サフロン商会との面談
「クリスちゃあああん。ずっと会いたかったよぉおおおお」
なんと彼は風魔法を使用して空に高く舞い上がったらしく、空中で再び風魔法を発動して勢い良くこちらに飛んでくる。
「そうか。ああいう魔法の使い方もあるんだ」
ちょっと危ないかもしれないけど、慣れれば空を自由に飛び回ることもできるかもしれない。
魔法を見極めるべく身を乗り出すと、鋭い視線を感じて背筋に悪寒が走る。
「リッド。真似するなよ」
「あ、あはは。いやだなぁ、父上。僕が真似するわけじゃないですか」
「どうだかな……」
父上がやれやれと肩を竦めていると、クリスは玄関先の少し広い場所に進んだ。
「はぁ、兄さんめ」
クリスは忌々しそうに呟くと、こちらに飛んでくる人物を凄んだ。
「皆さん、危ないから少し下がっていてください」
「う、うん」
言われた通りに見守っていると、空から降りてきた彼がクリスを抱きしめようと手を伸ばす。
「クリスちゃぁああああん」
彼女は慣れた様子でその手を捌き、彼の勢いを利用して地面に叩きつけた。
見事な『背負い投げ』である。
「誰が、『クリスちゃん』ですか」
「ぐぁあああ⁉」
悲痛な叫びが響く中、クリスは何事もなかったかのように身嗜みを整えた。
「兄さん。公衆の面前で『ちゃん』はやめてください。何度言えばわかるんですか」
「……ふっふふふ、あっははは」
彼は急に笑い出すと、何事も無かったかのように颯爽と立ち上がった。
「さすが、私の愛妹クリスだ。この容赦無い感じが堪らなく愛おしいね」
「はぁ、もう良いです」
クリスは呆れ顔を浮かべると、こちらに振り返った。
「リッド様、改めてご紹介します。こちらが私の兄です」
「サフロン商会で副代表をしております、マイティ・サフロンです。皆様、よろしくお願いします」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」
白い歯を見せて微笑む彼と握手を交わす。
間近で見るマイティは、金髪の長髪と少し細い目と緑の瞳をしている。
ぱっと見は誰も振り向く眉目秀麗、クリスとよく似た美青年だ。
ただ、言動の変わりようが激しくて皆が戸惑っている。
見かねたのか、父上が咳払いをした。
「マイティ殿。普段と印象が大分違ったようだが……」
「あ、これは申し訳ない。つい愛妹と久しぶりに再会したのものですから。喜びのあまり我を忘れていたようです」
彼はそう言ってクリスに視線を向けると、再び嬉しそうに破顔する。
しかしその時、マイティの背後から笑顔で黒いオーラを発しているエルフの女性が現れた。
「へぇ、えらい嬉しそうどすなぁ。そやけど、大切な取引先の方々の前で見せる姿としてはどうやろ」
彼女は言うが早いか、彼の片耳を掴むと力一杯捻り上げた。
「は、母上⁉ 痛い、いだだだ。耳を引っ張るのはお止めください」
「ふふ。反省するまであきまへん」
目が笑っておらず、冷淡に告げる彼女は薄い金髪に緑の瞳をしている。
目元はマイティに似ているかな。
「ロレイン、それぐらいで勘弁してあげなさい。皆さんが困惑しているよ」
二人の後ろからやって来たのは、濃い金髪と緑の瞳をした男性のエルフだ。
よく見れば白い肌が少し日に焼けている。
「改めまして、サフロン商会代表のマルティン・サフロンです。そして彼女が……」
「ご挨拶遅れて申し訳あらしまへん。うちは彼の妻で、ロレイン・サフロンどす。サフロン商会では経理と会計を行っとるさかい、これからよろしゅうおたのもうします」
「よろしくお願いします」
ロレインさん、独特な喋り方だ。
マルティンとマイティは商談の場に立つことが多いから、喋り方を矯正したのかもしれない。
そう考えると、クリスも昔はロレインさんみたいな口調だったのかも。
二人と交互に握手を交わすと、マルティンがクリスに振り向いた。
「さて、クリス。こうして直接会うのは久しぶりだな」
彼はそう言うと、彼女を優しく抱きしめた。
「無事で良かった。狐人族に拉致されたと聞いた時は、私を含めて皆心配したのだぞ」
「ち、父上……。はい、ご心配をおかけしてすみませんでした」
感動的な雰囲気が辺りに漂い、皆が涙ぐむ。
でも、マルティンを見やれば厳格な表情が段々と崩れていき、程なく破顔した。
「うーん。やっぱり、うちのクリスちゃんは可愛いねぇ」
あ、この人。
さっきのマイティと親子で間違いない。
「マルティン。あんたまで何をしてるんどすか」
「痛い、いただだ。耳は、耳は止めてくれ」
マイティ同様、サフロンに片耳を力一杯捻られた彼は苦悶の表情を浮かべながらクリスから離れた。
感動的な雰囲気が一瞬で崩れ去っていく。
目の前のやり取りに唖然としていると、クリスが決まりが悪そうな顔を浮かべた。
「す、すみません、騒がしい家族で……」
「いやいや、楽しそうなご家族で良いんじゃないかな。あはは……」
僕は首を横に振って笑みを浮かべた。
サフロン商会の人達がこんな感じとは思わなかったな。
父上も何とも言えない表情をしているから、彼等のこうした姿を見るのは初めてなのかもしれない。
「では、立ち話も何ですから応接室に参りましょう」
父上が切り出すと、僕達は場所を移動した。
◇
部屋に辿り着くと僕達とクリス、マルティン達で机を囲むようにソファーに腰掛けた。
確認の意味を込め、これまでと今後の動きを僕と父上が説明する。
狐人族とバルディアの連携強化に伴い、クリスティ商会のズベーラ進出。
いずれ分かることだから、メルとキール殿下の婚約の件についても語った。
サフロン商会の彼等は最初に対面した時の様子が嘘のように真剣な表情を浮かべ、時に鋭い質問もしてくる。
これが本来、というか父上と普段接する彼等なのだろう。
クリスと話す時より、不思議な緊張感がある。
マルティン達は揃って笑顔で暖かい雰囲気を醸し出しつつ、こちらの話が進みやすいよう適時に相槌を打ちながら軽い身振り手振りで反応を示すけど、ずっと目の奥が笑っていない。
油断すれば反応に気を良くして、気付けば彼等にとって有利な契約を結ばされてしまいそうだ。
『優秀な営業は話し上手より聞き上手』
『頭の良い営業は、馬鹿を演じる』
なんて言葉が前世にあったけど、それを体現したような人達だなぁ。
「……なるほど。バルディア家のメルディ様とキール殿下が仮婚約。バルディアは新体制の狐人族と技術提携と連携強化ですか。これまた、数年前には考えられなかった状況ですな」
僕達が状況を伝えると、マルティンは感嘆した様子で相槌を打った。
「うむ、当事者の私ですら驚いているよ」
父上がやれやれと肩を竦めると、室内に笑い声が響く。
室内の張り詰めた空気が緩んだ今が、切り出し時かな。
僕は彼等を見回して口火を切った。
「それでどうでしょうか、マルティン殿。クリスティ商会のズベーラ進出に伴い、貴殿達の伝を活用させてもらいたい所存です。商圏が重なるのは不本意かもしれませんが、クリスティ商会、サフロン商会の販売力とバルディアの製品と開発力があればズベーラの市場を独占……とまでは言いませんが、かなり範囲を占めることはできるはずです。御商会にとっても悪い話ではないかと」
「そうですな。サフロン商会とクリスティ商会のここ数年の売り上げ増は目を見張るものがありますが、それはバルディア家の皆様とのご縁があってこそです。是非、今回も協力させていただきたい」
「……⁉ ありがとうございます」
マルティンの想像以上に早い返答を聞けて笑みを浮かべるが、彼は笑顔で「ただし……」と付け加えた。
「クリス、お前はサフロン商会に帰ってこい」
「え……」
予想外の言葉に、室内の空気は再び張り詰めた。




