養女という大任
アモン・グランドークの正妻となるバルディアの養女候補に、何故ティスの名前が挙がったのか。
一番の理由は、彼女の持つ忠義心と騎士を目指す強い心だ。
彼の正妻となった者は、将来的に必ず狐人族の領地へ嫁入りしてもらわなければならない上、部族長の正妻となれば狐人族の豪族や暗躍する帝国貴族が近づいてくることは目に見えている。
彼等のような輩の甘言に惑わされない確固たる信念を持ち、厚い忠義心と責任感を持つ者が部族長の正妻でなければならない。
そうでなければ将来、再び『狭間砦の戦い』が起きてしまう可能性もある。
だけど、そんなことは万が一にもあってはならない。
アモンと交わした密約の件もある。
僕や父上が信頼できる者にしか託せないし、両家両国の未来を担う責任重大な役目だから生半可な覚悟では務まらない。
故に、養女にして送り出せる令嬢や少女は自ずと限られてくる。
そして、ティスはそうした条件に当てはまる数少ない少女の一人だと、僕と父上は考えていた。
「バルディア家に縁がある貴族令嬢というだけじゃ駄目なんだ。確固たる信念を持ち、自らの役目と責務を真っ当できる。それこそ『クロス』のような人で無ければ務まらないと考えているんだ」
「……パパのような人」
ティスが小声で呟くと、ティンクが首を横に振った。
「しかし、仮にバルディア家の養女になったとて部族長の正妻となる者が『平民出身』となれば誹りを受けましょう」
「いや、その点は問題ないと思う。むしろ、ティスは狐人族に歓迎されるはずさ」
そう答えると、ティスがきょとんとして小首を傾げた。
「どうして私が歓迎されるんですか」
「君がエルバを倒す切っ掛けを生み出したクロスの娘だからだよ」
目を瞬いて首を捻るティンクとティスに、僕は狐人族。
というより、獣人族の考え方を説明する。
獣人族は『弱肉強食』の思想が根強い、良くも悪くも実力社会だ。
そして、部族長や豪族が伴侶に求めるのは高貴な血筋よりも、『強い者の血筋』である。
エルバは狐人族の中で圧倒的な強さを誇り、ある種の魅力となって一部の豪族や民を魅了していた。
それ程に絶対的な存在だったエルバにクロスは一太刀を浴びせ、かつ彼の操る戦斧に傷を付けたのだ。
後で知ったことだけど、エルバが狭間砦の戦いで持っていた『戦斧』は狐人族の腕利きの鍛冶職人総出で造られた業物だったらしい。
『最凶のエルバ・グランドークが自在に操る最強の戦斧の前に、敵は無し』という言葉まで一時は流行っていたほどだそうだ。
エルバと彼の操る戦斧は、旧体制のグランドーク家を象徴する存在だった。
クロスは、その象徴を砕く切っ掛けを生み出した張本人ということだ。
実際、クロスの活躍が無ければ、僕はエルバに勝つことはできなかった。
加えて言うなら、僕とエルバの戦いを見ていた狐人族の戦士達の存在も大きい。
彼等は戦が終わった後、エルバと僕達の戦いがどれだけ壮絶だったのか。
バルディアに属する騎士達が如何に勇敢で、エルバをどう打ち倒したのかを彼方此方で語って聞かせたらしい。
その結果、バルディア勝利の切っ掛けを生み出したクロスは、一部の狐人族の中で英雄視されているのだ。
「……という訳で、ティスが狐人族の領地に嫁入りしたとしても平民出身を理由に誹りを受けることはないと思う。勿論、ティス自身にも強くなって貰わないといけないけどね」
「まさか、夫の活躍が狐人族の領地でそんなことになっているなんて想像もしていませんでした」
「パパが英雄、か」
ティンクは呆れ顔でやれやれと首を横に振り、ティスはどこか嬉しそうだ。
とはいえ、ティスは第二騎士団の候補生で武術、勉学の両方で主席を取っている。
このまま成長してくれれば、狐人族に文句を言われることのない才女になるはずだ。
それに僕の義妹になってくれれば、より効率的な魔武の修練を教えてあげられる。
どんな場所でも生き抜く知恵と力を持った、バルディア家の名に恥じない令嬢になることだろう。
「改めて言うけど、この大任は生半可な覚悟では務まらない。誰かに言われたり、バルディア家の養女に成れるからとか、そんな決意じゃ駄目なんだ。無理だと思うなら、辞退してくれても構わない」
「え、辞退してもよろしいのですか」
意外だったのか、ティンクが目を瞬いた。
「勿論、今した話は他言無用だけどね。でも、実際に君達へ話す前、一人だけ打診をした子がいるんだけど、その子からは丁重に断られたんだ」
「私の前に、ですか。失礼ですが、それはどなたかお伺いしてもよろしいでしょうか」
ティスの問い掛けに、僕は首を横に振った。
「ごめん。それは教えることはできないんだ。だけど、その子もティスと同じような決意や信念を持っていたことは確かだよ」
「そうですか。畏まりました」
しゅんとしたティスは、残念そうに俯いた。
ちなみに、先に打診した少女は第二騎士団に所属する狐人族のノアールだ。
彼女には、前部族長の実弟ことグレアス・グランドークの遺子という秘密の出生。
加えて、父親の汚名と無念を晴らすため、狭間砦の戦いでは父上とアモンに同行してガレスの討ち取りに大きく貢献したという実績がある。
血筋、筋道の全てを兼ね備えていた上、正妻としての素質と素養も併せ持っていた。
でも、グランドーク家の名は捨てたと、ノアールは早々に養女の件は辞退している。
『グレアスの遺子である私が今更戻れば、折角アモン様の下でまとまりつつある狐人族内で新たな派閥を生み、将来的な火種となりかねません。それに、恥ずかしながら私には心に決めている殿方がございます。従いまして、大変光栄なお話ではありますが、謹んで辞退させていただきたく存じます』
僕と父上を前にして毅然と答えた彼女の姿には、帝国貴族に勝るとも劣らない凜とした気品があった。
しかし、彼女が辞退する理由に挙げた『新たな派閥』というのも、あながち間違ってはいない。
現在の狐人族には、旧体制もしくはエルバやガレスの信奉者、グレアス派閥の生き残り、アモンに付き従う者、と大まかに以上三つの派閥に別れている。
そうした状況の中、ノアールがアモンの正妻となれば、『グレアスの遺子である、ノアールこそ部族長に相応しい』なんて言い出す者達が出かねない。
彼女が危惧した懸念は、僕と父上にも少なからずあった。
何にしても、これだけの大任だ。
やっぱり、自ら進んで志願する者でなければ務まらないという判断から、彼女の辞退を僕達は素直に受け入れている。
まぁ、彼女にはラガードもいるから、辞退は織り込み済み。
どちらかといえば、遺恨を残さないために筋を通したという感じかな。
僕は咳払いをすると、改めて目の前の二人を見据えた。
「さて、それでどうだろう」
「わ、私は」
ティスが悩む素振りを見せると、ティンクが険しい表情で身を乗り出した。
「ライナー様、リッド様。大変光栄なお話ではありますが……」
彼女がそう言い掛けた時、「待って」とティスが僕を見つめた。
「私、やります。バルディア家の養女となって、将来的に狐人族の領地へ嫁ぎます」
幼くも、毅然とした彼女の声が部屋の中で凜と響き渡る。




