新たな商人との対面
事の発端は、マチルダ陛下と彼女が商談を行ったある日のこと。
必要な打ち合わせが終わると、マチルダ陛下は軽い様子で切り出したそうだ。
「ねぇ、クリス。貴女、バルディア家のお屋敷にもよく出入りしているのでしょう」
「そうですね。打ち合わせはお屋敷でしますから、それなりに出入りはさせていただいております。でも、それがどうかされましたか」
クリスが首を傾げると、マチルダ陛下は口元を緩める。
「それなら、ライナーやナナリーと一緒に子供達が描かれた絵を見たことがあるかしら」
「え……?」
質問されて思案するが、クリスは首を横に振った。
「うーん、見た記憶はありませんね。ライナー様のご両親の絵ならあった気がしますけど」
「あら、それはいけないわ。可愛い盛りなのに絵を残さないなんて、絶対にナナリー達は後悔するはずよ。私が良い画家を紹介してあげますから、クリスから上手く伝えてバルディア家の家族絵を描いてもらいなさい。勿論、私の紹介というのは伏してね」
「えぇ⁉ ど、どうして、私がそのようなことをしなければならないのでしょうか」
必死に抵抗したが、マチルダ陛下は諦めずに食い下がったそうだ。
クリスは訝しむが、無下にすることもできずに渋々妥協案を提示したらしい。
「わ、わかりました。そこまで仰るなら紹介だけは承りますけど、私にはそれ以上はできません。それでも良ければ、お話だけはしてみますが如何でしょうか」
「えぇ、それで構いませんよ」
目を細めて頷いた時、マチルダ陛下の目は笑っていなかったらしい。
「……という訳なんです。申し訳ありませんでした」
クリスが頭を深く下げたので、慌てて顔を上げてもらった。
「いやいや、そんな気にしなくていいよ。立場上、クリスも色々大変なのはわかってるからさ。でも、なるほどねぇ」
彼女の話から推理するに、マチルダ陛下はバルディアから化粧水を売り出された頃からメルとキールの婚約を検討していた可能性が高い。
マチルダ陛下が現バルディア家の家族絵が屋敷にあるかどうかを尋ねたのは、描いた画家を呼び寄せてメルの容姿を描いてもらうつもりだった、というところか。
クリスから家族絵が無いと聞き、マチルダ陛下の息が掛かった画家を紹介することにしたのだろう。
でも、婚約の最終判断は最近かもしれないけど、どうしてそんなに前から考えていたのかは少し気になる。
クリスティ商会と父上の活躍からバルディアが発展すると見極めたとも考えられるけど、皇族の相手として選ぶ理由には弱いと思うんだよねぇ。
マチルダ陛下には、何か別の思惑でもあるのだろうか。
考えを巡らせていると、ふいに部屋の扉が叩かれた。
「リッド様、クリス様。サフロン商会の皆様が間もなく門前に到着されるようです」
声の主はカルロだ。
「わかった。じゃあ、玄関まで出迎えに行こうか」
「そうですね。でも、まさか私の『家族』が総出で挨拶に来るとは思いませんでしたよ」
クリスは頷くと、苦笑しながら頬を掻いた。
今日はサフロン商会の代表達が僕達と対談するため、バルディア邸にやって来る。
本当はもっと早く対談はしたかったんだけど、僕は辺境にいるからサフロン商会の面々と会う機会に恵まれなかった。
帝都で懇親会を開いた時もサフロン商会の都合が会わず、僕は代表者達との対談を果たせなかったのだ。
父上は彼等と何度か対談したことはあるし、僕も懇親会に来てくれたサフロン商会の人達と挨拶は交わしている。
現状、サフロン商会との取引に支障はないから、あくまで僕だけが代表達と会えていないだけなんだよね。
僕が彼等と初対面となる今回の対談目的は、獣人国ズベーラにおいてクリスティ商会とサフロン商会の商圏が重なるための根回し。
今後、取引増加と連携強化を図ることだ。
サフロン商会の主な商圏は帝都を境に帝国西側半分、アストリア王国、教国トーガ、獣人国ズベーラ。
クリスティ商会は帝都を境に大国東側半分、レナルーテ王国、ガルドランド、バルストとなっている。
綺麗に棲み分けが成されているのは、クリスがサフロン商会出身だからだ。
元々、クリスはサフロン商会で次期代表と目されていた兄を支えるつもりだった。
でも、彼女が実績を出していくと、『クリスが次期代表となるべき』という声がサフロン商会の中で出始めたそうだ。
商会の分裂を感じ取った彼女は、悩んだ末にサフロン商会の商圏と重ならない新天地で新たな商会を立ち上げることを決意し、大陸の東を目指す。
そして、バルディア領に辿り着いたそうだ。
部屋を出て廊下を一緒に歩く彼女を、僕は横目で見やった。
「そういえば、サフロン商会でクリスのお父さんは代表、お兄さんは副代表なんだよね。クリスの目から見てもやっぱり凄い人なの」
「はい。身内贔屓になるかもしれませんが、商人としては私以上です。父と兄は少し誤解されやすいところがありますけどね」
「誤解……?」
彼女の答えに首を傾げたところ、「リッド」と名前を呼ばれて前を向くと父上が立っていた。
「クリスとの打ち合わせは終わったか」
「はい、先程終わりました」
「そうか。では、サフロン商会を出迎えるとしよう」
父上がそう言うと、玄関の大きな扉をカルロとディアナが丁寧に開けていった。
玄関を出て門前を遠巻きに見つめると、ルーベンスと思われる騎士がサフロン商会の紋章が入った馬車の扉を叩いている。
サフロン商会の紋章は花と車輪を掛け合わせたもので、こうして間近で見るのは初めてだ。
でも、見知った絵柄にそっくりだった。
「あれ、あの紋章の絵柄は……」
「はい。クリスティ商会の紋章に使われている絵柄と同じものです」
僕が呟きに反応して、クリスが頷いた。
「サフロン商会は紋章は絵柄一つで、クリスティ商会はあの絵柄を二つ重ねています。見る人が見れば、すぐに繋がりがわかるよう工夫したんです」
「へぇ、なるほどね」
僕が相槌を打つ間にサフロン商会の馬車の扉が開かれ、クリスと同じ金髪の髪を靡かせた美青年が降り立った。
あれがお兄さんかな。
遠くから見てもクリスとよく似ている。
彼は何かを探すように辺りを見回すと、ハッとしてこちらに手を振り始めた。
そして次の瞬間、彼を中心に暴風が吹き荒れる。
「な、なにごと⁉」
呆気に取られていると、空から明るい声が響き渡った。
「クリスちゃあああん。ずっと会いたかったよぉおおおお」




