帝城からの帰途
帝城からバルディア邸に向けて馬車で帰る道中、車内は重い雰囲気が漂っていた。
父上は腕を組んで目を瞑り、ずっと険しい表情を浮かべている。
謁見の間で想定外の出来事が次々と起きたせいだろう。
「少し、よろしいでしょうか」
声を掛けると、父上はゆっくりと目を開けた。
「どうした」
「今更ですが、メルの婚約の件は本当によろしいのですか。父上が本気で固辞すれば、陛下達も諦めたとは思います」
これは正直な気持ちだった。
謁見の間で急に持ち出された時、父上が本気なら固辞することもできたはずだ。
勿論、断れば陛下達の面目を潰すことになるし、バルディア家の立場が悪くなる可能性は高い。
現実的には難しいとは思うけど、父上があの時に何を考えていたのかは聞いてみたかった。
「良くはない」
そう呟くと、父上は首を横に振った。
「だが、アーウィンの言うとおり、バルディアは帝国内での影響力を持ったのだ。今後、メルを狙う様々な者達が現れるだろう。しかし、仮とはいえ皇族と婚約したのだ。何処ぞの馬の骨がメルに近づくことは、これで牽制できるはずだ。方々からやっかみで睨まれることになるだろうがな」
国内外でバルディアの存在が大きくなっていることから、父上もメルの将来を心配していた部分があったみたい。
謁見の間における突然の出来事ではあったけど、父上なりに色々と天秤に掛けた結果、メルとキールの婚約を認めたというところだろう。
「なるほど。では、後はこの件を母上とメルが納得してくれるかどうかですね」
「その点は、丁寧に説明するしかないな。だがな、リッド。お前も人ごとではないのだぞ」
「え、どうしてですか」
首を傾げて聞き返すと、父上は身を乗り出して不敵に口元を緩めた。
「バルディアと近づくため、メルを狙っていた者達にとってキール殿下との婚約は寝耳に水になるだろう。そうなれば、再びお前に焦点が当たることは目に見えている。また、縁を求めた手紙が沢山届くことになるかもな」
「ま、またですか」
以前、あちこちの令嬢から縁談の申し込みが届いたことが脳裏に蘇る。
あの時は、ファラとの惚気を書いた手紙を返信して諦めてもらったんだよね。
カペラやバルディア邸の執事ことカルロの代筆協力を得て、ひたすらに書いた記憶がある。
「あれはもうごめんです」
首を横に振ると、父上は楽しそうに笑っていた。
◇
帝城から帰ってきた当日、父上は通信魔法が扱えるシルビアを通して謁見の間での出来事をバルディアのガルンへ連絡。
彼を通して母上に事の次第を伝えたそうだ。
ちなみに、現在の本屋敷はアモンとの会談の際に壊れた部分を修繕中のため、母上を始めとする皆が過ごす場所は新屋敷となっている。
父上が連絡して間もなく、母上からもバルディアにいるサルビアを通して『もっと詳しく聞きたい』という折り返しがあって夜遅くまで話し込んだみたい。
翌日、父上とシルビアの目には隈ができていたのでお察し。
一方の僕には、父上の予言通りにまたあちこちの貴族から僕宛に手紙が届いていた。
内容を要約すれば、『娘と友達となり、仲良くしてほしい』ということである。
今回は令嬢直筆のものはなく、全て親が書いたと思われる筆跡ものだった。
どうやら『惚気手紙大作戦』は、それなりの効果があったらしい。
何にしても断ることには変わりないけど、返信作業中に僕はあることに気付いた。
「あれ。この手紙で紹介されてる令嬢の方々、僕と歳が離れている人ばっかりだ」
首を傾げていると、返信作業を手伝ってくれていたカルロが目を細めて笑みを浮かべた。
「おそらくですが、前回の手紙でリッド様と年齢の近い令嬢は難しいと判断されたのでしょう。そして、リッド様の周りにはクリス様やサンドラ様がいらっしゃいます。『年上』なら可能性が残っているのでは、という思惑ではないでしょうか」
「えぇ、諦めが悪いなぁ。僕は前回の返信でファラ以外に興味はないって、公言したようなものなのに」
「貴族の皆様にとって、リッド様は簡単に諦められる方ではないということでしょう」
カルロの説明を聞いて、がっくり項垂れて机に突っ伏した。
全て断る。
言葉なら一言で終わるけど、先方に失礼のない文面を考えて手紙を執筆するとなれば、負担は意外と馬鹿にできない。
そのうち、腱鞘炎になってしまうかもしれないなぁ。
この世界に『パソコン』は存在していないから、手紙は基本的に直筆で書かないといけない。
相手や内容次第では、カルロやカペラに代筆をお願いすることは可能だ。
僕はまだ『嫡男』という立場に過ぎないから、目上の先方には失礼の無いように返信は基本的に直筆でなければならない。
なお、貴族に仕える執事達の多くは当主の筆跡を模写できることがとても重要視されているそうだ。
「はぁ、こうした執筆作業も改善方法を考えないといけないね。バルディアに帰ったら、エレンとアレックスに相談してみるよ」
「改善ですか。実現を楽しみにしております」
「うん、期待してて。さぁ、お昼には来客があるから残りをさっさと終わらせよう」
「畏まりました」
頷くカルロと共に、僕は返信作業を急いで終わらせるのであった。
◇
返信作業を午前中に終わらせ、お昼過ぎになるとバルディア邸にクリスティ商会の代表であるクリスがやってきた。
彼女を応接室に通すと、僕は帝城での出来事を説明する。
バルディアにとって、クリスティ商会はもはやなくてはならない存在であり、出来る限り情報共有をしておく必要があるためだ。
勿論、事前に父上から許可も下りている。
「……というわけでね。まだ公に発表はされていないけど、メルとキール殿下が仮婚約をすることはほぼ決定。僕もバルディアに戻ったら、すぐに狐人族の領地に出向くことになると思う」
「それは大変でしたね」
「うん。以前、クリスがくれた手紙に『マチルダ陛下がやばい』って書いてあった意味がわかった気がしたよ」
肩を竦めると、クリスは噴き出して笑みを溢した。
「マチルダ陛下は笑顔の裏で、色々と多面的に考えていらっしゃる方ですからね。あくまで噂ですが、帝国の諜報機関をまとめてアーウィン陛下を裏で操る女帝という話もあるぐらいです」
「へぇ、そんな噂があるんだ。でも、火のない所には煙は立たないっていうから案外、本当だったりするかもね」
帝国ほどの大きい国家が諜報機関を持っていない、ということの方が国家として問題だろう。
行き過ぎた情報統制は問題だけど、平和維持のため国内外の情報収集を行うことは、国家の安全を守るためには必要なことだ。
実際、狐人族の状況やガレスやエルバ達の情報がもっと事前にあれば、『狭間砦の戦い』はもっとバルディア有利の形で終わっていた可能性もある。
情報というのは、それほど重要なものだ。
「まぁ、マチルダ陛下ご本人に冗談がてら尋ねてみたら、『あら、それ良い噂ね』と笑っていましたけどね」
「マチルダ陛下らしいね」
二人揃って笑みを溢す中、マチルダ陛下とのとあるやり取りを思い出して僕はハッとした。
「あ、忘れてた。クリス、前に僕達、バルディア家の肖像画を描こうって提案してくれたよね。あれって、マチルダ陛下の指示だったんでしょ」
「う、その件はですね……」
クリスは決まりの悪い顔を浮かべ、当時の事を語り始めた。




