リッドとラファの再会
「何が『もう少し』で『残念なのか』。僕はよくわからないけどね、ラファ」
「つれないこと言うのねぇ、リッド。会いに来てくれないから、こっちから会いに来たのよ」
彼女は言葉とは裏腹に楽しげに呟くと、露台の手すりに寄りかかった。
夜風にラファの白い髪が靡き、月明かりに照らされてとても綺麗だ。
でも、その魅力に騙されてはいけない。
彼女は旧グランドーク家において暗部を任されており、エルバに次ぐ実力と影響力を持っていた人物だ。
それだけ力を持っていたラファが支持すると表明したからこそ、狐人族の豪族達はアモンを次期部族長として認め、新体制のグランドーク家が誕生できた背景もある。
ただ、新体制の支持を表明したのは、『狭間砦の戦い』で僕とアモンの取り引きに彼女が応じただけという見方もできるから、何にしても油断できない相手だ。
構えていると、ラファはふっと感慨深そうに屋敷を見渡した。
「それにしても、叔父様の屋敷を貴方達に使わせるなんて、アモンも思い切ったことをしたものねぇ」
「ん? それは、どういうこと」
「この屋敷はね。私の父であるガレスの罪悪感とでもいうのかしらねぇ。それと、豪族達の希望が入り交じった特別な屋敷だったのよ」
首を傾げて聞き返すと、彼女は妖しく目を細めて語ってくれた。
ラファ曰く、この屋敷はグレアスが断罪された時に取り壊しになる予定だったそうだ。
しかし、当時のガレスが実弟のことに思いを馳せた結果、グランドーク家の管理下に置くだけに留めたらしい。
エルバとマルバスは残すことに反対して取り壊すよう強く出たが、ガレスは頑なに聞かなかった。
最終的に屋敷は残され、密かに生き残ったグレアス一派残党の心の拠り所となったそうだ。
「つまり、アモンを支持する多くの豪族達にとってこの屋敷は特別なものなの。それを、リッド達に提供したということは……」
「豪族、というより狐人族全体に対してアモンがバルディア家を重要視していることを改めて暗示したわけか」
「理解が早くて助かるわ。私もリッドぐらいの時、この屋敷ではよく叔父様と遊んでいたのよ」
ラファはそう言って懐かしそうに露台から中庭を見下ろした。
僕と同じぐらいの時、か。
まぁ、誰にでも子供の頃はあるからね。
でも、ラファの子供の頃はどんな子だったのかは少し気になるかも。
「ふふ、私の小さい頃は今のシトリーとよく似ていたわ。あの子、大きくなったら私みたいになるかもしれないわねぇ」
「ラファみたいに、か。はは、あんまり想像できないな」
シトリーは大人しい子だから、彼女のように妖艶な雰囲気を纏う姿はあんまり思い浮かばない。
僕は苦笑して咳払いをすると、「さて……」と切り出した。
「それで、どういった用件で訪ねて来たの。まさか、ただ会いに来ただけというわけじゃないでしょ」
「えぇ、実は少し困っていることがあってね」
彼女はそう言って、懐から一通の手紙を取り出して僕に渡してきた。
「開けてみて」
「じゃあ、失礼して……」
言われるがまま中身を改めると、差出人は『ガリエル・サンタス』とあった。
『あぁ、美しいラファ・グランドーク殿。私は貴女のことを片時も忘れることはありません。
朝も、昼も、夜もです。
どうして、貴女はそんなにも美しいのでしょうか。
そして、私の心をときめかせてくれるのでしょうか。
そう、私は貴女にずっと恋い焦がれているのです。
この想いをどうか受け取ってほしい。
さもなければ、私は恋い焦がれるあまりに身が燃えてしまいそうです。
どうかどうか、私の求愛を受け取っていただき、狐人族の未来を一緒に担う夫婦となってほしい。
そうでなければ、行き場のないこの想いが貴女の妹に向かってしまうかもと、私自身恐れているのです。
あぁ、どうか私の想いを受け取ってください、
ラファ・グランドーク殿』
何だか、読んでるこっちが気恥ずかしくなる文章だな。
「えっと、これは恋文なのかな」
「えぇ、そうよ。それも旧グランドーク家派の筆頭豪族、サンタス家の嫡男からね」
「あぁ、なるほど。それは問題だね」
ラファと夫婦になり、狐人族の未来を担ってほしい。
それはつまり、アモンを部族長の座から降ろして実権を握りたいということだろう。
アモンが部族長として認められているのは、ラファが彼を全面的に支持をしているところが大きい。
もし、ラファがアモン以外の誰かを祭り上げれば、狐人族は大きな派閥争いが勃発し、たちまちに内乱状態に陥る危険性もある。
差出人のガリエル・サンタスは、おそらくそうした状況を理解した上でこの恋文を彼女に出したのだろう。
それにしても、貴女の妹という文言。
これは、シトリーを指しているのかな。
「ちなみに、ガリエルは今年で二三歳だったかしら」
「はぁ⁉」
素っ頓狂な声を出してしまった。
こんな恥ずかしげも無い手紙を書きつつ、『行き場のない想いがシトリーに向かうかも』なんてことを記載するなんて、とんでもない人物だ。
なお、シトリーはメルと同い年で現在七歳である。
このガリエルという男は、一六歳も離れた相手に横恋慕するかもしれないと言っているのだ。
「狐人族の実権を握るためなら、なりふり構わない……ということか」
「そうなのよ。まぁ、このガリエルは可愛いお馬鹿さんだけど、彼の父親であるレモス・サンタスはそこそこのやり手なのよねぇ。それにほら、私も今はあんまり動かないほうがいいじゃない? だから、相手にするのが面倒臭くて困っているのよねぇ」
ラファは肩を竦め、やれやれと首を横に振った。
今はアモンが部族長であり、狐人族の再建を推し進めている。
現状でラファが前面に出てくると、部族長はラファにすべきだ、という声が強くなってしまう。
そうなれば、新たな火種を生みかねない。
でも、サンタス家か。
確か、彼等は……。
考えを巡らせていたその時、間近に人の気配を感じてハッとする。
気付けば、目前にラファの顔があった。
「ど、どうしたの」
「考えている顔も素敵ねぇ。ところで、この問題を簡単に解決する方法が一つあるわよ」
「へぇ、どんな方法かな」
あまり良い方法ではない気がするけど。
一応尋ねると、彼女は目を細めて微笑んだ。
「リッドと私が将来的に結婚すると、婚約発表すれば良いのよ。政略結婚なんて珍しいものでもないし、そしたら誰も何も言わなくなるわ」
「却下」
即答するが、彼女は笑みを崩さない。
「あら、冷たいわねぇ」
「残念だけど僕は既に結婚しているし、妻を愛している。そうした手段を使うつもりはないよ」
「そう。なら、リッドとアモンのお手並み拝見ね」
ラファがそう言った時、彼女の耳がピクリと動いた。
「楽しい時間だったけど、そろそろ潮時ねぇ。じゃあ、リッド。さっきの件、気が変わったらいつでも言ってきなさい」
「いや、だから……」
もう少し強く伝えようとしたその時、部屋の扉が強く叩かれた。
「リッド様、大丈夫ですか。何やら、不埒な輩の気配を感じます」
聞こえてきたのはディアナの声だけど、少し……いやかなりドスが利いている。
「あ、ちょっと待って」
露台から扉に向けてそう答えたとき、辺りに冷たい夜風が吹き荒れた。気付けばラファの姿は何処にも見当たらない。
神出鬼没だなぁ。
僕は露台から室内に戻ると、部屋の扉を開けてディアナに事情を説明した。
「なるほど。ラファ殿でしたか。道理で如何わしい気配だったわけです」
「い、如何わしいって。言っておくけど、何にもやましいことはなかったからね」
「そうですか。ですが、リッド様。これは何でしょうか」
「え?」
彼女はそう言うと、僕の胸ポケットにいつの間にか差されていた小さな紙を手に取った。
その紙には小さな文字で、『楽しかったわ。また会いましょう♡』と書かれ、ラファのものと思われる口紅が付いていた。
「な、ななな……⁉」
「リッド様、少し脇が甘すぎます。ファラ様が知ったら、さぞご心配なさるかと。今後のこともあります故、もう少しお話しいたしましょう」
その後、僕はベッドの上で正座しながらディアナのお説教を受けることになった。




