リッドの帰郷
新屋敷に到着すると、ガルンを始めとする新屋敷で働く皆が出迎えてくれた。
ただ、父上達の姿は見当たらない。
聞けば、皆それぞれに間が悪く忙しいらしく、この場にすぐ来られないそうだ。
僕が到着した連絡はしてくれたそうだから、ガルン曰く「おそらくすぐ会いに来てくれるでしょう」とのこと。
まぁ、しょうがないよね。
そう、しょうがないから、寂しくなんかない。
少し気落ちしながら開かれた扉を進み、屋敷内に足を踏み入れたその時、可愛らしい足音が聞こえてハッとする。
「リッド様、おかえりなさいませ」
「兄様、おかえりなさい」
声のした方に振り向くと、ファラとメルが僕の胸に飛び込んでくる。
二人の後ろには、ティスが畏まっていた。
「リッド兄様、おかえりなさい」
ちょっと驚いたけど、僕は優しく二人を両手で抱きしめる。
約二ヶ月ぶりに会う三人の顔を間近に見られた嬉しさで、思わず顔が綻んだ。
「ファラ、メル、ティス。ただいま」
ふと視線を前に向ければ、正装を着た母上が父上に付き添われながら立って微笑んでいた。
「おかえりなさい、リッド」
「ただいまです、母上」
僕はそう言うと抱きしめていたファラとメルを丁寧に解放して、威儀を正す。
そして、父上の前に出て畏まった。
「狐人族領平定の任務状況報告のため、リッド・バルディア。ただいま戻って参りました」
「うむ、ご苦労だったな。色々報告はあるだろうが、それは明日の朝で構わん。今日は旅の疲れを取ることを優先しなさい」
「はい、ありがとうございます」
バルディア領に帰ってきたのは、狐人族領平定任務の状況報告のためだ。
少し堅苦しいやり取りかもしれないけど、僕はあくまで父上の名代。
周囲にはバルディア家で働く人達の目もあるから、こうしたやり取りで上下関係を示し、父上を立てることを軽んじてはならない。
小さいことだが、意外とこういった部分から生まれる亀裂がお家騒動に繋がったりすることはままあることだ。
僕と父上にそうした認識がなくても、周囲が勝手に勘違いしてはたまらない。
バルディアで働く人にはそんなことをする人は居ないと思うけど、妄信は危険だと言わざるを得ない。
狐人族領内の保身に走る豪族達を間近で見ていたせいか、余計にそう感じちゃうんだよなぁ。
父上の返事で畏まった雰囲気を解くと「ところで……」と僕は母上に視線を向けた。
「母上は、もう歩いても大丈夫なほどに体調がよくなったんですか」
「えぇ。ずっと歩けるわけではありませんが、こうしてライナーや誰かが近くに居てくれれば軽く歩けるほどに回復してきました」
母上は目を細め、こちらに向かって歩いてくるとゆっくり抱きしめてくれた。
「これも、サンドラや皆の。いえ、リッドが様々なことを頑張ってくれたおかげです。貴方が狐人族領内で頑張っていると聞き、私も負けられないと頑張ったんですよ」
「は、母上。ありがとうございます」
目頭が熱くなった。
母上が歩く訓練を頑張っていたのは知っていたけど、短時間でも自力で歩けるようになったということは確実に完治が近づいてきたということだ。
こんなに嬉しいことはない。
「さて。じゃあ、皆で夕食にしましょうか。狐人族領内でのこと。色々と聞かせてください」
「はい、勿論です」
母上は父上に付き添ってもらい、食堂に向かって歩き始めた。
狐人族領に出発する前は見られなかった二人が歩く後ろ姿に、再び目が潤んでくる。
もう少し、もう少しだ。
前世の記憶を取り戻してから、今までのことが脳裏に蘇ってくる。
感慨に耽っていると、「リッド」と名前を呼ばれて我に返った。
「意外と、リッドも普通の子供だったんですね」
振り向けば、帝国の第二皇子キール。
メルの婚約者かつ僕の義弟が立っていた。
それも、何やらやたらとにこにこしている。
「……やぁ、キール。居たことに気付かなかったよ」
嘘だ。
実は最初にファラとメルが飛び込んで来た時、視界の端には彼が見えている。
彼は笑顔のまま首を横に振った。
「おやおや、それは頂けませんね。私が暗殺者であれば、今頃背中からぐさりですよ。それと、各国の要人であれば見過ごせば失礼にあたります。ちなみに、私も一応は第二皇子ですよ」
帝都で帝国貴族と接する機会が多かったせいか、キールは皮肉にめっぽう強いのだ。
ちょっと失念していたな。
「ごめん、ごめん。次から気をつけるよ」
ため息を吐いて肩を竦めると、「はい、そうしてください」とキールは笑顔のまま頷いた。
「キール。兄様は疲れてるんだから、ちょっかいをださないの」
メルが彼の背後に音も無く現れ、耳たぶを引っ張って強引に食堂に向かって歩き始めた。
「いたたた⁉ 痛い、痛いです、メルディ。引っ張るにしてももう少し優しく……」
「駄目、貴方はすぐに調子に乗るもん。それに、私しか注意できる人がいないでしょ。ティスも行こう」
「はい、メル姉さん」
キールは悲痛な声で嘆願するが、メルは異に介さずに彼を連れてこの場を去って行く。
その後をティス、ダナエ、ネルス達が追いかけていく。
あれ、メルとキールってあんな感じだったかな。
一連のやり取りに呆然としていると、ファラが僕の側にやってきた。
「メルちゃん、キール様と仲が良いと言いますか。扱いをすっかり覚えてしまったようです。さすが、リッド様の妹。いえ、この場合はナナリー様のご息女だから、でしょうか」
「いや、母上は父上のことあんな風には……」
否定しようとするが、ふと疑問が浮かぶ。
僕が知っている二人の関係性は、あくまで僕とメルという子供の前でのものだけだ。
もしかすると母上が元気だった時、二人の関係性があんな時もあったのかもしれない。
母上が父上の耳を引っ張る姿か。
二人のそんな姿を想像し「ふふ」と思わず噴き出した。
「リッド様、どうかされましたか?」
「もしかすると、父上と母上も僕の知らないところでは、ああいうやり取りをしていたのかもしれないなと思ってね」
メルとキールの後ろ姿を見つめながらそう答えると、ファラは何を閃いたらしく、「あ、そうです」と笑顔で切り出した。
「もし、リッド様が悪いことをしたら、私も耳を引っ張って差し上げましょうか」
「それは勘弁してほしいかなぁ。でも、万が一することがあれば、優しくお願いするよ」
「はい。畏まりました」
頬を掻いて答えると、ファラは嬉しそうに頷いた。
もしかして、僕の耳を引っ張ってみたい、とか。
いや、それは僕の考え過ぎだろう。
「リッド様、姫様。そろそろ、我等も食堂に行った方がよろしいかと存じます」
咳払いをしたアスナに声を掛けられ、僕とファラはハッとする。
気付けば、玄関に残っているのが僕達だけだった。
「そうだね。行こうか、ファラ」
「はい、リッド様」
僕とファラは手を繋ぎ、食堂に向かって歩き出した。




