リッドとマイティ・サフロン
「ど、どうしたんですか、父上。急にそんな事を言い出すなんて……」
「急に、というわけではない。今回、お前は狐人族の襲撃を受けて拉致されたのだぞ。商人に危険は付きものだが、各国から注目を浴びるバルディアとの取引が多い商会の代表となれば尚更だ。エマや他の者に商会は任せて、お前はサフロン商会に帰ってきなさい」
困惑するクリスの問い掛けにマルティンが真剣な眼差しで告げると、マイティも身を乗り出した。
「父上の言う通りだよ。もし、人手が足りないというのならサフロン商会から優秀な者を手配しよう。クリス程ではないにしろクリスティ商会を存続、繁栄させることは彼等だってできるはずさ」
「少々お待ちください」
無粋かもしれないけど、僕は会話に入り込んだ。
「私達が必要としているのは、正確に言えばクリスティ商会ではありません。クリスが運営するクリスティ商会です。彼女のおかげで、バルディアはここまで発展できたと言っても過言ではありません。クリスティ商会の代表をクリス以外とするのであれば、サフロン商会殿と今後の取引は一旦白紙とさせていただきたい」
今の言葉に嘘偽りはない。
クリスが居たからこそ母上は一命を取り留め、第二騎士団が発足されてバルディア領内が豊かになったと断言できる。
だからこそ、こちらも引くわけにはいかない。
強い口調で告げると、マルティンの眉がピクリと動く。
「白紙、ですか。それは本気で仰っておられるのかな」
「……このようなこと、冗談で言えるわけがありません」
互いに譲らず視線を交えていると、マイティが咳払いをして畏まった。
「恐れながら申し上げます。リッド様ご自身が仰ったようにバルディアの発展には、クリスティ商会。そして、サフロン商会が持っていた大陸全土に広がる販売力や商流があってこそのはず。白紙にするとなれば我等も困りますが、御家はもっと大変なことになるのは明白。商売とは持ちつ持たれつ、共存共栄でございましょう」
「仰ることは理解できます。しかし、私達が商売における取引先として信用できるのは、クリスのみ。彼女以外は他におりません」
「そうですか。ならば、一つ苦言を申し上げましょう」
マイティはそう言うと、鋭い眼差しを向けてきた。
「リッド様が信用できると仰せになりましたが、むざむざ拉致されるという失態を犯した点はどう考えておられるのでしょう。相手側がクリスを丁重に扱った故に、事なきを得ましたが一つ間違えば命を落としていたやもしれません」
「そ、それは……」
痛いところを突かれて言い淀むと、彼は好機と言わんばかりに捲し立てる。
「父が言ったように価値ある商品と多額の金が動く以上、商人には危険が付きものです。とはいえ、命あっての物種。商売が上手くいっても、死んでしまっては本末転倒。世界に存在するものや問題は大体金で買えるか、解決できるものが多いでしょう。しかし、亡くなった命だけは金ではどうしようもありません。何より、クリスは私達の家族です。心配するのは当然のことです」
「……私、私達、バルディア家の皆も彼女のことは家族同然と思っております。そうですよね、父上」
「う、うむ。そうだな」
「なんですと……?」
父上が相槌を打つとマイティは眉を顰めるが、クリスは嬉しそうに目を瞬いた。
「リッド様、ライナー様。ありがとうございます」
「あらあら、ふふ」
ロレインは目を細めて笑みを溢している。
クリスのおかげで、バルディア家はここまでやって来られた。
彼女だからこそ、僕は前世の記憶についても伝えたんだ。
クリスの代わりなんていない、絶対にここは譲れない。
「クリスティ商会の商団が襲われ、クリスや当家のメルディを始めとする面々が拉致されたこと。当家の落ち度と言われれば、何を言い繕っても言い訳に聞こえましょう。しかし、拉致された皆が丁重に扱われて無事だったことは、間違いなくバルディア家の後ろ盾があってこそ。もし、そうした背後関係がなければ、それこそ『命』が無かったはずです」
「それは詭弁でしょう」
「いえ、詭弁ではありません」
マイティの言葉に僕はすかさず断言した。
「結果から考えられる客観的な事実です。マイティ殿がクリスを大切に想う気持ちはお察しいたしますが、彼女をサフロン商会に呼び戻すというのは過保護……いえ、籠鳥檻猿と言えるのではありませんか」
「籠鳥檻猿……私達がクリスの自由を束縛し、思い通りに生きさせないとの仰りよう。いくら何でも、それは言い過ぎではないでしょうか。リッド様」
「言い過ぎと仰るのであれば、クリスの自由を束縛している自覚が多少なりともある……というわけですね、マイティ殿」
「ほう、仰いますね。さすが、リッド様は帝国貴族のご子息だ。幼いうちから言葉の揚げ足取りがお上手ですねぇ。型破りな神童、いえ、型破りな風雲児でしたか。通り名に恥じない、実に将来が楽しみなお方だ」
「いえいえ。私なんて、まだまだですよ」
僕とマイティは目を細めて互いに微笑んでいるが、目の奥は笑っていない。
むしろ、表情とは真逆である怒りの灯火を宿して睨み合っている。
「ふっふふふ……」
「あっははは……」
マイティと睨み合って火花を散らしながら笑い合っていると、父上がわざとらしく咳払いをした。
「リッド、マイティ殿。その辺で良かろう。この件で重要なのはクリスの意思だ。まずはその点を確認すべきであろう。そうですな、ロレイン殿」
「そうどすなぁ。うちもライナー殿と同意見どす。クリス、あんたはどう考えとんの」
ロレインが問い掛けると、クリスはこの場の注目を浴びる。
「私は……」
クリスは小さく呟くと、深呼吸をしてから力強い眼差しで皆を見回した。
「私は、サフロン商会には戻りません。クリスティ商会は、私が一から育てた商会です。たとえ、父上や母上。兄さんからどんなに言われても、代表の座を誰かに譲り渡すことはできません」
彼女はそう言うと、マルティンとマイティを見やった。
「それに私が独立したのは、サフロン商会の内部分裂を防ぐためでした。バルディア家との縁ができた今の私が戻れば、確実にその問題が再燃するはずです。今更、帰ることはできません」
クリスが毅然と告げると、ロレインが目を細めて微笑んだ。
「よし、決まりや。ほな、クリス。あんたの好きにしい」
「母上⁉ 本気ですか」
マイティが目を丸くするが、ロレインは首を横に振った。
「そもそも、クリスがサフロン商会を飛び出す原因を作って、独立を許可したのはあんた達やろう」
「む……」
「そ、それは……」
マルティンとマイティが揃って決まりの悪い顔を浮かべると、ロレインはため息を吐いた。




