思いがけない来客
「ティスに屋敷の中を案内していいかな」
「えぇ、構いませんよ。皆で行ってらっしゃい」
母上とティンクが頷くと、メルは嬉しそうにティスに駆け寄って手を握った。
「じゃあ、ティス。『お姉ちゃん』になった私が色々と案内してあげる」
「は、はい。お願いします、メルディ様」
ティスが照れくさそうに頷くと、メルは頭を振った。
「もう家族になったんだから、言葉を崩して良いんだよ。私の事はメルって呼んで良いからね」
「わ、わかりました。じゃあ、メルお姉ちゃん。改めて、お願いしていいですか」
『メルお姉ちゃん』と呼ばれると、メルは嬉しそうに表情を崩した。
年齢的にはティスの方が年上なんだけど、本人達が気にしていないみたいだから此処で突っ込むのは野暮だろう。
「うん、勿論」
メルは頷くと、次いでシトリーの傍に駆け寄って彼女の手を握った。
「シトリーも一緒に行こう」
「……私もよろしいのでしょうか」
彼女は目に期待の色を宿しながらも、遠慮がちにティスを見やった。
「はい、一緒に行きましょう。えっと、シトリーって呼んで大丈夫かな」
「は、はい。よろしくお願いします、ティス」
二人が揃って照れくさそうにはにかむと、メルが嬉しそうに微笑んだ。
「えへへ、決まりだね」
「ふむ。じゃあ、私もご一緒してもよろしいでしょうか」
キールが会話に入り込むと、メルは真顔になった。
「うん、いいよ。一緒に行こうか」
「……そんな棒読みで返事しなくても良いでしょう」
呆れ顔を浮かべるけど、彼はすぐに「しかし……」と感慨深げに呟いた。
「そんなところも可愛いと思ってしまう自分がいます。あぁ、これこそが本で読んだ『恋は盲目』というものなのでしょう。得た知識を実感させてくれる。これが君の愛でしょうか」
「いや、多分違うと思う」
メルは即座に断言して深いため息を吐いた。
「というか、キール。そういうところを何度も治そうって話をしているでしょ」
「あはは、済まない。ついね、つい」
彼はそう言って肩を竦めながらこちらを見やった。
「リッドとファラはどうする」
「僕達は……」
ファラと顔を見合わせて返事をしようとしたその時、父上が咳払いをした。
「二人には少し話したいことがある。悪いが、執務室に来てもらいたい」
「……? はい。畏まりました」
僕が首を傾げて頷くと、キールが「ふむ」と相槌を打った。
「では、メルディ。私達だけで行くとしよう」
「うん。でも、キールは一通り屋敷のことを把握しているでしょ」
「いやいや。君が案内してくれるなら、何度でも楽しめるさ」
目を細めてキールは微笑むが、メルはやれやれと首を横に振った。
「じゃあ、兄様。私達だけでいってくるね」
「わかった。気をつけてね」
僕が返事をすると、メルとキールが先頭になって退室。
その後をティスとシトリー、護衛騎士のネルスやダナエ達が続いていく。
程なく部屋の外から聞こえる足音が小さくなると、母上が「ねぇ、ティンク」と呟いた。
「折角ですから、私達も久しぶりにお茶でもしませんか」
「はい。喜んでご一緒いたします」
二人のやり取りを横目に、父上が僕達を見やった。
「では、我々も行くとしよう」
「畏まりました」
僕が頷くと、父上は母上達に会釈して踵を返す。
僕とファラも母上達に会釈すると、父上の後を追いかけた。
◇
執務室に入ると、いつものソファーに父上と机を挟んで腰掛けた。
普段と違うのは、僕の隣にはファラがいることだろう。
部屋の扉近くの壁側には、アスナとディアナが控えている。
「早速だが、リッド。ティスが養女になったことで、お前が狐人族の領地に行ってもらう目処が付いた。数日中に連れて行く人員を選別しておけ」
「はい。承知しました」
あ、そのことか。
僕は頷きつつ、部屋に呼ばれた理由に合点がいく。
元々父上は、バルディア家が迎える養女の件がまとまってから狐人族の領地に戻る予定を立てていた。
でも、キールとメルの婚約が急に決まったことでバルディア領に暫く留まることになったのだ。
「それから、お前が不在中の第二騎士団管理はファラに任せるつもりだ」
「え、私ですか」
ファラは自身の名を出されるとは思わなかったのか、目を瞬いた。
「うむ。リッドの手伝いをしている君なら、第二騎士団を任せて問題ないだろう。普段なら私一人でも処理するのだが、今は戦後処理で手一杯だ。お願いして大丈夫かな」
「で、ですが……」
父上がそう言うと、彼女は困惑した表情でこちらを見つめた。
「大丈夫だよ、ファラ。第二騎士団の管理はカペラがほとんどやってくれているからさ。僕の代理と言っても、書類決裁が主になると思う。いざとなれば、通信魔法もあるからね」
第二騎士団の代理業務と言っても、カペラ達が確認してくれた内容に目を通して必要に応じた判を押すのが主な業務だ。
時折、現場改善案や領民からの希望とかもあったりするけど、その辺りは父上に相談。
もしくは通信魔法で僕とやり取りをすれば良い。
「いえ、そういう問題ではございません」
ファラが頭を振ったので、僕は意図がわからず首を傾げた。
「えっと、じゃあ何が気になるのかな」
「私も、私もリッド様に同行して狐人族の領地に行きたく存じます」
彼女が凜とした声を張り上げると、部屋にしんと静寂が訪れる。
ファラから真っ直ぐに見つめられ、僕はたじろぎながらも咳払いをして首を横に振った。
「き、気持ちは嬉しいけど。ファラの立場を考えれば、それはやっぱり難しいよ」
「リッドの言うとおりだ。狐人族の領地は、アモンの新体制となったばかりでとても不安定だからな。リッドとアモンが平定させるまでは、君を行かせるわけにはいかん」
父上がそう言うと、ファラは目を光らせて身を乗り出した。
「では、リッド様とアモン様。お二人の力で平定された際には、私も狐人族の領地に赴いて問題ないということですね、御父様」
「う、うむ。まぁ、そういうことにはなるが……」
何とも言い難い迫力に父上が頷くと、ファラは目を細めて微笑んだ。
「承知しました。リッド様がご不在の間、第二騎士団の管理はお任せ下さい。あ、そうだ。ジェシカやカーティス達にも色々と協力して貰いましょう。そうすれば、カペラがリッド様に同行することも出来るはずです」
カーティスはレナルーテの元軍人で、現在は第二騎士団の指揮官だ。
ジェシカはカペラと同じレナルーテの暗部に所属していた人物だから、『特務機関』の管理には適任だろう。
彼女はその後も次から次へと、僕が不在時に必要になるであろう人物や関係者の名前を挙げていった。
「……という感じでしょうか。御父様、今の内容で関係各所に私から協力を依頼してもよろしいでしょうか」
「あ、あぁ。それは構わんが……」
父上が呆気に取られながら答えると、彼女は「ありがとうございます」と会釈した。
「ところで、御父様。リッド様と私にお話というのは以上でしょうか」
「そ、そうだな」
「畏まりました。では、善は急げと申します故、早速準備に取り掛かりましょう」
ファラはそう言って僕の手を取ると、勢いよく立ち上がった。
「え、今すぐかい」
「はい、勿論です」
彼女は笑って頷くと、父上に振り返って一礼した。
「それでは、御父様。これにて失礼いたします」
「じゃ、じゃあ、父上。僕もこれで失礼します」
「う、うむ。何かあればすぐに相談してきなさい」
執務室を出ると、ファラは頬を膨らませてこちらに振り返った。
「本当は一緒に行きたいのです。でも、立場上できないことは承知しております。だから、一刻も早くアモン様と協力して狐人族の領地を平定して下さい」
「う、うん」
「約束ですよ」
彼女はそう言って、小指をおずおずと差し出した。
「……わかった。約束するよ」
咳払いをして指切りをすると、ファラは嬉しそうに笑った。
「あ、それから、バルディアに居る間は出来る限り一緒に居たいです。駄目、ですか」
「勿論、構わないよ。じゃあ、僕が出発するまでは出来る限り一緒に過ごそうか」
「はい、ありがとうございます」
はにかむ彼女をよく見れば、耳が小さく上下に動いていた。
本当に、可愛らしい子だなぁ。
そう思って微笑ましく見つめていると、僕の背後からアスナとディアナの声で「毎度、ごちそうさまです」と小さい声が聞こえた気がした。
◇
狐人族の領地に行く準備を整えていたある日、思いがけない人物が僕に会いたいと唐突にやって来る。
正直、会うかどうかは悩んだけど、今後のことを考えれば一度顔を合わせておいた方が良いという判断を下し、その人物と屋敷の来賓室で面会することにした。
「初めまして、リッド・バルディア様。私はバルストで商人をしております『クラレンス』と申します」
僕が部屋に入るなり頭を深々と下げて『クラレンス』と名乗った青年は、赤黒い髪と健康そうな浅黒い肌。
そして、黒い瞳の細い目つきをしている。
一見は明るい優男のようだけど、整った仕草や言動から油断ならない相手であることはすぐに察せられた。
「こちらこそ、クラレンス殿のことはクリスティ商会のクリスより伺っております。いずれお会い出来ればと思っておりましたから、遠路はるばる尋ねて下さったこと。嬉しい限りです」
双方笑顔で握手を交わすも互いに目の奥が笑っておらず、歪な雰囲気が室内に漂い始めた。




