リッドとクラレンス
挨拶を終えると、机を挟んで僕達は椅子にゆっくり腰掛ける。
バルストからやってきた商人であり、クラレンスと名乗ったこの青年。
彼のことは、クリスから報告を受けている。
クリスティ商会がバルストで奴隷だった子達をまとめて購入した時、その手引きをバルストで協力してくれた商人がいたそうだ。
その商人こそ、目の前にいる『クラレンス』と聞いている。
「どうされました、リッド様。私の顔に何か付いていますか」
「あ、申し訳ありません。聞いた話より、大分気さくな雰囲気だったものですから。少し意外でした」
嘘だ。
クリスの報告にあった通り表向きは飄々としているけど、彼の目は間違いなくこちらを品定めしている。
「そうでしたか。ですが、それはお互い様でしょう」
「お互い様、ですか」
首を傾げると、彼は目を細めて笑った。
「えぇ。恐れながら、リッド様の噂はバルストにも届いております」
「へぇ。ちなみにどのような噂でしょうか」
内容の想像は大体付くけどね。
あえて尋ねてみると、彼はやれやれと肩を竦めた。
「以前は常識にとらわれない型破りな神童。今は狭間砦の戦いの活躍もあって『型破りな風雲児』と聞き及んでおります。いやはや、最初は随分と大袈裟な噂だと思っておりました。ですが……」
クラレンスはそう言うと、身を乗り出して真顔になった。
「こうして直接お会いすると、噂は中々に馬鹿にできない。そう感心していたところです」
彼の雰囲気が急に変わったことで、僕の後ろに控えるディアナの気配が鋭くなる。
同時に、クラレンスの護衛であろう屈強な男性の気配も身構えたものに変わった。
刺々しい雰囲気が漂う中、僕は左手を小さく挙げてディアナに『大丈夫』と伝えると、彼に向かって微笑んだ。
「それは褒め言葉として受け取ればいいのかな」
「勿論です」
彼は表情を崩しながら頷いた。
クリスの言っていた通り、つかみ所のない人物だな。
このままだと、彼が作りだした雰囲気と流れに呑まれてしまいかねない。
僕は仕切り直すべく、咳払いをした。
「では、そろそろ本題に移りましょう。この度、事前の約束も無しにどのようなご用件で僕を訪ねて来られたのでしょうか」
「実は率直に申し上げますと、特に『用件』はございません」
「……え?」
用件もないのに貴族を訪ね、あまつさえ名指しで呼び出したとなれば相当な無礼を働いたことになる。
それこそ出入り禁止となってもおかしくない行動だ。
でも、目の前にいるのはクリスが『曲者』と評価した商人。
今の発言にも何かしらの意図があるのかもしれない。
真意を測りかねていると、彼は目を細めて笑った。
「ふふ、強いて言うなら『お礼』を申し上げたかったのです」
「お礼、ですか。しかし、私はクラレンス殿にお礼を言われるようなことはしていないと思いますよ」
「いえいえ。旧グランドーク家を討ち果たしてくれたではありませんか。実は、クリスティ商会に販売した奴隷の件。あれで、私の周りも一時色々と騒がしくなりましてね」
クラレンスはそう言うと、バルストでの出来事を語り始めた。
バルディア家が獣人族の子供達を保護した件が帝国で問題となった時、バルストではクリスティ商会に彼等を販売した者。
クラレンスが非難の槍玉に挙げられたそうだ。
「私も色々と手広く商売をやっていましてね。その分、商売敵も多い。そうした輩がこれ幸いと、騒ぎ立てしましてね。困っていたところに『狭間砦の戦い』が起き、バルディア家とアモン様が勝利して新制グランドーク家を立ち上げた。おかげさまで、輩共も静かになったというわけです。いやぁ、本当に助かりました」
「そうでしたか。クラレンス殿がそのような状況になっているとは全く知りませんでした。しかし、結果的に当家がお力になれたなら良かったです」
『電界』で探ってみても、彼の言動に敵意や悪意は感じられない。
だけど、真意はやっぱり別にある気がする。
それとなく警戒しながら探るように会話を続けていると、クラレンスは部屋の窓に目をやった。
「此処にお邪魔する前、バルディア領にある街や道路。様々なところを拝見させてもらいましたが、実に良い領地でした。特に道路整備、木炭車、美味しい料理を始めとする目新しい様々な文化は目を見張るものがあります」
「ありがとうございます。でも、当家はまだまだ発展途上です。これからの数年で、更なる発展を遂げられればと考えていますよ」
僕の言葉を聞くと、クラレンスは目を光らせながら身を乗り出した。
「ふむ、それは実に興味深いお話ですな。是非、内容を聞かせてほしいものです」
「残念ですが、当家の関係者ではない貴殿に詳細はお伝えはできません。ご容赦ください」
「ふふ、そうでしょうな」
彼は残念そうに肩を竦めると、「それにしても……」と話頭を転じた。
「リッド様は噂通り、型破りなお方だ。私のような何処の馬の骨ともわからない者が約束も無しに訪ねてきたというのに、このような丁寧な扱いをしてくれるとは思いませんでしたよ」
「そうですかね。でも、クラレンス殿はクリスと面識あるのでしょう。なら、『何処の馬の骨ともわからない者』ではありませんよ。それに、好機というのは新たな出会いや繋がりによって生み出されるものでもあります。クラレンス殿との出会いにも、何か意味がある。少なからず、私はそう考えていますよ」
世の中、結局は人対人だ。
どんな人物にせよ、直接会って、話してみなければその人の人となりなんてわからない。
そして、人との出会いがなければ好機に巡り会う可能性も低くなる。
なら、積極的に縁は作っていくべきだ。
特に優秀と予想される人物なら尚更ね。
「ほう、素晴らしいお考えですな。しかし、リッド様と話していると、まるで見た目だけが幼い子供の大人と話しているようです。もしかして、トーガの教典に出てくる聖女ミスティナ様の生まれ変わり……とか」
「え⁉ あはは、聖女の生まれ変わりとか。そんなおとぎ話があるわけないじゃないですか」
クラレンスの含みのある眼差しと物言いで、背筋に嫌な汗が走った。
トーガの教典や聖女ミスティナのことはよく知らないけど、僕は前世の記憶持ちだから彼の指摘は当たらずとも遠からずである。
「おや、リッド様は聖女ミスティナ・マーテル様の物語をご存じではありませんか」
」
「あ、えっと、そうですね。あまり詳しくはありません」
ミスティナ・マーテルとは、生前中に様々な奇跡を起こして聖女と呼ばれ、亡くなった後は女神になったとしてトーガで崇められている人物だったはず。
でも、ミスティナ教の本が書斎になかったから、それ以上の詳しいことは知らない。
「そうでしたか。まぁ、帝国はミスティナ教をあまり好ましくは思っていませんからね。しかし、今後もバルディアが発展をさせていくというのであれば、見聞を広める意味で一度は目を通しておくことをお勧めします。バルスト、ズベーラ、トーガでは広く布教されていますから」
「そ、そうなんですね。では、父上に今度聞いてみます」
ミスティナ教に興味があるなんて言ったら、父上はおそらく眉間に皺を寄せるだろうなぁ。
「では、最後にこちらをどうぞ」
笑って誤魔化していると、彼は屈強な護衛から封筒を受け取って差し出した。
「これは……?」
僕が受け取ると、彼はにこりと微笑んだ。
「どうぞ中をご覧下さい。きっと、リッド様は気に入られると思いますよ」
「……では、拝見します」
僕は訝しみながら封を開けて中を確認すると、書類の束が入っていた。
なんだろう、これ。
丁寧に取り出すと、その書類には人の名前らしきものが大量に羅列されていた。
そして、彼等の名前の下にある『取引記録』と記された内容に目を通した時、この書類が何なのかを理解した。
「まさか、こんなとんでもないものを持参してくるとはね。最初に『用件がない』なんて、良く言ったものだよ」
「いえいえ、最初の言葉に嘘はありません。恐れながら、リッド様にそちらの書類をお渡しできるどうか。その判断は、今この場でしたのですから」
本性を出したかのように不敵に笑うクラレンス。
彼が僕に渡したものは、狐人族でエルバ派と言うべき豪族達。
彼等がバルストを経由して行ったであろう、商売をまとめたものだった。




