キールの印象
「……別に良いけど、彼とは貴方も会って直接話しているじゃない。今更、どうしたのよ」
「会って話したことがあるって言っても、ほんの数回しかないよ。手紙のやり取りも少しはしているけど、それだけじゃ人となりはわからないからね。今後の参考にしたいから、何度も彼と会っている君の意見を聞きたいんだ」
僕がキールと直接話したことがあるのは初対面、前回の懇親会、今回の報告会で三回だけだ。
さすがにそれだけじゃ、キールの考え方や趣味趣向を判断するのは不可能に近い。
彼からの手紙には、いつも当たり障りのないことしか記載されていないから、何となく慎重で用心深い性格のような気もする。
でも、皇族の一員だから文書として残る手紙の内容に配慮をするのは当然と言えば当然だから、人柄を推し量るには情報として弱い。
その点、デイビッドとの婚約者であるヴァレリならキールともよく会っているだろうから、少なからず僕よりも正確に彼の性格を理解しているはず。
「今後の参考、ね。まぁ、良いわ」
彼女は肩を竦めると、腕を組みながら唸った。
「でも、そうねぇ。キールを一言で表すなら……」
「うん」
真顔で身を乗り出すと、ヴァレリは急に呆れ顔を浮かべた。
「本の虫ね」
「本の……虫」
彼女はやれやれと頭を振った。
「言葉のまんまよ。良い言い方をすれば、知識欲があって勉強家。悪い言い方をすれば、本を読むことしか興味がない引きこもり。実質、帝国書庫警備員兼管理人ね。何にしても、奇人の部類よ」
「て、帝国しょ……なんだって」
思いがけずに聞き返すと、ヴァレリは口調を強めた。
「帝国書庫警備員兼管理人よ。帝城にはね、一般的な本から様々な文書や文献に加え歴史書類を厳重に保管維持している巨大な書庫があるの。彼は毎日そこに居るわ。居ないことの方が珍しいぐらいよ」
帝城に書庫はあると思っていたけど、そんなに大きい施設があったのか。
「それにしても、さすがに帝国書庫警備員兼管理人って呼び方はちょっと酷すぎるんじゃない。仮にも皇族で君の義弟になるんでしょ」
「良いの、良いの。キールは書庫にある本をほぼ全て読み切った上、場所も覚えているらしくね。書庫員より詳しいそうなの。きっと、『素晴らしい例えだね。まさに、僕のことを表しているよ』ってむしろ食い付いてくるわよ」
「えぇ……」
彼女のキールに対する評価が予想の斜め上で、さすがに呆気に取られてしまった。
だけど、ふと疑問が浮かぶ。
「でも、どうしてキールはそこまで本が好きなんだろう。切っ掛けでもあったのかな」
「切っ掛け、と言うより本人的にはそれが自分の役目と思っているみたいよ」
「どういうこと」
「実はね……」
ヴァレリは以前キールとしたという話を聞かせてくれた。
彼女も僕と同様の疑問を抱いたことがあるらしく、本人に質問をしてみたことがあるらしい。
『僕が本を好きな理由かい。そうだねぇ、一つは知識欲。もう一つは、兄上を将来支えるためかな』
彼はそう答えたそうだ。
「デイビッド様は私と同じで次期皇帝教育に忙しいから、書庫にある本を読む時間はどうしても限られるの。キールも皇帝教育は受けてはいるけど、デイビッド様ほど拘束はされていないわ」
「なるほど。つまり、将来的に皇帝となったデイビッドを支えるため、彼の代わりに様々な雑学や知識を収集しているということかな」
「えぇ。本人はそのつもりみたいよ」
ヴァレリの話を聞く限り、自身の役割を理解して趣味かつ好きな読書に没頭しているというところか。
でも、直接会って話した感じだと、受け答えもしっかりしていたから書庫に毎日引きこもっているような印象は受けなかった。
「そっか、ありがとう。じゃあ、バルディアにキールが来た時は、色んな本を紹介してみようかな」
「あら、バルディア家も大きな書庫を持っているのかしら」
「書庫と言うより、研究用の資料を集めている図書館に近いけどね」
実は新屋敷建設時、いずれ必要になるだろうと『大規模図書館』の併設も設計図に入れて置いたのだ。
新屋敷の中にも書庫はあるけど、専用施設も近くにあった方が良いという判断もあった。
当時は少しでも予算を増やすため、断られることを前提にした施設だったんだけどね。
でも、今はサンドラ達やエレン、アレックス達の研究開発に必要な資料や本が凄い勢いで増えているから丁度良い保管場所になっている。
それに重要な情報が記載されている資料や本も外部に持ち出されたりすると何気に大変だから、新屋敷の敷地内にある図書館は防犯的にも最適な施設だ。
「へぇ、それを知ったら、キールはきっと喜ぶわよ。毎日、そこに入り浸るからもしれないわ」
「それだけ気に入ってもらえると嬉しいけど、バルディア家は国境を守る役目もあるからね。その事を体で学んでもらう必要もあるから、入り浸りはさせないよ」
目を細めて微笑むと、何故かヴァレリの顔が少し引きつった。
「そ、そう。まぁ、ともかく私がキールに抱いた印象は……あ」
彼女は何かを言い掛けたところでハッとした。
「ん、どうかした」
「いえ、ちょっとね。キールがたまに見せる表情がマチルダ様に似ている時があるのよ」
「それは、親子だからじゃないの」
ちなみに、デイビッドはアーウィン陛下の顔立ちに似ているけど、アディとキールの顔立ちはマチルダ様に似ている。
「いや、そういう意味とは少し違うんだけど。まぁ、きっと私の気のせいね」
彼女はそう言って肩を竦めると、残っていたお茶を飲み干した。
「リッド、私はそろそろ帰るわ。出発の見送りには来られないだろうけど、向こうに帰っても頑張ってね」
「うん、ヴァレリもね。お互いに頑張ろう」
彼女は僕と握手を交わした後、バルディア邸を後にした。
◇
バルディア領の帰途に就く当日。
朝食と準備を整えた僕と父上は、帝城にいるキールを迎えにいくためバルディア邸を出発しようとしていた。
「では、カルロ。留守の間はいつも通り頼むぞ」
「はい、お任せ下さい」
執事のカルロが会釈する中、僕は小さなメイドに視線を向けた。
「じゃあ、シルビア。第二騎士団の任務とメイドの仕事で大変だろうけど、頑張ってね」
「はい、頑張ります」
彼女が元気よく返事をした時、「ライナー様、リッド様」とルーベンスの慌てた声が轟いた。
何事かと玄関を出れば、彼がこちらに向かって駆け寄ってくる。
「どうした」
父上が尋ねると、ルーベンスは顔を寄せて何かを耳打ちした。
「な、なんだと。わかった、すぐに案内しろ」
「畏まりました。こちらです」
ルーベンスは頷くと、すぐに走り出す。
「リッド、お前も来なさい」
「は、はい」
父上の言葉に従い、僕は訳も分からず慌てて追いかける。
ルーベンスが父上と僕を案内した場所は、バルディア邸の門前だ。
こんな朝早く、父上が慌てるなんて一体誰が来たんだろうか。
そう思っていると第一騎士団の騎士達が、帽子を深く被った一人の少年を守るように囲んでいる光景が目に入った。
まさか、と思ったその時、彼は僕に気付いて帽子を取って微笑んだ。
「やぁ、リッド。これからよろしくね」
「な……⁉ ど、どうしてここに君がいるんだ」
そこに居たのは、帝国の第二皇子ことキールだった。




