バルディアへの帰郷
「どうした、リッド。まさか、もう車酔いか」
首を捻っていると、父上が心配そうにこちらを見つめた。
「あ、いえいえ。何だか、ロナミス邸に見覚えがあるような気がしたんです」
「ふむ。それは、ロナミス邸と同じ作りの屋敷がこの辺りに多いからだろう。ロナミス邸の外観は、建築当時に帝都で流行っていたという左右対称の造りになっているそうだからな」
「あ、それは私も聞いたことがありますね。帝都にある貴族街の建物は、それで左右対称の造りが多いんです」
父上とキールに言われて周りを見渡せば、確かに周辺の建物がどれも似た外観をしていた。
あまり貴族街の建物をじっくりは見ていなかったから、それで既視感を覚えたのかな。
「……そうですね。多分、僕の勘違いだと思います」
頷いたものの、何だかやっぱり引っかかるんだよなぁ。
後で、メモリーにお願いして調べてもらおうかな。
そう思っていると、キールが「それにしても……」と切り出した。
「こうして整っているのも素晴らしいですが、個人的には色々な建物が建ち並ぶ光景も見てみたいとは思いますね」
「それなら、バルディアでその点は楽しめると思いますよ」
「え、それはどういうことですか」
小首を傾げたキールに、僕はバルディア領の建築事情について簡単に説明した。
昨今の発展に伴い、バルディアにある老朽化した建物を中心にどんどん新しくしており、新築の建物も数多く建造されている。
特に観光客向けの旅館、商店街、食事街は数多くの新進気鋭の建築家に設計を依頼した結果、見るのも楽しい造りになった。
中には奇抜過ぎるものあったけど。
「へぇ、それはとても楽しみです。しかし、それだけの新造や改造をするとなれば相当の費用がかかったはずですが、それ程にバルディアは豊なのですか」
キールの瞳の奥で何かが光った気がする。
普通の子なら『楽しみです』で終わりそうだけど、費用とか気にする辺りは『皇族』というか為政者っぽい。
「豊かというより、ちょっとした『カラクリ』があってね。口で説明するより見てもらった方が早いから、領地に戻ったら改めて説明するよ。良いですよね、父上」
「うむ。皇族であるキールには、あれを見てもらった方が今後のためになろう」
「皇族である僕に、ですか。それはとても楽しみです」
彼が頷くと、父上はおもむろに懐中時計を取り出した。
「二人共、そろそろ行くとしよう。これ以上、遅くなると人も多くなってくる」
「畏まりました」
僕は頷くと、キールに視線を向けた。
「ちなみに、長距離移動はしたことないよね」
「そうですね。行っても、帝都の郊外ぐらいです」
「そうか。じゃあ、覚悟しておいてね」
目を細めて微笑むと、彼はきょとんした。
「えっと、何の覚悟でしょうか」
「決まっているじゃないか。乗り物酔いだよ」
こうして、僕達は父上の運転する木炭車で帝都を出発した。
キールはバルディアまでの道中、木炭車の車窓から見える景色に大喜び。
その姿は普段の大人びた姿ではなく、年相応のものだった。
だけど、彼は酔いとはまったく無縁であり、僕はいつも通り一人で絶望の時間を味わうことになる。
何故だかいつもより寂しくて、ちょっと泣きそうだった。
◇
帝都を出発して数日後。
父上の運転する木炭車はバルディア領内に入っていた。
「改めて木炭車という乗り物は画期的なものですね。此処まで早く快適にバルディアまで来られるとは思いませんでした」
「これでも安全運転だよ」
キールが車窓から流れていく景色を見ながら感嘆した声を発すると、父上の代わりに僕が答えた。
「急ぎの時は、運転手を交代して常に走らせることも出来るんだ。その時はもっと早く行き来が可能だよ。実際、狭間砦の戦いの時は父上は帝都からすぐに戻ってきたからね」
「それは凄い。立場上、私もいずれお世話になることがあるかもしれませんね」
「でも、此処まで快適になったのは君のご両親である陛下の英断。そして、バルディア家に仕える第二騎士団の団員達のおかげさ」
そう言うと、キールは興味津々な様子でこちらに振り向いた。
「へぇ、良ければ詳しく聞いても良いですか」
「うん。勿論」
僕は、初めて帝都に訪れた時の事を語り始める。
キール達との出会いもあったけど、両陛下が木炭車やバルディア産の様々な商品や製品の価値を認めてくれたことで、第二騎士団によるバルディア領と帝都の道路整備を受注できたのだ。
木炭車による交通事情の改善は今までにない革新的な提案だったから、保守的というか現状維持を強く望む人であれば断られていた可能性もある。
何より、団員のほぼ全てが獣人族の子供達で編成された騎士団に、帝都とバルディア領を繋ぐ道路整備を一任するというのはそう簡単に判断できることじゃない。
バルディア家の営業力もあるけど、両陛下の柔軟な思考があってこそだ。
実際、前世の記憶にある『電車』の駅が初めて造られる時、その価値がわからずに断ってしまった地主も居るらしい。
駅が近くにあれば周囲が発展しやすい、土地の価値が上がるというのは駅が造られた後、実際に電車が稼働してから世間一般的になったことだそうだ。
「なるほど。でも、父上や母上でなくても、これだけの利点を理解できれば誰だって許可すると思います」
「いやいや。人間というのは、頭で理解は出来ても感情がある生き物だからね。あれは、両陛下でしかできなかった『英断』だと僕は考えているよ」
「ふむ。つまり、リッドは『人間は感情に支配された生き物』だということですか」
「そこまでは言わないけど、人間ってさ。必ずしも合理的な判断をするとは限らないでしょ。誇り、妬み、怒り、悲しみ。様々な感情と合わさって人は物事を決めるからさ。支配と言うより、隣り合わせという感じかな」
もし、木炭車や道路整備における責任者が苛烈な保守派である『グレーズ・ラザヴィル公爵』とかだったら、明らかな利点があっても却下されていた可能性もある。
もしくは、彼等にとって都合の良い場所の施工を優先的にさせられたはずだ。
「うーん。そんなものですかね」
キールが唸りながら肩を竦めたその時、父上首をこちらに向けて少し動かした。
「二人共、新屋敷が見えてきたぞ。もうすぐ到着だ」
「あ、本当だ」
僕が返事をすると、キールも身を乗り出した。
「立派な建物ですね。しかし、新屋敷ということは、私はリッドとファラの愛の巣にお邪魔するということになりますね」
「な……⁉」
含みのある笑みを浮かべるキールの言葉に僕が目を丸くすると、父上が噴き出した。
「残念ながら、本屋敷は現在修繕中なのだ。従って、新屋敷ではバルディア家の者全員で過ごしている。安心しなさい」
「そうでしたか。それなら安心です。熱々なリッドとファラの間に、私が居るというの無粋ですからね」
「はは。さすが、キール殿下。良くわかっておりますな」
「ライナー殿。殿下はいりませんよ」
「おっと、これは失礼」
いつの間に仲良くなったのか。
笑い声が車内に木霊する中、僕は声を荒らげた。
「二人揃って茶化すのは止めてください」
しかし、車内の笑い声が止まることは無かった。




