サンドラ・アーネスト
「サンドラ……サンドラ・アーネストですって」
グレーズ公爵が驚愕した声を上げ、謁見の間が騒然とする。
「皆、静まれ」
アーウィン陛下は貴族達に凄んだ後、サンドラに目をやった。
「数年ぶりか、確かに久しいな。息災であったか、サンドラ」
「はい。ライナー辺境伯のご配慮で、バルディア領に身を寄せておりました」
僕に魔法を教えてくれた先生であり、母上の主治医でもあるサンドラ。
元々彼女は、魔力回復薬を作るべく、優秀な人材を身分関係なく集めて発足された『帝国魔法学研究所』の所長に抜擢された才気溢れる人物だった。
だけど、一部の貴族が『身分関係』なく集められた人材に予算が付くことをよく思わなかったらしい。
彼等から様々な嫌がらせを受け、折角集まった優秀な人材は次々と研究所を去ってしまったそうだ。
そのため研究は思うように進まず、結果を出せないままにサンドラは責任を追う形で辞任させられ、帝都を追いやられてしまう。
そんな彼女に手を差し伸べたのが、父上だった。
母上を救うべく様々な文献や情報を集めていた父上は、サンドラの才能にも着目していたらしい。
でも、優秀な人材が次々と去っていき、才能があるサンドラまでもが辞任する様子を目の当たりにした父上は、内心で憤慨していたそうだ。
僕が記憶を取り戻す以前の話だから、当時で考えれば母上が助かるかもしれないという淡い期待を父上は抱いていたのだろう。
それを目の前で潰されたのだから、怒るのも無理はない。
母上を救うため、何処かで何か繋がるかもしれない……父上はそうした想いがあったんだと思う。
「そうであったか。では、貴殿がバルディア領で独自に研究を続けた結果、『魔力回復薬』を完成させるに至ったと考えてよいのだな」
「陛下の仰せの通りです。もう少し具体的に申しますと、ライナー辺境伯の奥様であるナナリー様の治療薬を研究開発していく中、様々な偶然が重なり生まれたものになります」
サンドラが一礼すると、感嘆の声があちこちから漏れ聞こえてくる。
「お待ちください。もし、このサンドラが『魔力回復薬』を完成させたのであれば、研究所で得た知識を流用したことになります。従いまして、元を辿れば『魔力回復薬』の完成は研究所の実績でございましょう」
グレーズ公爵が声を荒らげて躍り出た。
サンドラが帝国魔法学研究所を去った後、所長の後任者はグレーズ公爵が推薦した人物になっているそうだけど、結果は出ていないと聞いている。
サンドラが魔力回復薬を完成させたという事実は、グレーズ公爵からすれば面目丸つぶれだ。
とはいえ、良くもいけしゃあしゃあと実績を寄越せと言えるなぁ。
面の皮の厚さだけは、目を見張るものがあるかもしれない。
言いがかりに近い指摘に、サンドラは不敵に笑って首を横に振った。
「これは異なことを申されます。『何の研究も進まず、成果も出せていない』ということで、私は研究所の所長を辞任いたしました。そのことはグレーズ公爵を始め、この場にいる皆様は良くご存じでございましょう。故に、私が研究所で得られた知識などほとんどございませんので悪しからず」
「爵位も持たぬ存在が……私に意見するつもりですか」
視線だけで人を殺せそうな目つきでグレーズ公爵は凄むが、サンドラは意に介さず肩を竦めておどけた。
「いえいえ、私は過去に得た経験と記憶から事実を申し上げたまでのこと。嘘も百回通せば事実となる……まさか、そのような世迷い言を研究所の時に『とてもお世話になった』かの魔法学で名高きラザヴィル家の現当主。グレーズ・ラザヴィル公爵が、自ら実践するとは考えてはおりません。えぇ、微塵も思っておりませんとも」
「小娘が……」
サンドラとグレーズ公爵。
二人は笑顔を浮かべているけど、凄まじい視線で火花を散らしている。
異様な雰囲気に謁見の間にいる誰もが息を呑んでいると、マチルダ陛下が咳払いをした。
「二人共、その辺にしておきなさい。それより、サンドラが言った『様々な偶然』について聞きましょう。そうすれば、開発成功の原因が何処にあるのかはすぐにわかることです。よろしいですね、陛下」
「う、うむ。そうだな。では、サンドラ。改めて聞かせてもらうぞ」
「畏まりました」
サンドラは会釈して顔を上げると、魔力回復薬の開発経緯を丁寧に語り始めた。
バルディア領にやってきたサンドラは、母上の魔力枯渇症を治すべく研究を始めるが中々成果が出ない日々が続く。
そんなある日、父上の息子である僕が母上を助けたい一心で『とある物語』に着目、魔法の先生でもあった彼女に伝えた。
内容は、エルフ国アストリアに伝わるこんな話だ。
『日々弱っていく家族を救うため、子供が奥深い森の中を進み、森の神から与えられる様々な困難に立ち向かう。結果、月光に照らされ輝く薬草を手に入れる。これを弱っている家族に飲ませると、たちまち回復していく』という物語だ。
アストリアに伝わる古い物語を、バルディア領にいる僕が何故読めたのか。
それは、父上が母上の治療に繋がりそうな文献を片っ端から買い集めていたからに他ならない。
屋敷の書斎には、各国の薬草にまつわる資料や伝承が大量にあったのだ。
サンドラは当初こそ懐疑的だったけど、『こうした伝承には必ず何か元になった何かがあるはずだ』と僕が熱弁。
治療薬への糸口が見つからない中、熱意に押されたサンドラは、藁にも縋る思いでアストリアに販路のあるクリスティ商会に相談。
結果、物語に出て来る月光に反応して光る薬草、『月光草』の入手に成功。
錠剤に加工して投与したところ母上の体調に回復の兆しが見られたのだ。
しかし、母上の病状が完治することはなく、月光草による治療薬を投与しながら『魔力枯渇症』の特効薬研究開発は引き続き行われていく。
そして、レナルーテ王国で『魔力枯渇症』を独自に研究していたダークエルフのニキークと僕が偶然に出会ったことで、特効薬に繋がる薬草が見つかったとサンドラは説明する。
「以上の経緯から、ナナリー様の治療過程で月光草を用いた錠剤に魔力を回復させる効果があることは間違いありません。また、レナルーテで得た薬草を用いて開発した薬を併用したところ魔力枯渇症の症状が改善。現在、ナナリー様はリハビリを行えるまでに回復しております」
気付けば、謁見の間にいる貴族達は固唾を呑んでサンドラを見つめていた。
「今、お伝えした魔力回復薬と魔力枯渇症の特効薬の原料発見は全くの偶然であります。強いて言えば、ナナリー様を救おうと必死に奮闘したライナー辺境伯とご子息のリッド様。二人の行動が呼び込んだ偶然と言えるでしょう。従いまして、グレーズ公爵の仰った『研究所で得た知識の流用』には一切あたりません。私を含め、研究所を『辞めた者達』を呼び集め、多額の予算を投じて下さったバルディア家の実績に間違いないでしょう」
サンドラが胸を張って両陛下と貴族達に向かって告げる。
勿論、彼女が説明した内容は、全て事前に打ち合わせていたものだ。
狭間砦の戦いでは、ありったけの魔力回復薬を信頼できる騎士や第二騎士団の皆に配っている。
緘口令したところで、魔力回復薬の存在が公になるのは時間の問題だった。
母上の魔力枯渇症の完治に目途が着き、原料となる薬草の生産体制もレナルーテとの連携で整ったことで薬を公にすることにしたわけだ。
当然、父上から両陛下には事前に通達して打ち合わせもしてもらっている。
「……おのれ、小娘如きが」
グレーズ公爵が臍を噛んで凄むが、サンドラはドヤ顔を浮かべてどこ吹く風である。
あの二人、相当な怨恨と因縁があるみたい。
「仔細、承知した。ライナーやリッドの必死な思いから生まれた偶然が様々重なり、奇跡に至ったというわけだな」
「えぇ、素晴らしいことです。ですが、世の中とは案外そうした偶然によって出来ているものなのでしょうね、陛下」
「うむ、マチルダのいう通りだな」
両陛下は合点がいった様子で顔を見合わせると、アーウィン陛下が再びサンドラに目をやった。
「時に、サンドラ。貴殿は、実家であるアーネスト家と絶縁状態だと聞いている。間違いないか」
「……はい。お恥ずかしいことですが、どのような経緯があろうとも私が研究所の所長として結果を出せなかったことは事実です。従いまして、私から家族へ絶縁を申し出ました」
「そうか、それは辛かったであろう。しかし、サンドラ。魔力回復薬と魔力枯渇症の特効薬の開発。加えて、ライナー辺境伯の妻であるナナリーを救ったこと。これらは、名誉挽回して余りある功績だ。故に異例だが、貴殿に新たな姓として『フローライト』の名を与え、伯爵の爵位を授けよう。これからは『サンドラ・フローライト』と名乗るがよい」
皇帝が不敵に笑うと、謁見の間にいる貴族達が騒めいた。
でも、サンドラは冷静な様子で首を横に振る。
「陛下、恐れながら『伯爵』は辞退させて頂きたく存じます」
貴族達は目を大きく見開いて驚きの声を上げる。
彼女は、再びこの場の注目を一身に浴びた。




