リッドとヴァレリのお茶
彼女はお茶を啜ると、ため息を吐いて首を横に振った。
「言われなくてもわかってるわ。でも、私も大変なのよ。これ、見てみなさい」
「これは……」
ヴァレリが僕に手渡してきたのは、一週間の予定表である。
パッと見るなり、僕は眉をぴくりと動かした。
毎日、朝から晩まで習い事が分単位でびっしり埋まっていたのだ。
何処かの七二時間働けますかの超人がこなすような予定で、寝る以外は自由時間がほとんどない。
習い事の内容も凄くて帝国と周辺国の関係性と歴史から始まり、様々な勉学と教養、踊り、礼儀作法等々、皇后教育関係と思われるものばかりだ。
ファラがレナルーテ王国でエルティア母様から決められていたという内容に近いかもしれない。
でも、週末の時間だけ意図的に空けてあるようだ。
「あ、その週末の時間は毎週デイビッド様との面会が入るの。事実上、自由時間はないわね」
「えぇ……」
更に詳しく話を聞くと、この予定表はヴァレリがデイビッドとの婚約が決まってからずっと行っているものらしい。
最初こそ大変だったが、今は慣れて少し余裕もあるそうだ。
「まぁ、私が必死に取り組んでいることはデイビッド様も知っているから、以前より当たりは優しくなった気がするわ」
「そうか。じゃあ、少しずつ良い方向に進んでいるというわけだ」
ヴァレリが第一皇子のデイビッドと上手く結ばれてくれれば、断罪の運命が変わる可能性は高い。
辺境にいる僕には、第一皇子のことで出来ることは少ないから、彼女にはこのまま頑張ってほしいものだ。
「ところで、リッド。貴方の妹であるメルディとキール殿下が婚約したってことは、私達は親戚になるわよね」
「う、うん。キール殿下は僕の義理の弟になるからね」
そう答えると、彼女は目を細めて嬉しそうに笑った。
「私達は、より『一蓮托生』となった。つまり、運命共同体というわけね」
「運命共同体、は言い過ぎだと思うけど。まぁ、似たようなものかな」
僕はため息を吐いて肩を竦めた。
メルとキール殿下の婚約で気になる点があるとすれば、まさにヴァレリが今言った点。
『ときレラ』で断罪された悪役令嬢のヴァレリと悪役モブの僕が近しい存在になったことだ。
「一応確認だけどさ。『ときレラ』の中でも僕と君が親類関係だった、なんてことはないよね」
身を乗り出して凄むと、彼女は肩を竦めて頭を振った。
「無かったとは思うけど、断言はできないわね。私の記憶は相変わらず中途半端だし、裏設定とかだったらどうしようもないわ」
裏設定、その可能性もゼロではない。
だけど、メルはゲームでは未登場だったのに対し、キールは攻略対象のメインキャラだ。
本編で重要な位置にいるキャラの婚約者がゲームで未登場、もしくは裏設定ということがあるだろうか。
論理的に考えれば、その可能性は限りなく低いはず。
むしろ、バルディアがこれまでやって来た動きで、何かに少しずつ変化が生まれてきていると考えるのが妥当だろう。
「確かにそうなるとどうにもならないよね。でも、記憶は取り戻せそうな兆候とかもないのかい」
「それもないのよねぇ。あ、でも、『エルバ・グランドーク』のことは思い出したわよ。尤も狭間砦の戦いが終わった後だったから、力になれなくてごめんなさいね」
ヴァレリはしゅんと目を伏せた。
「いやいや、気にしなくて良いよ。それより、エルバの事で思い出したことを聞かせてほしい。僕の知らない情報もあるかもしれないからね」
「わかったわ。まず……」
彼女は、ゆっくりと話し始めた。
獣人国ズベーラの王子であり、『ときレラ』の攻略対象である『ヨハン・ベスティア』。
彼の攻略を進めた先にある最後のボスが、エルバ・グランドークの役割。
ただし、『ときレラ』では本編上で最強のボスであるため、周回要素なく倒すのは相当に至難とされる難敵だということ。
ヴァレリが思い出したというエルバの話は、僕が思い出した事と同じ内容だった。
「やっぱり、君と僕がやった『ときレラ』は同じ作品であることは間違いなさそうだね。他にも思い出したことや帝都で気になったことはなかったかな」
「そうねぇ」
彼女は腕を組みながら少し唸ると、ハッとする。
「あ、そういえば」
「どうしたの」
聞き返すと、彼女は「ふふ」と噴き出した。
「この間、父の部屋に忍び込んだら趣味の悪い白黒の仮面が置いてあったのよ。何でも、母上と一緒に参加する『仮面舞踏会用』だったらしいけど。確か前世では『ベネチアンマスク』と呼ばれていた物だった気がするわね」
「へぇ、帝都ではそんな催し物もあるんだ」
仮面舞踏会か。
人はマスクとかで顔を隠すと、普段は潜めている本性や人となりが出やすくなると聞いたことがある。
前世で社会問題になっていたネットの匿名性による中傷も、その延長線にあるとかないとか。
僕も仮面舞踏会とやらに参加出来れば、表に出てこないような情報を色々と集められそうだけど、さすがにこの背丈ではすぐに身ばれしそうだ。
とはいえ、バルディアで『仮面舞踏会』を開いても遠方過ぎて参加する貴族が集まらない。
いっそ、前世のハロウィンを模して、誰もが参加出来る仮装祭でも開くか。
その方が領内の活性に繋がって経済効果を得られるかもしれない。
相槌を打っていると、ヴァレリは気を良くしたのか咳払いをして得意そうに口を開いた。
「帝都で行われる催しは保守派、革新派、中立はがそれぞれに開くから、大体どんな集まりも同じ内容のものが三つ以上あるわね。あと、それ以外にも趣味や勉強を兼ねた懇親会が何かしら毎日開かれているわ。私も懇親会なら連れて行ってもらったことはあるけど、派閥は保守派のものだったわね」
「まぁ、エラセニーゼ公爵家は保守派の筆頭だもんね。革新派の派閥にいくと、睨まれて大変そうだ」
苦笑すると、ヴァレリは首を傾げた。
「あら、他の人は知らないけど、私の父はそんなことはないわよ」
「え。そうなの」
「父は保守派と言っても古参や純潔主義の帝国貴族達と違って、柔軟な姿勢をしているもの。革新派も皆が皆過激というわけでもないわ。まぁ、ジャンポール侯爵家のことはいつも警戒しているみたいだけどね」
「なるほどね。どの派閥も一枚岩ではない……か」
父上も同じようなことを言っていたな。
「あ、リッド。昨日はマローネ達とも会ったんでしょ。その辺についても聞かせてよ」
「うん、良いよ」
実はヴァレリとこうしてお茶をする前日、ジャンポール侯爵家のマローネとベルゼリアともお茶をしている。
彼女達からは『狭間砦の戦い』のことを色々聞かれたから、話して問題ない部分だけを伝えた。
それでも、当事者である僕から聞けたことは喜んでいたみたい。
『素晴らしいです。圧倒的な兵力差でも諦めず、果敢に挑んだことで自らの命運を掴み取ったというですね。私なら、命運が尽きたと諦めていたことでしょう』
『うん。マローネの言う通りだよ。僕も、リッドみたいになりたいな』
マローネは感動というか、心底驚嘆していたみたい。
反応が凄くて、僕が面食らってしまう。
ベルゼリアは何故かちょっと寂しそうだった。
勿論、ただ伝えただけじゃない。
二人からは、『ベルルッティ侯爵』の体調の話を少し聞けた。
現在で五十代後半であるベルルッティ侯爵は逞しく精悍な顔つきだけど、医療が発展途上であるこの世界ではそれなりに高齢の部類に入るそうだ。
その為か、体調が優れないこと自体は珍しいという感じではなく、年齢のためにしょうがないと思われているみたい。
容態としては『悪い風邪』のようなもので咳が段々と酷くなり、今は部屋のベッドで横になっているそうだ。
二人は心配していたけど、ベルガモット卿が色々動いているから直に良くなるだろうと言っていた。
正直、個人的にはベルルッティ侯爵に良い印象は持っていない。
でも、マローネやベルゼリアのように心配する人がいるなら早く良くなってほしいと思う。
大切な人が弱っていく姿を間近で見るのは、本当に辛いからだ。
「悪い風邪……ね。父上も侯爵の容態を気にしていたから、それとなく伝えておくわ」
「わかった。でも、情報を僕から聞いたっていうのは伏せてね」
「ふふ、伝え方はラティガ兄様にも相談するから大丈夫よ」
ラティガはヴァレリの兄で、彼女より手腕が信頼できる人物だ。
「そっか。それなら安心だね」
安堵して頷くと、ヴァレリが頬を膨らませていく。
「……何よ。まるで、私が信頼できないみたいな言い方ね」
「え、いやいや。そんなことはないよ」
慌てて首を横に振ったその時、彼女に尋ねたかったことを思い出した。
「そ、そうだ。君にまだ聞きたいことがあったんだ」
「あら、何かしら」
彼女が首を捻ると、僕は咳払いをして身を乗り出した。
「君から見たキール殿下の印象を教えてほしい」




