眠るリッド
久しぶりに家族皆で囲んだ夕食の席は様々な話題が飛び交い、とても賑やかで楽しかった。
狐人族領の質問をメル、ティス、キールを中心に沢山もらったけど、全て教えるわけにもいかない。
多少誤魔化しながら、差し支えない範囲で答えたつもりだ。
時折、父上の顔も窺っていた感じ、問題はなさそうだった。
話題の中で特に驚いたのは、僕が不在の間にキールが新屋敷に併設されている図書館の本を全て読み終えていたこと。
そして、帝都から次々とキール宛に『様々な写本』が届き、図書館の本貯蔵量が大幅に増加していたことだ。
サンドラ、エレン、アレックスを始め、バルディアの研究開発分野を担当する人達はこの件に大喜びしているらしい。
特にサンドラの喜びようは凄まじく、『帝都でしか読めないと思っていた本や資料がバルディアで読めるようになるなんて夢にも思っていませんでした。これはバルディアの発展速度が更に進みますよ』と目を輝かせていたそうだ。
普通に考えれば帝都で保管してある『本や資料』の『写本』なんて、一般的に手に入るものじゃないし、帝城で読むだけもかなりの手続きを必要とするはず。
それがバルディアの図書館であれば、ある程度の身分検査だけで好きなだけ読める。
知識欲のある者にとっては、此程嬉しいことはないだろう。
しかし、こんなことは第二皇子であるキールの発言と影響力がなければ絶対にあり得なかった。
父上は、今後も帝都から届くであろう『写本』とバルディアの研究開発機関で増えていくであろう様々な『資料』を見据え、図書館増築を視野に入れているそうだ。
内心、予算をどうやって工面するか頭を抱えていそうだなぁ。
キールの第二皇子という立場を利用し、帝国から予算を捻出してもらうという方法もあるけど、言ってしまえばそれは『貸し』、ある種の借金だ。
帝国とバルディア家の力関係を考えれば、それは最終手段にすべきだろう。
何にしても、様々な思惑を感じるメルとキールの『仮婚約』だったけど、少なからず今回の件はバルディア発展に繋がる大きな利点だ。
「へぇ、それは凄い。キール、ありがとう」
食事の席でお礼を告げると、彼は「いえいえ」と頭を振った。
「バルディアの発展に繋がることを行うのは当然のことです。これで私がメルディの夫になる者として、リッド義兄さんが少しは認めてくれれば良いのですがね」
「まぁ、考えておくよ」
僕が肩を竦めると、皆の忍び笑う声が食堂に響く。
「あの、ところで、私はこの場にいても良いのでしょうか」
おずおずと切り出したのは、アモンの妹シトリーだ。
彼女はメルとティスに挟まれた席に座っているが、どこか不安そうな面持ちをしている。
シトリーは、旧グランドーク家の部族長ことガレスの次女という立場の女の子だ。
現状は狐人族領で豪族達による政治利用を防ぐため、バルディアで身元を預かっている。
いずれ狐人族領に帰るであろう彼女には、見聞を広げてもらうためにバルディアで様々な教育を受けてもらっているが、厳しい言い方をすればアモンに対する『人質』の役割も兼ねているのが実情だ。
とはいえ、実際の扱いは『人質』と言うよりは来賓に近い。
それこそメル、ティス、シトリーは三姉妹のように仲が良く、母上もシトリーのことを本当の娘のように可愛がってくれている。
当のシトリーも、旧グランドーク家では冷遇されていたこともあって、バルディアでの生活はとても気に入ってくれているみたい。
特に母上の事は、本当の母のように慕ってくれているそうだ。
「勿論だよ。それに、僕の妹になったティスとアモンの婚約も公表されているんだ。名実ともに君はバルディア家の身内で、僕の妹なんだからね。むしろ、この場にいないとおかしいのさ」
安心させるように微笑むと、シトリーは嬉しそうにはにかんだ。
「あ、ありがとうございます。リッド……お義兄様」
彼女がそう言うと、メルが身を乗り出した。
「じゃあ、私のことは『メルディ様』じゃなくて、ティスと同じようにメル姉さんって呼んで良いからね」
「で、では、メル……お義姉様と呼んでもよろしいでしょうか」
「メル、お義姉様……⁉」
オウム返しのように復唱すると、メルは「えへへ」と顔を綻ばせた。
よっぽど嬉しいみたいだ。
「シトリー様。私は元は平民ですし、気軽にティスと呼んでくれて構いませんからね」
「い、いえ。ティス様は兄様の妻となる方ですから、そういうわけには参りません」
彼女は頭を振ると「えっと……」と呟いた。
「それでは、ティス姉様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「ティス、姉様かぁ」
復唱しながら「えへへ」とティスは顔を綻ばせた。
彼女も相当嬉しいみたいだが、その姿はメルそっくりだ。
間もなく、シトリーが意を決したように口火を切る。
「そ、それと、皆様。もし私の事を家族と仰っていただけるなら、どうか気軽にシトリーと呼んでほしいのですが、いかがでしょうか」
彼女は真剣な眼差しでこの場にいる皆を見渡した。
僕、メル、母上を除き、シトリーを呼ぶときは『様』や『殿』の敬称を付けることが多い。
特にティスはバルディアの養女になったとはいえ『元平民』ということもあってか、よくよく気をつけている印象がある。
シトリーは、その点が他人行儀のように感じていたのかもしれない。
「わかった。シトリー、改めてよろしくね」
二つ返事で僕が頷くと、彼女は体をくねらせて「えへへ」と嬉し恥ずかしそうに顔を綻ばせた。
例に漏れず、メルとティスにそっくりの表情である。
その時、ふと三人のとある将来を想像して「ふふ」と小さく噴き出してしまった。
「リッド様、どうかされましたか?」
隣に座っていたファラが、僕の小声に気付いて小首を傾げた。
「いやね。あの三人の様子を見て、ふと思ったんだよ」
「……?」
きょとんとするファラに、僕は顔を寄せて耳打ちする。
「メル、ティス、シトリーの三姉妹は、将来バルディアの三女傑と呼ばれ、帝国内外にその名を轟かすことになるのであった……なんて未来もありそうだなってね」
「あら、それは面白いですね。でも……」
彼女は笑みを溢すが、間もなくすっと真顔になった。
「どうして、その中に私がいないのでしょうか」
「え⁉ いや、ファラはさ。僕の奥さんだから……」
思いがけない指摘と彼女の表情に、僕は必死に考えを巡らせる。
そして、閃いたことを再び耳打ちした。
「そ、そう。ファラは僕の奥さんだから、バルディアの『懐刀』として帝国内外に名前が轟くことになるんじゃないかな」
「私が、リッド様の懐刀ですか」
彼女はそう呟くと、嬉しそうに体をくねらせて顔を綻ばせた。
その姿は、メル達にそっくりである。
あ、三姉妹じゃない。
これはバルディア四姉妹だな、と思い直した瞬間だった。
その後、僕が狐人族領に行っている間、皆がどう過ごしていたのか、ということに話頭は転じる。
母上は父上やサンドラ達に付き添われながら日々、歩行訓練に励み。
今では多少なら自力で立って歩けるようになりつつあるそうだ。
ただ、まだ油断はできないと、サンドラ達からは無理をしないようにと、釘を刺されているらしい。
メル、ティス、シトリーの三人は一緒に令嬢教育、武術、魔法等々、勉学を熱心に取り組んでいたそうだ。
ティスは元平民、シトリーはグランドーク家で冷遇されていたこともあって、二人はバルディアでの勉学に慣れるのは大変だったらしい。
でも、メルが積極的に悩む二人に声を掛け、分からない点を色々教えてあげたそうだ。
結果、短期間で二人の勉強はかなり進んでいるとのこと。
メル、流石は僕の妹だ。
ファラは僕がお願いした第二騎士団関係の管理の件で、アスナやジェシカと一緒に多忙な日々を送っていたらしい。
だけど、彼女は令嬢教育を含め、他の勉学を一切おろそかにせず管理業務を行ったと聞いている。
ファラのことを『懐刀』と評したのは、偽りない本心だ。
バルディア領の運営により一層深く関わるようになった時、彼女は本当に僕の『懐刀』になっているような気がする。
父上は僕から引き継いだ戦後処理を進め、狭間砦の戦いで亡くなった騎士の家族達への遺族年金配布を徐々に開始。
また、破損した砦の修繕や火事場泥棒的な野盗達の取り締まり。
バルディアに隣接する帝国貴族、バルスト、レナルーテからやってくる使者達との外交。
内政と外交ともに大忙しだったようだ。
ちなみに、キールの武術鍛錬と領内の案内と説明も合間をみてしっかりとやったらしい。
話が一段落すると父上は、咳払いをして真剣な表情を浮かべた。
「自然災害、大火事、戦。どのような大事が起きた時でも、領地運営では初動が何より肝心だ。動きが遅ければ遅いほど、復興は遅くなり、他国につけいる隙も与えてしまうからな。リッドや皆も良く覚えておきなさい」
「はい、畏まりました」
僕を始め、この場にいる皆が会釈する。
そして、父上の話が終わる頃には食事も食べ終わり、夕食会はそのままお開きとなった。
◇
夕食が終わると、父上は母上を部屋まで送っていった。
僕は広間に移動してファラやメル達との談笑を行う。
その途中、子猫姿のクッキーとビスケットが僕の膝元にやってきた。
ビスケットの「にゃ~」と鳴く姿は可愛らしい。
クッキーは少し野太い「なぁ~」と鳴き、『よう、久しぶりだな』と言われたような気がした。
時間が経つと、僕は皆と別れてお風呂で旅の疲れを癒やすべく、新屋敷の大浴場に移動。
ゆっくり湯船に浸かった。
狐人族領でもお風呂に入れたけど、用意出来るのは小さい浴槽のみ。
こうして、ゆったりと手足を伸ばしては浸かれない。
改めて、バルディアの素晴らしさを実感する時間にもなった。
お風呂で体の汚れを洗い落とすことは、様々な病の予防にもなる。
狐人族領に戻った時には、大衆浴場の設営も視野に入れておこう。
決して僕が毎日入りたいから、というわけではないよ……多分ね。
自室に戻ると久しぶりだというのに埃もなく、空気も澄んでいて驚いた。
きっと、バルディア家に仕えている皆が日頃の手入れを欠かさずにやってくれていたのだろう。
ありがたいなぁ。
そう思いながらベッドに仰向けになると、何かを考える間もなく瞼が重くなる。
狐人族領からの長旅、研修生にバルディアを案内、新屋敷では久しぶりの家族団欒の時間と、何気に今日はとても忙しかったなぁ。
強い眠気に襲われ、うとうとするがハッとする。
そうだ、明日。
明日の予定を確認しておかないと。
僕は眠気と闘いつつ、頭の中を必死に整理していく。
えっと、明日は朝からアモンと打ち合わせの後、領内に点在する工房と工業団地の連携についての説明会を各地で行う。
それが終わったら、ラファに隣領の部族長の人柄や好みを聞いて、今後の会談に向けての対策会議をしないといけない。
あと、それから、それから……あれ、なんだっけ。
変だな、考えがまとまらないや。
どうしてだろうと、疑問が脳裏に薄ら浮かんだその時、部屋の扉が丁寧に叩かれる音が聞こえた気がした。
誰か来たのかな。
でも、なんか、返事をするのも億劫だ。
「……うん、どうぞ」
絞り出すような感覚で返事をすると、「リッド様、失礼します」という声が部屋の正面扉ではなく、裏から響いた気がした。
間もなく、小さな足音が近づいてくる。
「あ、リッド様。もうお休みでしたか」
「……」
可愛らしい声に目をうっすら開けると、そこに居たのは寝間着姿のファラだった。
あれ、どうして彼女がいるんだろう。
ここは狐人族領のはずなのにな。
ぼーっとしていたその時、ふと気付く。
あ、そっか、これはきっと夢だ。
なら、良いよね。
そう思った僕は、ファラの手を掴んで引き寄せた。
「え……⁉」
ファラの驚いたような声も聞こえるし、抱きしめた彼女はとても柔らかい。
凄い、とっても素晴らしい夢だ。
なんだっけ、こういう夢って確か……そうだ、明晰夢って言うんだっけ。
僕は胸の中にいるファラの耳元に顔を寄せ、「大好きだよ。ずっと、ずっと会ってこうしたかったんだ」と囁き、力一杯抱きしめた。
「ふぇええ⁉」
何やら可愛らしい声が聞こえた気がする。
夢なのに、本当のファラみたいだ。
そんなはずはないのになぁ。
僕は夢で出会えた彼女を逃がすまいと抱きしめたまま、愛しい想いを囁きながら重い瞼を閉じた。
◇
「う……ん」
朝日が少しずつ差し込む早朝。眠りからうっすらと目を覚ました僕は、目を擦りながら体を起こして辺りを見回した。
見たことがあるような、ないような部屋の様子をぼーっと眺めていると意識が段々と覚醒していく。
そうだ、狐人族領からバルディアに帰って来たんだっけ。
それで昨日は、皆と夕食を取った後に談笑して、お風呂に入ったんだ。それから部屋に戻ってきてベッドに仰向けになってから、えっと……。
考えを巡らせるが答えが出ない。
どうやら、想像以上に疲れが溜まっていたのか、気絶するように眠ってしまったようだ。
でも、何だかとっても良い夢を見られた気がする。
内容は全く思い出せないけど。
「う、うぅん」
くぐもった可愛らしい声が隣から聞こえ、ハッとして目を向ける。
そこには、何故か寝間着が着崩れているファラの姿があった。
あ、あれ。彼女はいつの間にベッドにやってきたんだろうか。
必死に頭を巡らせるが、記憶にない。
そうする内、ファラは目をゆっくりと開けていった。
「あ、リッド様。おはようございます」
「う、うん。おはよう。と、ところで、いつの間にベッドに入ったの」
恐る恐る尋ねると、彼女はきょとんとした後、頬を膨らませて耳を上下させた。
でも、可愛いとは、言ってはいけない雰囲気だ。
「いつの間に、ではありません。昨日、大変だったんですからね。いきなり抱きしめられたと思ったら、リッド様がそれから一切離してくれなかったんです。この服の乱れも、その結果です」
「え、えぇ⁉」
全く記憶がなくてたじろぐが、僕の反応がお気に召さなかったらしい。
彼女は口をつんと尖らせると、上目使いでどこか恥ずかしそうに睨んできた。
「では、『あの言葉の数々』も覚えておられないんですね」
「え、あの、ごめん。なんのことかな」
「むぅ、絶対に教えてあげません」
ファラはそっぽを向くと、その勢いのままベッドを降りた。
そして、部屋奥にある彼女の部屋に通じる扉の前までそそくさと足を進めていく。
「ちょ、ちょっと待って……うわ⁉」
慌てて追いかけようとするが、足がもつれてベッドから転がり落ちてしまった。
「いたた……」
床にぶつけた腰をさすっていると、冷たい視線を感じて背筋に戦慄が走る。
はっとして前を向けば、ファラからジト目で射貫かれていた。
「少しは反省されてください。私の乙女心を弄んだ罰です」
「僕がファラの乙女心を弄んだ、だって⁉ いつ⁉」
「知りません、ご自分の胸に手を当てて考えてください」
彼女は隣部屋に入ると、扉を力強く閉めてしまう。
扉の閉まる音だけが空しく室内に響くなか、僕は呆然としながら両膝を突く。
程なく、両手も突いて四つん這いとなった。
一体、僕はファラに何をしてしまったのだろうか。
でも、いくら思い出そうとしても答えはでなかった。




