リッド、狐人族領の報告5
『リッド様。そのように素っ頓狂な声を上げるほどのことでしょうか』
ディアナからジト目で冷たい視線を向けられ、僕は我に返って『あ、ごめん』と頭を振った。
『あまり急な報告だったから、ついね。で、でも、そうか。だからここ最近、体調が優れなかったんだね』
振り返ってみれば狐人族領に来る途中、彼女が普段は酔わない移動で具合を悪くしたり、食事の好みが少し変わったりと、思い当たる節が色々と思い浮かんでくる。
僕は咳払いをして、威儀を正すとディアナの横に立った。
『懐妊おめでとう。気づけてあげれずごめんね』
『とんでもないことでございます。こちらこそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません』
『いやいや、迷惑なんて言っちゃダメだよ。子供は未来を創る宝なんだからさ』
『ありがとうございます、リッド様』
彼女がはにかんで会釈した時、ふと脳裏にある疑問が過った。
『あれ、でも、カペラの初診で確認していたんじゃないの』
彼が行った最初の言動を考えれば、懐妊したことは察していたはずだ。
どうして、わざわざ女医を必要としたんだろう。
『はい、リッド様の仰る通りです。しかし、私の場合、診察と言ってもここ最近の様子、変化、症状などから判断するしかありませんでした。確実な診断には触診も必要でしたので』
『あ、なるほど』
妊娠検査薬なる物はこの世界にはまだ存在しない。
では、どうやって診断するのかというと、バルディアで読んだ本によれば、女性に様々な症状の聞き取りと触診を行って確認するそうだ。
流石に正規の医者でもないカペラがディアナを触診するわけにはいかず、かといって安易に懐妊と診断するわけにもいかない。
だから、女医を呼んでほしいという話になった訳か。
ラファを横目で見ると、彼女は僕の視線に気付いたらしい。
不敵に目を細め、『それにしても……』と切り出しながらこちらにやって来るなり、ディアナを見やった。
『ルーベンスだったかしら。貴女も彼も奥手に見えたのに、やることやっていたのねぇ。驚きだわ』
『な……⁉』
ディアナが耳まで真っ赤にして目を見開いた。
なんてことを言い出すんだと、僕は慌てて止めようとするが、『いいえ、ラファ様』とリーリエがすかさず会話に入り込んだ。
『奥手な男って、意外と一定の線を越えた瞬間、それまで堪えていたものが爆発して一気に行く場合がありますよ』
『あぁ、それもあり得るわね』
ラファは合点がいった様子で頷いた。
『な、なな、なんで……なんで、ルーベンスの事を貴女達が知っているんですか⁉』
真っ赤な顔でディアナが声を問い掛けると、ラファは悪戯っ子のように口元を緩める。
『以前、バルディアに行った時、貴女とルーベンスのやり取りを遠目でよく見ていたのよ。もう初々しくて、初々しくて。見ているこっちがやきもきさせられたものねぇ』
『うんうん』
『ラファ様の仰る通りです』
リーリエが何度も相槌を打ち、ピアニーが淡々と頷いた。
『あ、悪趣味です。貴方達、悪趣味にも程があります』
ディアナは声を荒らげるが、彼女達は気にする様子もない。
ラファの言う『バルディアに行った時』とは、襲撃事件前後のことを指しているのだろう。
当時、彼女達はエルバの指示でバルディアを偵察していたらしいから、バルディア家とその周辺、関係者は洗いざらい調査したはず。
その時、ディアナとルーベンスが恋仲であったことは突き止めたのだろう。
『ち・な・み・に……』
『な、なんですか』
ラファが含みのある言い方で顔を寄せると、ディアナが珍しくたじろいだ。
『彼から情報を聞き出そうと、私自ら変装して色仕掛けを試みたこともあるのよ』
『はぁ⁉』
ディアナの怒号が部屋に響き渡るが、ラファは意に介さず、つまらなさそうに肩を竦めて首を横に振った。
『でも、彼ねぇ。俺には心に決めた恋人がいますからって、にべもなかったの。ちょっと、傷ついたのよねぇ。ああいう子は、離しちゃダメよ』
『あ、貴女という人は……⁉』
ディアナがわなわなと怒りに震える中、僕は咄嗟に二人の間に入り込んで『はい。もうお終い』と叫んだ。
『ラファ。これ以上、揶揄うのは許さないよ』
『あら、残念ねぇ』
彼女があっけからんと頷くと、僕はディアナに目をやった。
『君も怒りすぎたらお腹の子に障るでしょ。この件は、後で僕から改めて注意しておくからさ』
『は、はい。畏まりました』
二人を落ち着かせた後、僕はこの場にいた皆と今後のことについて協議した。
そして、ディアナが懐妊したことは本人の希望もあって、この場にいた面々のみの秘密とすることが決定。
狐人族領内にいる間、ディアナの仕事は事務処理関係のみにし、僕の護衛任務はカペラ中心に行うことなった。
ただ、ディアナとラファは性格的に相性最悪らしく、定期的な体調確認で顔を合わせる度にぶつかり合っていたのである。
『お腹に子がいる女性はね。精神的に不安定になることもあるのよ。だから、感情を表に出して話をできる相手も時には必要なの』
揶揄うことを止めるよう注意もしたけど、ラファはそう言って微笑んでいた。
ディアナもその意図は薄々気付いていたらしく、本気で彼女を拒絶する意志はなかったみたい。
まぁ、ラファが揶揄い、ディアナが怒るという構図だけは変わらなかったけど。
「……という感じだったんです」
「な、なるほどな」
父上が横目でディアナを見やると、彼女は視線を感じたらしくジト目を返してきた。
「ライナー様、どうかされましたか。私が子を宿したことが、そんなに驚きでしょうか」
「いやいや、そんなことはないぞ。ただ、子ができるのはもう少し先の話になるかと思っていただけだ」
父上は繕うように頭を振ると、咳払いをして場の空気を改めた。
「何にしても、めでたい話じゃないか。そういう事なら、ディアナは専属護衛の任を解き、必要に応じて休職することを認めよう。どうする、すぐにでも休職するか」
「いえ。体はまだ動かせますから、当分は屋敷内の仕事をさせていただければと考えております」
ディアナが会釈すると、父上は「そうか……」と考え込むように頷いた。
「ならば、ナナリーに話を通しておこう。ディアナの懐妊を知れば喜ぶだろうし、今後について、私よりも色々と相談に乗ってくれるはずだ」
「畏まりました。ご配慮いただきありがとうございます」
父上は「うむ」と頷き顔を綻ばすが、「しかし……」とすぐに険しい表情を浮かべた。
「ディアナを専属護衛の任から解いた場合、リッドの『目付役』をどうするかが問題だな」
「はい。その点は、私も憂慮しております」
二人は息を合わせたように、揃って不安そうな視線をこちらへ向けてきた。
「え?」
一瞬、呆気に取られたけど、すぐに『また、型破りなことをしでかす』と思われていると察した。
二人とも失礼だなぁ。
狐人族領ではアモンを前面に出して、僕は可能な限り黒衣に徹しているというのに。




