リッドの記憶と目覚め
「あの、これです」
「……『ときめくシンデレラ!』か。これ、俺の知らないやつだね。どんなゲームなの?」
「あ、は、はい。これはですね……」
神田が身を乗り出したことでほっとしたのか、新渡戸は『ときめくシンデレラ!』こと、『ときレラ!』のを面白おかしく、楽しそうに語っていく。
当初の神田は、『ときレラ!』が美青年キャラの好感度を上げていく『乙女ゲーム』と知ると、首を捻りながら椅子の背もたれに背中を預けた。
「いやぁ。悪いけど、流石にそれはしないかなぁ」
「いえいえ、これはやり込み系ですから絶対に楽しめると思いますよ」
「え、そうなの?」
新渡戸から『やり込み系』と聞いて興味が湧いたらしく、神田が再び少し身を乗り出した。
二人のやり取りを呆然と眺めていたけど、ハッとする。
これは、彼女から『ときレラ!』のことを初めて教えてもらい、ゲームソフトを借りた時の場面だ。
「……というわけで、乙女ゲーらしからぬ面白さがあるわけです。先輩には絶対お勧めです」
「なるほどね。新渡戸がそこまで言うなら、少しやってみようかな」
神田がソフトを受け取ると、新渡戸が「ただし……」と顔を寄せる。
「少しネタバレになりますけど、攻略対象の『ヨハン・ベスティア』。彼のルートだけは、最後にしてください」
「え、どうして?」
「ヨハンっていうのは獣人族の元王子という肩書きのキャラで、戦闘力が一番優遇されている作中屈指の強キャラなんです。でもその分、彼のルートで出てくるラスボスの『エルバ・グランドーク』は、乙女ゲーらしからぬ強さなんです。周回要素を集めれば倒すのは簡単なんですけどね。初見で何も知らない状態で行くと、下手したら詰みます」
「あはは、何それ? なんだか、昔のゲームを彷彿させるね」
神田が噴き出すと、新渡戸はやれやれと首を横に振った。
「そうなんですよ。ネット上では、初期状況で如何に早くエルバ・グランドークを倒すかって、RTAをしている人達もいるぐらいですからね。挑戦してほしい気持ちはありますけど、多忙な神田先輩にはちょっと大変かなぁと思いまして」
「はは、そうだね。じゃあ、お勧めの進め方を教えてくれるかな? 難しくて時間のかかる攻略は、後からやってみるよ」
「はい! えっと、私のお勧めはですね……」
二人のやり取りは続いているけど、その姿は段々と薄れて消えていく。
やがて、僕の居る場所はまた白くて何もない空間となった。
エルバ・グランドーク。
あいつも、『ときレラ!』の世界に存在していたのか。
でも、どうして今になってあの時のやり取りを思い出したんだろう。
新渡戸の話だと、『ヨハン・ベスティア』のルートを進んだ先にいるラスボスがエルバだという。
僕がエルバのことを覚えていなかったとしても、ゲームと現実世界の時系列が合わないことは説明がつかない。
「そんなの決まっているじゃないか」
「……⁉」
突然の声に驚いて振り向くと、もう一人の僕。
メモリーが白い世界に現れ、不敵に笑っていた。
「君の記憶にある言葉を使えば、『バタフライ効果』ということだろうね」
「バタフライ……効果?」
聞き返すと、彼は「そうさ」と頷いた。
「蝶が羽ばたく程度の非常に小さな気流の攪乱でも、遙か遠くの場所で嵐を生み出すような影響を与えるか? ということさ。つまり、君が行動を起こしたことで、未来で起きるはずだったことが前倒しになった……と考えるべきだろうね」
「な……⁉」
思いがけない答えに目を瞬くが、メモリーは笑ったままだ。
「リッド、今更に何を驚いているんだい。その可能性を考えていなかったわけじゃないでしょ?」
「……勿論、それは考えていたけどね。でも、まさか本編におけるラスボスの一人がこんなに前倒しで現れるなんてのは、いくら何でも想定外だったよ」
魔力回復薬を開発して母上の命を救い、完治を目指して魔力枯渇症の特効薬を研究。
これらのことは、『ときレラ!』の世界では起こりえぬことだったはずだ。
だからこそ、未来において色々な余波が起きる可能性は考えていた。
その為に、バルディア領を発展させ、僕自身も強くなるつもりだったんだ。
まさかこんなに早く影響が出てくるとは、正直予想していなかった。
「まぁ、君を含め、未来は誰にもわからないということだろうね」
「……誰にもわからないか」
今までの行いにより、未来が僕の知るものから大きく変わりだしだ、ということだろう。
こうなると、『ときレラ!』の内容は予言ではなく、簡素な道標程度の認識に改めるべきかもしれない。
とはいえ、未来に起こりえることの可能性を知っているという優位点は変わらないけど。
「ちなみに、今のやり取りの記憶はね。リッドが無茶した結果、復元された記憶の一部なんだよ」
「記憶が復元された?」
首を傾げて尋ねると、メモリーはやれやれと首を横に振る。
「考えてもみなよ。君の前世一生分の記憶だけでも膨大だし、今世における日々の記憶も増えていくからね。僕は君の記憶の化身だけど、全ての記憶を完全に把握しているわけじゃない。それに、以前も言った通り、前世の君が受けた印象の薄い記憶であればあるほど、再現が難しいからね。でも、そうした記憶の一部が君のやった無茶のおかげで復元されたわけさ」
彼曰く、僕の中にある記憶というのは、ネット検索のように簡単に引っ張りだせるものから、シュレッダーに掛けられた『紙くず』のようになっているものまで様々あるらしい。
簡単に引っ張り出せる記憶というのは、僕が前世で強い印象を受けたもの。
紙くずのような記憶は、日々の通勤風景やゲームのテキストを未読スキップした印象に残っていない、もしくは薄い内容とかだ。
紙くずのような記憶でも頼めば再現を試みてくれるけど、「時間が掛かりすぎるし、他の記憶検索作業ができなくなるから効率が悪すぎるよ」とメモリーからいつも苦言を呈されている。
「そういうことか、わかった。でも、他にもメモリーが把握した新しい記憶があるんだね?」
「あるけど……あまり、知らない方が良いと思うよ」
「え、どうして?」
新しい情報は少しでもあったこと方がいいはずなのに、メモリーは顔を曇らせた。
「だって、前世の君が赤ちゃんの頃にお母さんにおむつを替えてもらったり、お乳を飲んでる記憶だよ?」
「う……。そ、それは流石に良いかな。じゃ、じゃあさ。目が覚めたら、もう一度同じ事をすれば……」
「それだけは、絶対に駄目」
言い掛けたところで、メモリーが食い気味に言葉を被せてきた。
そして、彼は真面目な表情で凄む。
「わからないだろうけど、君は三日三晩。未だにずっと眠り込んでいるんだよ?」
「え……?」
呆気に取られていると、メモリーは強い口調で続けた。
「エルバを倒すための他に手がなかったとはいえ、君の体に掛かった負担は相当なものだった。僕が中から抑えてはいたけど君の寿命は、間違いなく数年。最悪十年以上は削ったはずだよ」
「そっか……」
僕は頷くが、彼は何も言わずにこちらを真っ直ぐに見つめている。
数年から十年以上の命を犠牲にしたのか。
その事実を告げられても意外と驚くことはなく、むしろ合点がいった。
あれだけの力、簡単に引き出せるものじゃない。
相応の危険性と言えるだろう。
「じゃあ、もうあの魔法は使えないね。でもさ、メモリー」
僕は白い歯を見せるように微笑んだ。
「命を削ったこと。全く後悔してないよ。エルバを止められなければ、正直なところバルディアは負けていたかもしれない。言ってしまえば、未来で起きる断罪で死ぬのか。エルバと命を賭して戦うのか。その二択だったんだ」
「リッド……」
「ただ、あの時にもっと早くに僕が命を賭けていれば、クロスの犠牲は防げたかもしれない。それだけは……後悔しているかな」
俯くと、メモリーが「それは違う」と首を横に振った。
「あの時、クロスの死が君の深淵に眠る魔力を呼び覚ましたんだ。それに、父上が言っていたでしょ? 彼は、バルディア家に仕える騎士としての責務を果たしたんだ。君がもっと早く……という気持ちはわかるけど、それは結果に過ぎないよ」
メモリーは近寄ると、優しく抱きしめてくれた。
「君のすべきことは、後悔することじゃない。クロスの死を受け入れ、前に進むことさ。とても難しいことを言っているのは、わかっているけどね」
「……うん、そうだね。ありがとう、メモリー」
お礼を言うと、彼は少し離れて照れくさそうに頬を掻きながらはにかんだ。
「気にすることはないよ。君は僕で、僕は君だからね。さて、それよりも大事な話があるんだ」
そう言うと、彼は再び真面目な顔付きとなった。
「もうすぐ、君は目を覚ますことになる。でも、以前の君より魔力が圧倒的に増えているんだ」
「え、どうして?」
「さっき、命を削ったと言っただろう? その影響で体は子供だけど、魔力許容量は大人以上に増大したんだよ。そのせいもあって、三日三晩も寝込んでいる部分もあるからね」
「えぇ⁉」
流石に驚愕した。
でも、言われてみれば、今回の状況は『身体属性強化・烈火』を初めて発動した時と似ている。
命を削りながら体に負荷をかけ続けた結果、魔力負荷に対する抵抗力が上がり、魔力許容量が大幅に上昇したということだろう。
意図は全くしていなかったけど。
「だ・か・ら!」
顔を寄せたメモリーは、人差し指を僕の鼻先に突きつけた。
「今までの感覚で魔法を使えば、とんでもない規模の魔法になる可能性がある。絶対安易に魔法を使っちゃ駄目だよ。初心に返ったつもりで、魔法を扱うこと。いいね?」
「わ、わかった」
たじろぎながら何度も頷いたけど、すでに心が少し躍っている。
それを察してか、彼は呆れ顔でため息を吐いた。
「ちなみに、この件は『ファラ』にだけは伝えているからね?」
「え……えぇ⁉ で、でも、どうやって伝えたの⁉」
目を見開いて尋ねると、彼は「ふふ」と噴き出した。
「君の魔力許容量が増えたおかげで、僕もできることが増えたんだよ。この件は、またゆっくり話そう。さぁ、君はそろそろ起きる時間だよ」
「え⁉ ちょ、ちょっと、メモリー⁉」
必死に叫ぶが、白い世界は眩しい光に包まれていく。
堪らず目を閉じると、強い光はすぐに感じなくなった。
ゆっくり目を開けると、薄暗い光の中で見慣れた天井が目に入る。
「ここは、僕の部屋……かな」
確認するように上半身をゆっくり起こすとベッド横でファラ、メル、母上が肩に毛布を掛けて寝息を立てていた。
「う、ううん……」
ファラがベッドの動きを感じたのか、目を擦りながらゆっくりと顔を上げる。
そして、みるみる目を潤ませ大きく見開くと、僕を力強く抱きしめた。
「リッド様……リッド様!」
「また、心配を掛けちゃったね」
「良いのです。こうして、声が聞けたので何も言いません」
嗚咽を漏らす彼女の背中に、僕は優しく手を回した。
「ただいま、ファラ」
「おかえりなさいませ、リッド様」




