リッドの指摘とクラレンスの思惑
彼の挑発するような物言いに、僕の背後から凄い威圧感を覚えてハッとする。
それとなく目を向ければ、ディアナが黒いオーラを発しながらクラレンスと彼の護衛を睨んでいた。
「おっと、私の発言が気に障ったなら申し訳ない。しかし、リッド様なら分かるでしょう。その書類の重要さと危険性を考えれば、直接会ったことのない人物にはとても渡せるものではない、ということがね」
「まぁ、仰ることはわかりますよ。貴殿は最初から僕を見定めるため、ここにやって来たということですね」
「はい、その通りです。非礼を承知で、面会を断られればそれまでの縁だったという気持ちでね」
彼はそう言うと目を細め、ディアナに微笑み掛けた。
当然、彼女の威圧感は増していく。
僕は場の雰囲気を整えるべく深呼吸をする。
「クラレンス殿は商人と伺っていましたが、随分と危険な真似をする方ですね。一応、私は貴族嫡男です。そうした立場の私を当然訪ねてきた挙げ句、試すような真似をした、となれば最低でも領への出入り禁止。血気盛んな貴族相手なら最悪無礼打ちになるところです」
「普通、一般的な貴族相手であればそうでしょうな。ですが、リッド様はそのようなことをなさるお方ではないと確信できたからこそ、資料をお渡ししたのです。好機は人との縁によって生み出されるもの、そうでしたね。リッド様」
「え、えぇ。まぁ……」
相槌を打ちながらも、彼の胆力には驚かされる。
それにしても『確信できた』か。
随分と僕を高く評価してくれているけど、彼はクリスとの取引以降、バルディアの発展をずっと観察していたはず。
僕や父上の人となりも事前に色々と調べており、最後は彼自身で直接見定めるためにこんな無茶をした、というところだろう。
考えを巡らせていると、彼は「ふふ」と不敵に口元を緩めた。
「加えて言うなら、リッド様はライナー様の代理で狐人族の領地に急遽出向くことになったと耳にしております。おそらく、現時点でその資料を一番有効に扱えるお方でしょう」
「……随分と耳が早いですね」
帝都で僕が狐人族の領地に行くことが決まってから、まだ一ヶ月も経っていない。
訝しむように見据えるが、彼は笑顔のままだ
「ふふ、それは私にとって褒め言葉ですよ。商人にとって情報は命の次に大事なものですからね。ちなみに、狐人族の領内にある部族長の屋敷が焼け落ちたことも存じておりますよ」
「当家と新制グランドーク家に恩を売りたい、ということかな」
旧グランドーク家が管理していた屋敷が焼け落ちたことにより発生した問題点。
それは、狐人族の領内を管理していくための情報に加え、ガレスやエルバ達と繋がりの深かった豪族達の行っていた取引記録等が全て焼失したことだ。
管理するための情報は、時間は掛かるけどまた調べればいい。
だけど、旧体制時に行われたであろうエルバ達や豪族達の取引記録だけはどうにも調べようがなかった。
明らかに黒だと分かっていても、証拠がないために父上やアモン達が追求しきれない部分があったと聞いている。
でも、この書類があれば豪族達を容赦無く糾弾できるだろう。
「有り体に言えばそうなります。いやはや、リッド様は話が早くて助かりますね」
クラレンスは嬉しそうに頷くけど、僕は「でも……」と呟き、あえて机の上に無造作に置いて指差した。
「これを本当にこちらへ渡して良いのかい」
この書類を証拠として旧エルバ派の豪族達を糾弾すれば、必ず出所が問題になる。
その時、バルストでクラレンス殿の立場が悪くなることは想像に容易い。
どのような理由があるにせよ、取引記録を外部に漏らす商人なんて誰が信用するだろう。
しかし、彼は頭を振った。
「ご心配なく。手は打ってあります。それに彼等はバルストの顧客であって、私の顧客ではありませんから」
クラレンスはそう言うと、真面目な表情を浮かべて凄みを出しながら身を乗り出した。
「先程、リッド様が仰ったように私はバルディア家に恩を売りに来たのです。それも、とびきりの恩をね」
言い終えると、彼はふっと破顔する。
「是非、これからは仲良くさせていただきたいものです」
「なるほど、ね」
相槌を打つと、僕は腕を組んで考え巡らせる。
クリスが取引した相手だから、警戒しつつもある程度の信用はしても大丈夫なはず。
それに数年後を見越せば、バルストとの取引量も確実に増えていくだろう。
その際、彼を取引の窓口とするのは一つの選択肢だ。
だけど、彼のような人物から簡単に恩を売られる訳にもいかない。
何せ、この世に無料より高いものはないのだから。
「わかった。クラレンス殿から提示された『恩』は買わせてもらうよ」
「さすが、リッド様。賢明なご判断です」
勝ち誇ったように笑う彼に、僕は「ただし……」と付け加えた。
「これは、とびきりの恩にはなり得ないよ。何せ、君は『損切り』をしただけのことだからね」
「……ほう、異な事を仰いますね。『損切り』とはどういうことでしょうか」
今日初めて、クラレンスの表情が少し曇った。
「簡単なことさ。この書類に載っている者達は、多少時間が掛かっても新制グランドーク家を従えるアモンとバルディア家の手によっていずれは糾弾される。勿論、この書類があれば糾弾の時期は早まるだろうけどね」
僕は肩を竦めると、机の上にある書類を軽く指で叩いた。
「つまり、この書類の価値は、今が『一番高い』のさ。新制グランドーク家が誕生した時点で、旧政権派の豪族達とバルストの取引量は激減したはず。下手すれば、現時点で損失すら出ているかもしれないね」
クラレンスは真顔で沈黙している。
損失というのは、目に見えるお金の動きだけじゃない。
関係性の維持費、人件費、時間的損失と細部を見ていけばいくらでもある。
彼のような才覚ある商人であれば将来性、利益、手間暇を考えて総合的な判断を下すだろう。
「今まで利益が出ていた取引が赤字に転落してしまい、しかも回復する可能性も低い。となれば、彼等の情報を売って新たな取引先と関係構築するための『恩』とする。豪族達との取引が無くなって損失は確定するけど、今までに得た利益も確定できるというわけさ。だから『損切り』と言ったんだけど、違ったかな」
わざとらしく笑顔で小首を傾げると、彼は俯いて肩を小刻みに震わせ始める。
何事かと訝しんでいると、クラレンスは急に顔を上げて大声で笑い始めた。
あまりに突然のことで呆気に取られていると、彼は笑いを堪えながら「いや、申し訳ない」と首を横に振った。
「まさか、この短時間でそこまで見透かされるとは思っていませんでした。なるほど、帝国貴族達が手こずり、ガレスやエルバ達が負けるわけです」
「ふむ、どの帝国貴族が私に手こずっているのか。実に興味がありますね」
大方、グレーズ公爵やローラン伯爵あたりの貴族達だろうけど。
「はは、その質問の回答はご勘弁ください。しかし、代わりと言ってはなんですが、書類は無料でお渡ししましょう」
「へぇ、良いのですか。その言葉、そのまま受け取りますよ」
言質を取るべく答えると、彼は「構いません」とすぐに頷いた。
「まぁ、良ければ、私は突然に訪問してリッド様に無礼を働いております故、これで貸し借り無しということにしていただきたい」
「わかりました。無料より高いものはありませんから、それで手を打ちましょう」
僕が手を差し出すと、クラレンスはその手を力強く握り返してきた。
「私に何か出来ることがあれば、何でも仰って下さい。出来る限り、融通しましょう。こう見えて、『解決の糸口を提供する男』と呼ばれておりますから」
「ありがとうございます。その時は、クリスを通じて依頼させてもらいますね」
こうして、僕は新たな情報と取引先を得ることになった。
その後、バルストで取り扱っている商品についてクラレンスから様々な説明を受け、商談は終わった。
見送りに玄関まで足を進めると、クラレンスがふと何かを思い出しように「あ、そうだ」とこちらに振り返った。
「リッド様、言い忘れていたことがありました」
彼は目を細めると、僕との距離をすっと詰めて耳元に顔を寄せた。
「鳥人族の部族長ホルスト・パドグリー。奴はある意味、エルバより恐ろしい男かもしれません。立場上、これ以上は言えませんがどうかご注意下さい」
「……わかった。心に留めておくよ」
僕が頷くと、彼は満足そうに笑って大袈裟に一礼した。
「リッド様の今後益々のご活躍を期待しております。では、これにて失礼します」
「う、うん。またね」
去って行くクラレンスの背中を見つめながら、僕は『エルバより恐ろしい男』と彼が評したホルストのことを考えていた。
アリア達の父でありながら、役立たずと他国に売り捨てた男がまともな人物のはずがない。
狐人族の領地以外にも、ズベーラには色々と問題がありそうだな。
「リッド様。あの無礼者の背中に『火槍』を放ってもよろしいでしょうか」
「うん」
ディアナの言葉に生返事をしてハッとする。
見れば、彼女は黒いオーラを放ちながら今にも魔法を放とうとしていた。
「だめ、ダメダメ。駄目に決まっているでしょう」
「いえ、リッド様。あのような無礼者は、一度物理的に痛い目に会わなければ性根が直りません。どうか撃たせて下さい」
クラレンスの無礼な言動をずっと我慢していたらしく、彼等が馬車に乗って出発するまで、僕はディアナを必死に宥めることになった。




