新たな家族
「は、初めまして、ナナリー様。私は、バルディア騎士団の副団長だったクロスの娘でティスと申します。この度、ご縁をいただきバルディア家の養女となりました。不束者ですが、以後お見知りおきをお願いいたします」
ティスが緊張した面持ちで頭を下げると、正装で椅子に凜々しく座っていた母上は頷いた。
「はい。貴女のことは、ライナーや皆から聞いています。ティンクと一緒に大変な決断して下さったこと、私からも御礼申し上げます」
母上は会釈して顔を上げると、目を細めて微笑んだ。
ティスがバルディア家の養女となることが決定して数日が経過。様々な書類手続きを経て、彼女は無事にバルディア家の一員として今日迎えられた。
そして、僕や父上といったバルディア家の面々とティンクが見守る中、母上の自室で二人が初対面をしているところだ。
「と、とんでもないことでございます。むしろ、バルディア家の皆様と平民である私がご縁をいただけたことこそ幸せ。光栄の極みでございます」
「そう硬くならないで、ティス。君はもう僕達の家族なんだからさ」
僕が声を掛けると、彼女は「は、はい」とはにかんだ。
「ふふ。それにしても……」
恐縮しているティスに微笑み掛けた母上は、視線をティンクに向けた。
「まさか、貴女の娘が私の養女になるとは夢にも思いませんでした」
「私もでございます。どうか、ティスのことをよろしくお願いいたします」
ティンクが畏まって頭を下げると、母上は頭を振った。
「そんなに畏まらないでください。私も出来る限りのこといたしますから」
「ありがとうございます、ナナリー様」
母上がバルディアに来て間もない頃、当時の護衛騎士を務めていたのがティンクだそうだ。
クロスと結婚して、ティスを身ごもった頃にティンクは騎士を引退したと聞いている。
そうした経緯もあってか、二人が話す様子は仲の良い友人のような雰囲気だ。
でも、ティスと母上にはやっぱりまだ距離感がある。
いきなり養女となったのだから、彼女が緊張するのはわかるけど、何か良い方法はないかな。
「あ。そうだ」
「……? リッド様、どうかされましたか」
「いや、良いことを思いついてね」
小首を傾げたファラにそう答えると、僕は咳払いをして場の耳目を集めた。
「ところで、ティス。さっきも言ったけど、君はもう僕達の家族なんだからさ。母上のことを『ナナリー様』と呼ぶのは止めようよ。当然、父上のことを『ライナー様』と呼ぶのも他人行儀だから止めよう。まずは、そこから始めていこうか」
「あら、それは良い考えね。ティス、折角だからお願いできるかしら」
母上がそう言うと、ティスは「は、はい」と相槌を打ってティンクを横目で見やった。
すると、ティンクは小さく頷いて優しく微笑む。
その様子に安堵した表情を浮かべたティスは、深呼吸をして照れくさそうに「で、では……」と口を開いた。
「ファラ様と同じ、お母様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「えぇ、勿論です」
ティスは母上の返事にほっとした表情を浮かべると、父上に視線を向けた。
「えっと、ライナー様のことは『お父様』とお呼びして構いませんか」
「あぁ、勿論だとも。ティスの好きに呼んでくれて構わんぞ」
「ありがとうございます。では、その、改めてこれからよろしくお願いします。お母様、お父様」
顔を赤らめてはにかむティスの可愛らしい様子に、この場にいる皆は笑みを浮かべていた。
「あの、その、私はこの場に居てよろしいのでしょうか」
黒髪の少女が頭の狐耳をぴくりとさせておずおずと手を上げた。
彼女はアモンの妹こと『シトリー・グランドーク』。グランドーク家の次女であり、第五子の末っ子だ。
「シトリー嬢、それを言うのは野暮というものですよ」
彼女に答えたのは、メルの傍にいたキールだ。
「同席を許された私達は、いわば証人。この場に立ち会い、この感動的な光景を目に焼き付けておけばよいのです」
「は、はぁ。そういうものなのでしょうか」
シトリーが首を傾げると、キールはメルを見ながら微笑んだ。
「まぁ、私の場合は将来における『義妹』が出来たということになりますね」
「……うん。そうだね」
メルは小さくため息を吐いて淡々と相槌を打った。
キールの言葉は半分正解。皇族の一員である彼ほど、『証人』として意味を持つ人物はいない。
残りの半分は、僕が狐人族の領地に行った時点でティスとアモンの婚約公表を控えているからだ。
近いうちにグランドーク家とバルディア家は親類となるわけだけど、この事実を知っているのはバルディア家内でもごく一部。
シトリーにも、この事実はまだ知らされていない。
メルやキールもまだ知らないはず。でも、二人とも意外と鋭いからシトリーがこの場にいることで何か察した様子もある。
特に『狭間砦の戦い』以降、メルの言動が少し変わった。
可愛いのは変わらないけど、物事の見方が大人びたというか、貴族らしいというべきか。
近い印象の人を強いて上げるなら、母上……というよりはマチルダ陛下に近い気がする。
「ふふ、シトリー。私にとって貴女も娘と変わりませんよ」
「……⁉ あ、ありがとうございます。ナナリー様」
母上が微笑み掛けると、シトリーは頬を少し赤くして頷いた。
シトリーは、狭間砦の戦いの際にアモン同様に捨て駒扱いされてしまった子だ。
その日から、彼女の身柄は来賓扱いでバルディア家が預かっている。
そして、シトリーは母上のことを本当の母親のように慕ってくれている。
二人の関係性が今のようになったのは、狭間砦の戦いが起きた当時に遡る。
メルと歳が変わらないシトリーが捨て駒扱いされたことを知った母上は、『戦による政のためとはいえ、あまりにも不憫です』と彼女に寄り添ってくれたそうだ。
シトリーはグランドーク家の中で『武術の才能がない』とガレスに決めつけられ、相当な冷遇扱いをされていたらしい。
彼女は実の母とも死別しており、頼れるのは優しい兄のアモンだけ。
会談の時に至っては、父親から初めて役目を与えられ事に加え、アモンの力になれると、シトリーなりにとても意気込んでいたそうだ。
にも拘わらず、捨て駒扱いされたという事実は彼女を絶望させたであろうことは想像するに余りある。
『冷たい扱いを受け続けても、なお家族のため、部族のため、優しい兄のため。見知らぬ他国の会談に同行し、己の責務を果たそうとした貴女は誰よりも気高い。そして、美しく強い心を持った女の子です。もし私が貴女の母なら、きっと誇りに思ったことでしょう』
話を聞いた母上は、シトリーを優しく抱きしめて優しくそう告げたそうだ。
彼女は堰を切ったように大泣きを始め、母上は無き暮れる彼女が泣き止むまで、ずっと抱擁していたらしい。
以降、シトリーは母上に心を許して大好きになったようだ。
今では、メルとシトリーも姉妹のように仲が良い。
今後はその中にティスも加わることだろう。
ただ、アモンによる新政権となった狐人族の領地はまだ不安定で安全とは言えない。
それに様々な諸問題もあるから、彼女はまだ当分はバルディア家で過ごしてもらう予定だ。
畏まった挨拶も終わって和気藹々とする中、メルが「ねぇ、母上」と目をやった。




