのず知ることになると思いますよぉ。だから、楽しみは先に取っておくことでいいんじゃないですかぁ」
ベルは笑顔で返すが、マリスは頬を膨らませたままだ。
「その顔。ベルは知っているんでしょ。ディアナ姐様、教えてよぉ」
「マリス、彼女の言った通りです。物事を知るには、適切な時期というものがあります。その時が来れば、自ずと知ることになるでしょう」
ディアナが再び諭すが、マリスはまだ引かない。
「もう。子供扱いしないでくださいよぉ」
「子供扱いも何も、貴女はまだ子供でしょう」
やれやれとディアナが呆れ顔を浮かべたその時、「マリス、もうその辺で止めましょう」と黒髪で頭に丸めの耳が生え、大きく少し目尻の下がった目と茶色い瞳をした可愛らしい顔付きをした長身の男の子が二人の間に入った。
彼の名は、熊人族のアレッド。
第二騎士団陸上隊第一分隊所属の副隊長だ。
実力も然る事ながら、長身にすらっとした体と可愛らしい顔付きは、まるでぬいぐるみのような可愛さがある。
それでいて、誰に対しても優しく丁寧に接し、高く透き通った綺麗な声の持ち主だ。
熊人族だから力はあるんだけど、止むを得ない場合以外は力による解決は望まないという絵に描いたような美少年である。
そのせいか、メイド達や一般市民を始めとする女性達にやたら人気が高い。
帝都に連れて行った時には、貴族のご婦人や令嬢達から『彼からバルディアの話を色々と聞いてみたいから、お茶会に招待したい』という手紙が山のように届いたほどだ。
「僕達はまだ子供です。いずれ知る機会が訪れる、ということですから今はまだ知らなくて良いことなんですよ」
「……アレッドまでそう言うなら、わかった」
マリスはようやく諦めたらしく肩を落とすが、何かを閃いたらしくハッとして僕に振り向いた。
「姫姐様とご結婚されているから、リッド様は既にご存じなんですよね」
「え……」
彼女の一言で、この場の視線が僕に集まった。
いやいや、こんな気まずい質問に第二騎士団の皆と同年代の僕が答えられる訳がない。
でも、マリスは何かしら納得のできる答えが聞けるまで引かないだろう。
どうしたものか。
考えを巡らせた時、似たような質問をメルにされた時のことを思い出した僕は、「そうだね……」と切り出した。




