戦後処理
「先に行われた狭間砦の戦いにおいて、我等の故郷バルディア領と最愛の家族。そして、領民を守るため、ここに眠る騎士達は責務を果たすべく己の一命を捧げた。故に彼等の勇気と勇姿を我等は生涯忘れず、誇りとして生きていかねばならない。それが未来を託された、今を生きる我々の責務である」
戦死者追悼式典で前に立つ父上は、いつもと違う黒を基本とした正装を身に纏い普段以上に厳かな声を轟かせた。
会場の席では僕の隣にファラが座り、父上の隣には母上とメルが並んで座っている。
前に立つ父上の正面には、団長のダイナスや副団長のルーベンスを始めとするバルディア第一と第二騎士団の面々が並び立つ。
彼等のさらに後方には、沢山の遺族方々が式典を見守っている。
ガレスやエルバ達が狐人族を引き連れて侵攻してきた狭間砦の戦いから、約三週間が経過した。
あの戦いの後、僕はバルディア領の屋敷に着くなり疲労から倒れてしまう。
それから三日三晩眠り続けてしまい、ファラや母上を始めとして沢山の人にまた心配を掛けてしまった。
目を覚ました僕が最初にしたこと。
それは、副団長クロスの最期をティンク達に伝えることだった。
彼がいかに勇敢であり多大なる功績を残したのか。
加えて初日にクロスが狭間砦を守ってくれなければ、僕達は確実に負けていただろう。
「泣きません。パパは立派に騎士の責務を果たしたんです。だから、パパの娘である私は喜ばないといけないんです……」
ティスは気丈に振る舞うも、目からは涙が溢れてしまい嗚咽を漏らす。
ティンクはその場に立ち上がると、深く頭を下げた。
「リッド様、申し訳ありません。少しだけ席を外してもよろしいでしょうか?」
「うん、それは構わないけど……」
「ありがとうございます」
彼女は顔を上げると、ティスに目をやった。
「私は外で泣きます。貴女は、ここで泣きなさい」
ティンクが退室して扉の閉まる音が響くと、ティスは堰が切れたように大声で泣き始める。
僕はティスの隣に座ると、彼女を優しく抱きしめ、落ち着くまでずっと傍に寄り添った。
耳をすませば、外からティンクのすすり泣く声も聞こえてくる。
この時の僕は、二度とこんな悲しみを起こさないよう決意していた。
一方の父上はというと、ガレスを討ち果たしたことで新たな部族長となるアモンの立場を確実なものとするべく、戦に勝利した勢いそのままに狐人族の領地へ入り、そのまま首都フォルネウまで駆け上がった。
狐人族の首都に辿り着いた父上達が遠目にした最初の光景は、グランドーク家の豪華絢爛な屋敷から煙が上がり、激しく燃え盛る様子だったという。
ガレスとエルバが敗れたことで、秘密や繋がりの露見を恐れる何者かが火を放った可能性が高いと目されているが、犯人は未だ見つかっていない。
「情報を得られなかったことは残念だが、これはグランドーク家が新たな門出を迎えた『象徴』にもなる。『アモン・グランドーク』が新しい部族長として凱旋を果たしたと、皆で鬨の声を上げるのだ」
燃え盛る屋敷を遠目にして唖然とするアモンや戦士達を見た父上は、即座にそう語りかけたそうだ。
首都に入ると戦士達は父上の言葉通り、ガレスをアモンが討ち取ったこと。
新たな部族長となったことを声を高らかに叫び、本屋敷の焼失は狐人族の新たな門出の象徴であると流布したのである。
これは多大なる宣伝効果を生み出し、燻っていたガレス派残党勢力もアモンを部族長として認める結果に繋がったそうだ。
勿論、グランドーク家の長女ラファ・グランドークがアモンを部族長として認める発言した影響も大きいだろう。
ラファは、狐人族でエルバに次ぐ実力者と目されていた人物でもある。
狭間砦の戦いでガレスが討死。
エルバとマルバスが敗走したという情報が戦場を駆け巡る混乱の最中、彼女がアモンの支持を大々的表明したことで、戦場にいた豪族達も次々とアモンの支持を表明する流れができたのだ。
ガレスの豪族に対する優遇政治、エルバの圧倒的な力による統率、それらを上手く活用して調整を行うマルバス、国内外の情報を集めるラファ。
狐人族の前政権は主にこの四名で運営されていた。
その内、三名が今回の戦で失脚。
唯一残ったラファがアモンの政権を支持したことにより、豪族達はアモンを支持するしかなかったのだ。
もしあの時、ガレスとエルバ派の豪族達が徹底抗戦の構えを見せたとしても、ラファが率いる一万を超える無傷の軍勢、アモンを支持する豪族、バルディア騎士団が叩き潰したことだろう。
豪族達の中には戦場で支持を表明しつつ、政治の駆け引きでアモンを上手く手なずけようという考えもあったのかもしれない。
しかし、父上がそうはさせなかった。
実務に慣れないアモンを補佐する形を取りつつ、父上はラファの協力も得て新たな政治体制を早急に構築。
その手腕には狐人族の豪族を始め、アモンとラファも驚愕させるほどだっという。
短期間でアモンを新たな部族長とする新体制を確立させた父上は、すぐに前部族長であるガレス・グランドークの部族葬に着手。
勿論、表向きに取り仕切ったのはアモンだ。
部族葬には、獣人国ズベーラの現獣王セクメトス・ベスティアを始めとする各部族長全員が足を運んでくれたと聞いている。
錚々たる面々が一堂に会した部族葬になったそうだけど、獣王を始めとする各部族長が参列したということは、アモンを狐人族の部族長として名実ともに認めるという意思表示に他ならない。
実子のアモンを捨て駒にしてまでバルディア領侵攻の達成を目指し、狐人族に圧政を敷いていたガレス・グランドーク。
彼の部族葬によって、アモン・グランドークが新たな部族長として名実共に周辺諸国でも認められたわけだ。
何とも皮肉な話である。
敗走したエルバとマルバスは、未だ行方知れずだ。
今回の侵攻と狐人族全体に圧政を敷いていた中心人物でもあるため、多額の賞金を掛けた上で指名手配されている。
周辺諸国にもすでに伝えられており、冒険者ギルドでは過去最高額の懸賞金に腕に覚えのある冒険者達が沸いたそうだ。
僕との戦いで左腕を失ったとはいえ、あのエルバが簡単にやられるとは思えない。
いずれ、また対峙する可能性は考えておくべきだろう。
獣王達との挨拶も終え、ガレスの部族葬が終わって新政権に目処が立つと、父上はようやくバルディア領への帰途に就き、戻ってきたのがつい先日のことだ。
狐人族の領地で父上が新体制を整えている間、僕は皆の力を借りつつ新屋敷の執務室で戦後処理に奔走していた。
今回の戦で亡くなった騎士達の氏名と人数確認から始まり、遺族への補償。
襲撃を受けた本屋敷、新屋敷、狭間砦における損害状況の確認と修理費の計算を行い、狐人族に請求する賠償金を算定。
多忙な日々を送る中、一通の手紙が届く。
それは、クロスからのものだった。
『この手紙を読んでおられるということは、私はこの世にいないのでしょう。リッド様はとてもお優しいお方ですから、心を痛めていないかがだけがとても心配です。しかし、私の死を悲しむ必要はございません。バルディア家に仕えた時から、いつかこういう事になることは考えておりましたし、騎士の責務を果たしたに過ぎません。何より、リッド様は我が息子クロードに会いに来られ、素晴らしい逸品を授けてくださいました。私はバルディア家にお仕えできて心から感謝しております。もし戦場で私がリッド様を守り死んだのであれば、私は自分自身の死を誇りとするでしょう』
「クロス……」
読んでいるうちに涙が溢れて頬を伝い、手紙を濡らしていく。
走り書きで描かれた文字は、ところどころ筆跡が乱れている。
きっと、戦が始まる時間の無い中で色々な感情を想い巡らせていたはずだ。
『ですが、私にも一点だけ心残りがございます。それは愛する妻のティンク、娘のティス、息子のクロードのことです。家族の悲しみが少しでもやわらぐように、以前から書き残した手紙が沢山あります。どうか、これを私の愛する家族。それぞれの誕生日に毎年送り届けてほしいのです。身勝手なお願いではありますが、どうかよろしくお願いします』
「わかった……約束するよ」
読み終えた手紙を綺麗に封筒に戻すと、すぐにクロスから頼まれた『沢山の手紙』を僕は確認するように指示を出す。
程なく、カペラが手紙が大量に入った大きな木箱を持ってきた。
「え、これ全部⁉」
「はい、左様でございます。クロス様は、奥様、ご息女、ご子息の皆様が百歳まで生きたと仮定して手紙をひたすら書きためていたようでございます。愛の深さに驚嘆するばかりです」
「そうだね……」
木箱の中を覗けば、彼の言うとおりクロスの家族それぞれに充てた手紙が何通もある。
これを、毎年それぞれに届けてほしい……か。
クロスが家族の自慢をしていた時の姿が脳裏に蘇り、思わず噴き出した。
「ふふ、愛妻家のクロスらしいね」
「はい。全くでございます」
翌日、僕はティンクとティスの元を訪れた。
「急に訪れてごめんね」
「とんでもないことでございます。どうか、頭を上げてください。こうして来て頂けるだけで、私達にとって大変光栄なことでございますから」
頭を下げると、ティンクは慌てた様子で首を横に振った。
横目で彼女の隣に座るティスに目をやれば、やっぱりいつものような明るさはない。
傍に控えるディアナに目配せをすると、彼女は二通の封筒を鞄から二人へ差し出した。
「……これは?」
封筒を受け取ったティンクとティスは、首を傾げて訝しむように封筒を見つめてハッとする。
宛名の筆跡に気付いたのだろう。
「うん。それは、君達にクロスからの手紙なんだ。クロードも含めて、君達が百歳の誕生日を迎える分まで預かっているよ」
「えぇ⁉ ひゃ、百歳ですか⁉」
「……あの大馬鹿」
ティスは目を丸くし、ティンクは呆れ顔で首を横に振った。
でも、二人の目は潤み、嬉しそうな生気を感じる。
「あれ……? でも、私達、誰もまだ誕生日じゃないですよ?」
「あ、今回持ってきた手紙は、誕生日とは関係なく最初に渡してほしいと記してあった分なんだ」
「そうなんですね。じゃ、じゃあ、早速開けてみても良いですか……?」
「うん、勿論だよ」
ティスは嬉しそうに封を開けると、手紙に目を通し始める。
ティンクもその様子に微笑むと、同様に手紙を取り出した。
程なく、二人は目から涙が溢れ始める。
「パパ……パパぁ……」
「あなた……」
「……じゃあ、僕達はこれでお暇するよ。もし、手紙に僕を頼るようなことが記載されていたらすぐに教えてね」
ティンク達との身を引き締めるやり取りもあった中、日々は過ぎてバルディア騎士団の戦死者と名前の確認作業が終わる。
そして戦死者を讃えつつ、別れを告げる追悼式典がこうして開かれることになったのだ。
バルディア領内には、バルディア騎士団の任務で殉職した者が眠る共同墓地があり、その中心地には大きな暮石が堂々と立っている。
バルディア家に尽くしてくれた騎士達を代々讃え、彼等のことを忘れぬ為、バルディア家がこの地を治めるようになった時に建てられたものだそうだ。
暮石には数多くの名が刻まれており、書き切れない分は新たな墓石を追加して書き記している。
今回の戦で亡くなった騎士達のため、かなりの数の暮石をここに追加することになってしまった。
ここに増えた墓石。
刻まれた沢山の名を見る度、何かできたんじゃないのか。
もっと別の方法があったんじゃないか。
そうした考えが次々と脳裏に浮かんでは消えていき、自然と手が拳となって力が入る。
「リッド様、怖い顔をされていますが大丈夫ですか?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
心配そうなファラに笑って答えると、彼女はそびえ立つ暮石を見つめた。
「私は……とても悔しいです」
「え?」
「私はいつも誰かに守られてばかりです。どんなに魔法や武術を学んでも、きっと戦場に私をリッド様と父上は出してはくれないでしょう」
「ファラ……」
彼女は目を潤ませながらも凜として、強い眼差しを浮かべている。
「勿論、自分の立場はわきまえております。それでもただ守られて、皆を見送るだけの立場はとても苦しく、悔しいのです。だからこそ、せめてリッド様のお力になりたい」
ファラは僕の手を取り、真っ直ぐに目を合わせた。
「お一人で全てを抱え込まないでください。リッド様の心にある辛さ、悔しさ、悲しさ……その全てとは言いません。どうか、ほんの少しでも私に吐き出してほしいのです」
「ありがとう。でも、君のおかげでいつも救われてるよ」
心の底から心配いしてくれる彼女のことが愛おしくなり、優しく抱きしめた。
でも、その時、あることが脳裏をよぎって「ふふ」と噴き出してしまう。
「リッド様?」
「え、あぁ、ごめんごめん。実はクロスと訓練していた時のことなんだけどね」
「……?」
「クロスってとんでもない愛妻家の親馬鹿だったからさ。いつも訓練の合間でティンクとティスの自慢を必ずするんだよ。それで、あんまりに話が長いからさ。僕もファラの自慢をしたことがあってね」
「えぇ⁉」
ファラは目を瞬き、赤くなった耳を上下させている。
「そ、それで、なんてお話になったんですか……?」
「残念だけど、それは秘密だよ」
目を細めて笑って答えたその時、父上がこちらにやってくるのが見えた。
「リッド、次は第二騎士団を率いるお前の番だぞ」
「はい、畏まりました」
ファラと父上に見送られた僕は墓標の前に立ち一礼すると、正面に振り返った。
改めて見渡せば、凄い数の騎士と遺族がこの場に集まっていた。
第二騎士団の子達にふと見れば、必死に涙を流すまいと堪えているのがわかる。
獣人族の子達がバルディア領に来た時、一番親身になって面倒を見ていたのはクロスだった。
「自分にも歳の近い娘がいますからね。ほっとけないんですよ」
彼はそう言って、いつも遅くまで訓練に付き合ったり、隊を率いる分隊長の立場になった子達からの相談を二つ返事で引き受けていたっけな。
勿論、獣人族の子達だけじゃない。
ダイナス、ルーベンス、ディアナ、ネルス、ティンク、ティス、クリス、ダナエ……沢山の人が目を潤ませ嗚咽を漏らしたり、沈痛な面持ちだったりと、各々に別れを惜しんでいる。
そうした中、一際真剣な眼差しで僕と墓標を見つめる視線に気付く……メルだ。
メルは人質から解放された後、狭間砦の戦いの全貌とクロスの死を知ると、自分の軽率な行いのせいだと思い込んで、一時塞ぎ込んでしまう。
そんなメルを奮い立たせたのは、母上だった。
「メルディ・バルディア。歯を食いしばりなさい」
部屋に塞ぎ込むメルの元へ僕と訪れた母上は、彼女に平手打ちを行った。
「え……?」
目を瞬き呆気に取られるメルに、母上は毅然とした鋭い視線を向ける。
「バルディア領を守るため。延いては、貴女を救うため。クロスを始めとする騎士達は、必死に戦い己の責務を果たしました。そんな彼等に、メルディ。貴女はそのような情けない姿を見せるのですか。確かに貴女のしたことは大変軽率であり、大いに反省するべきことでしょう。しかし、行いを……過去を変えることなど誰にもできません。貴女がすべきことは、このように現実から目を背け、失敗から逃げることではありません。バルディア家の長女として、命を賭した騎士達を讃え、感謝し、貴族として生まれた者の責務を果たすことです。どんなに辛くても、前を向いて生きなければなりません」
「はい……母上」
「ごめんね、メル」
メルがハッとして頬を押さえながらと頷くと、母上は涙を流して優しく抱きしめていた。
その日以降、メルは以前のように明るく振る舞うようになったけど、雰囲気が変わってあどけなさが少しなくなる。
勉学や武術に対する考え方も変わったらしく、前より真剣に向き合うようになっていた。
きっと、メルも心中色々な想いを持ってこの式典に臨んでいるのだろう。
僕はメルに目配せして、深呼吸をした。
「人の死は、二度訪れると言います。一つ目は、肉体が死を迎えた時。二つ目は、今を生きる人々が一命を捧げた騎士達のことを忘れてしまった時です。故に、先の父上が言ったように、我々は彼等の行いを誇りとして語り継いでいかねばなりません。そうすれば、騎士達に二度目の死は訪れないでしょう。それこそが、今を生きる僕達がすべきことなのです」
式辞を述べて席に戻ると、カペラの声で式典の閉会を告げる声が響く。
狭間砦の戦いの戦後処理は、こうして一区切りが付いた。
だけど、休む暇はない。
僕と父上は、約一週間後に帝都へ出向かなければならないからだ。




