メルディとキール
「こ、怖いとはどういうことでしょうか。私は様々な本や文献からメルディが喜ぶことを考えたつもりだったんです」
青ざめたキールの弁解を聞き、メルは小さなため息を吐いた。
「確かに、貴方がしたことを喜ぶ女性も世の中にはいるかもしれません。ですが、よくよく考えて見てください」
メルは凄むと、彼の目と鼻の先に顔を寄せた。
「見も知らぬ他人が自分宛の恋文を書き続け、肖像画を持ち歩く。挙げ句、その他人が荷台一杯になった恋文と詩を持っていきなり自宅に押しかけて愛を囁いてくるのです。キールがされたらどう感じますか」
「そ、それは確かに驚くでしょうね。でも、私は帝国の『第二皇子』という立場がありますから、見ず知らずの他人とは少し違うのではありませんか」
「それは『驕り』です」
間髪容れずにメルは断言した。
「自分は第二皇子であるから、『こうしたら誰でも喜ぶはず』というのは恐れながら浅慮と言わざるを得ません。むしろ、第二皇子という肩書きを前に出すなら、キールはもっと慎重に、そして謙虚にならなければなりません。実際にやったことはないけど、本や他人から得た知識だけで自分は出来ている。もしくは出来ると思い込む、そういう人を世間一般的になんと言うか知っていますか」
まるで怒りを爆発させたように捲し立てたメルの言葉に、誰もが呆気に取られていた。
「な、なんと呼ぶのでしょうか」
キールがたじろぎながら聞き返すと、メルは彼を睨みながら指差した。
「頭でっかちな変質者、と言うのです」
「な……」
キールはハッとして目を見開き、膝から崩れ落ちてしまった。
「なんてことを言うんだ、メル」
「そうですよ、メルちゃん。キール様が四つん這いになってしまったではありませんか」
僕とファラが慌てて声を掛けると、メルは「えぇ」と目を瞬いた。
「だって、母上がいつも仰っているじゃないですか。貴族の妻となった者には、身分や立場の関係から周囲の人や家臣が注意できないような苦言を呈する役割もある。時に嫌われようとも、毅然として伝えることで陰から家を支えるんだって」
「そ、それはそうですが、何も皆がいるこの場で言うことではありません」
皆の注目を浴びた母上は、咳払いをして諫めるように言った。
しかし、周りを見渡せばアスナやディアナを始め、メイド達は肩を奮わせて何かを堪えている。
「わ、私が『頭でっかちな変質者』……」
愕然としたキールの呟きにハッとして、慌てて彼に駆け寄った。
「メルが厳しいことを言ってごめんね。キール、大丈夫かい」
「すまない。諫言とは言え、娘はもう少し言葉を選ぶべきだったな。私からもお詫びしよう」
父上も僕に続いて声を掛けるが、『諫言』という言葉でそれとなく傷に塩を塗り込んでいる。
励ましになっていない、と突っ込みそうになるが、「ふふ……」とキールが自傷気味に口元を緩めた。
「そうですか。この場にいる皆さん、そう思っていらっしゃったんですね」
彼はゆっくり立ち上がると、何かを思い出すように遠い目で帝都の方角を見つめた。
「言われてみれば、母上やアディ。書庫員の女性達にこの行いを伝えた時、顔が少し引きつっていたような気がします。今思い返せば、遠回しに止めておいた方がいいと言われていたんですね」
キールがそう言うと、この場にいる女性達が一斉にうんうんと頷いた。
皆、彼は帝国の第二皇子なんだからもう少し遠慮してあげようよ。
「やっぱり、そうだったんですね」
メルがドヤ顔で切り出した。
「きっと、皆は遠慮していたんです。でも、私は立場上、どんどん遠慮無く指摘させていただきたく存じますが、改めてよろしいでしょうか」
「はい、構いません。むしろ、こちらからお願いします」
彼が手を差し出すと、二人は握手を交わした。
「それと、折角ですから言葉も崩してくれて構いません」
「いいの。じゃあ、これからよろしくね」
メルが目を細めて微笑むと、キールは頬を赤く染める。
二人が仲良くなることは嬉しいことだけど何だか少し歯がゆいような、ちょっと不思議な気持ちになった。
「ふふ、リッド様。嫉妬ですか」
「え、いやいや。そんなことはないよ」
ファラの囁きに首を横に振っていると、キールが「ところで……」と呟いた。
「あれはどうすれば良いでしょうか」
そう言って彼が見つめた先には、一年以上書き続けたという恋文や詩が一杯に積んである荷台があった。
「あ、あれね」
苦笑しながら返事はするも、正直どうしたものかと僕は首を捻った。
流石に処分するには忍びないし、かといって荷台に入れたまま放置するわけにもいかない。
何処かに保管しておくという方法もあるけど、それはそれでどうかという気もする。
「兄様、あの荷台にある荷物は新屋敷で保管してもらってもいいかな。時間は掛かるだろうけど、全部に目は通すから」
「え、それは良いけど、全部に目を通すのかい」
僕が尋ねると、キールも身を乗り出した。
「メルディ、無理はしなくていいですよ。あれは……私が責任を持って処分します」
彼が少し寂しそうに言うと、メルは目を細めて微笑んだ。
「それは駄目。キールは、相手を想う気持ちの表現が間違っていただけだもん。私のために書いてくれたのは事実でしょ。だから、その気持ちは大事にしたいの」
「メルディ。君は、とっても優しい女の子ですね」
キールが嬉しそうに笑みを浮かべると、微笑ましい光景にこの場にいる誰もが表情を崩した。
僕には、メルが不敵に笑っているように見えてならない。
「ところで、メルディ。一つ質問して良いですか」
「うん、どうしたの」
「いえ、君の婚約者として目指すべき人物像があれば聞いてみたいなと思ったんです」
キールの問い掛けに、メルは考える仕草を見せると父上と僕を交互に見やった。
「えっとね。帝国の剣と呼ばれる父上のような強さと、型破りな風雲児と呼ばれる兄様のような魔法と意外性かな」
「い、意外性……」
名前を出されたのは嬉しいけど、他に言い方はなかったのだろうか。
見れば、父上は満更でもなさそうに頬が緩んでいる。
でも、キールはしゅんと肩を落とした。
「そ、そうですか。私もお二人に近づけるよう頑張ってみます」
「む、キール。最初から諦めては駄目だよ」
「え……」
彼が小首を傾げると、メルは強い口調で続けた。
「やってみて、本当に駄目と分かれば他の方法を考えればいいの。勿論、熟考が必要な時もあるけど、まずはやってみるって気概をみせてほしいな」
メルは間近に迫ってキールを上目遣いで見つめた。
あざとい、僕の妹はいつからこんなにあざとく、可愛くなったんだ。
「わ、わかりました。そうですね。まずはやってみます」
「うん、頑張ってね。キール」
二人のやり取りが落ち着くのを見計らい、父上が咳払いをした。
「さて、そろそろ良いだろう。皆、屋敷に入るぞ。メル、キールを案内してあげなさい」
「はーい、父上」
メルの明るい声がきっかけとなって皆が歩き出す。
僕は慌ててメルに駆け寄ると、耳打ちをした。
「……荷台の荷物は本当に新屋敷へ運び込んでいいんだね」
「うん。それに何かあった時の『手札』にも使えそうでしょ」
「な……」
メルはにこりと笑うと、キールの手を掴んで屋敷の中に颯爽と入っていった。
幼い頃、婚約者に成る前の相手に向けて大量に書いた恋文と詩。
子供の頃の可愛い思い出と言えればそれまでだけど、大人になってから現物を持ち出された時、書いた当人は悶絶することになるだろう。
おそらく、メルの言う『手札』というのはそうした類いを指している。
「恐ろしい子だ」
あどけない笑顔を浮かべる妹の姿に、僕は貴族令嬢の逞しさと強かさを感じるのであった。




