終決・狭間砦の戦い
体が元に戻ると激痛は和らぐが、全身から魔力が湯気のように立ち上がっている。
魔刀が手からこぼれ落ち、地面に転がって金属音を鳴らした。
「う……あ……」
何とか魔刀を拾おうとするが、動悸が収まらない。
鎧の上から胸に手を当てると、両膝の力が抜けて崩れ落ちるように四つん這いになってしまった。
「はぁ……はぁ……」
深呼吸をして気を落ち着かせようとしていると、エルバの笑い声が聞こえてきた。
「やはり、あれだけの力。体には相当な負担が掛かっていたようだな。雑魚など放っておけば、まだ余裕があっただろうに……愚かな姿だ」
「守るべき人が居なくなり、僕だけ生き残っても意味が無いだろ。あれだけ言っても、まだわからないのか?」
顔を上げてエルバと視線を交わしたその時、僕の後ろから沢山の足音が聞こえてくる。
「リッド様!」
「ご無事ですか!」
四つん這いのままで首を向ければ、ディアナとカペラを先頭にオヴェリア達や騎士達がやってくるのが見えた。
「良かった。皆、無事だね」
「はい、リッド様のおかげでございます」
駆け寄ってきたディアナは、僕の体を起こすように背中から胸に抱きしめると首を横に振った。
「しかし、今は私達のことより、ご自分の身を案じてください。相当なご無理をされたのでしょう?」
「あはは……まぁ、こうして話せてるから多分、大丈夫だよ」
苦笑して答えると、心配顔だった獣人族の子達や騎士達も安堵した表情を浮かべた。
そうしたなか、カペラが仰向けに倒れているエルバを一瞥する。
「……まだ、息があるようですね」
「うん。殺気は凄いけど、エルバはもう動けないよ」
「わかりました。では、恐れながら、私がリッド様の代わりに役目を果たしてよろしいでしょうか?」
「……うん」
問い掛けに小さく頷いたその時、「後ろから別部隊の襲撃だ!」と騎士達の声が轟き、部隊後方で爆発が起きて、爆煙が立ち上がる。
何事かと振り向けば、獣化した狐人族の戦士達が騎士達に襲いかかっているのが見えた。
でも、数は少ないらしく、まだ大事にはなっていないようだ。
この場にいる誰もが部隊後方に気を取られた、その一瞬だった。
薙刀を持った白狐姿の狐人族の戦士が、不意を突いてカペラに襲いかかる。
「兄上をやらせはしない!」
「……⁉」
辺りに激しい金属音が鳴り響いて、緊張感が走る。
カペラは刀で白狐の薙刀を受け、二人は鍔迫り合いをしながら互いに凄んでいた。
「貴殿はマルバス・グランドーク殿とお見受けするが、お間違いないでしょうか?」
「あぁ、そうだ!」
再び刀と薙刀の金属音が鳴り響くと、マルバスはエルバを守るように後ろに飛び退いた。
気付けば、彼以外にも数名の獣化した狐人族の戦士達が数名駆けつけて来ており、動けないエルバに肩を貸して立たせていた。
「助かったぞ、マルバス」
「とんでもないことです。しかし、兄上がここまで追い詰められるとは……」
彼は自身の背後で左腕を肩から無くし、戦士達の肩を借りてようやく立っているエルバの姿を一瞥する。
そして、僕達を見やると白い毛を逆立てた。
「よくも兄上を……許さんぞ、貴様ら!」
彼の怒号と同時に魔力波が吹き荒れると、エルバが僕を睨みながら口元を緩めた。
「どうやら、形勢逆転のようだな。俺との戦いで貴様らは満身創痍。だが、こちらにはまだ無傷の戦士達がいる。加えて、マルバスの援軍だ……悲しいな、リッド・バルディア。貴様は俺との勝負には勝ったかもしれんが、戦では負けたのだ」
「……まだだ。まだ、僕は立てる。諦めない限り、勝負は最後までわからない」
ここまで来て、負けてなるものか。
ディアナの肩を借りて立ち上がると、僕はエルバを睨み返した。
「負け犬の遠吠えだな」
エルバは鼻を鳴らすと、少し離れた場所に集まっている彼が率いていた狐人族の戦士達に視線を向けた。
「さぁ、お前達の出番だ。こいつらを蹂躙して、嬲り殺せ!」
「……」
彼の発した怒号に返事をする戦士は、誰もいない。
エルバは眉間に皺を寄せ、彼等に凄む。
「どうした、貴様ら。さっさと武器を抜いて、こいつらをたたき伏せろ」
再度、エルバの怒号が響くがやっぱり返事はない。
戦場に異様な雰囲気が漂う中、一人の戦士が一歩前に出てエルバを睨んだ。
「い、嫌でございます」
「なに……?」
エルバが首を捻ると、戦士が堰を切ったように叫んだ。
「もう……もう、貴方様にはついていけません。私は、ガレス様を討ち果たしたというアモン様に、狐人族の未来を託します。そちらの御仁が仰ったように、我等にも帰りを待つ家族がいるのです」
彼がそう言うと、狐人族の戦士達が次々と武器を地面に力なく落としていった。
その様子に、エルバは首を横に振ると殺気を放つ。
「揃いも揃って怖じ気づいたか。情けない……お前達、それでも狐人族の戦士か⁉」
「エルバ様の仰る通り、我等は戦士です。故に、故郷と家族を守るためならいくらでも命を張りましょう。しかし、我等の命を虫ケラと罵り、役立たずと仰った上で見殺しにしようとした貴方様に……誰がついていけましょう」
答えた戦士は、失望感をあらわにして涙を流し、その場に両膝を突いて項垂れた。
「軟弱者が。兄上はいつも言っているであろう。この世は、『弱肉強食』。弱者は強者に黙って従っていれば良いのだ。そんな簡単なこともわからないのか!」
声を荒らげたマルバスは、自身に付き従ってきた戦士をカペラの前に立たせ、項垂れている戦士に右手を向けた。
「貴様は、我等の指示に逆らい戦闘を放棄した。敵前逃亡は万死に値する」
「……どうぞ、お好きになさって下さい。しかし、私は言いたい事をお伝えしました。悔いはありません」
「ならば、粛清だ!」
黒炎がマルバスの右手から発せられ、戦士に向かっていく。
彼は避けようとはせず、逃げることも、魔障壁を張る仕草もない。
僕は力を振り絞り、黒炎に向けて魔槍を放って相殺させる。
「……⁉」
爆音で注目を浴びると、僕は戦士に向かって笑いかけた。
「君にも帰りを待つ人がいるんでしょ? 命を粗末にしたら駄目だよ」
「ありがとう……ございます」
戦士が泣きながら蹲ると、怒りの形相となったマルバスが凄まじい殺気をこちらに向ける。
「どこまで……どこまで我等を虚仮にするつもりだ!」
「さぁ……? どこまでだろうね」
「貴様……」
マルバスの口元が歪み、鋭い犬歯が露わになったその時、どこからともなく風切り音が聞こえてきた。
それも、こちらにどんどん近付いてくる。
横目で一瞥すると、目に入り込んだ光景を思わず二度見した。
先端が少し尖った縦長い氷らしき物に人が立っており、凄い速度で飛んできている。
「な……⁉」
驚く間もなく、氷が僕達のいる場所近くに突き刺さって土煙をあげると、妖艶な狐人族の女性が降り立った。
「ふふ、面白そうだから来ちゃったわ」
そう、空飛ぶ氷に乗ってきたのは『ラファ・グランドーク』だ。
彼女の登場に誰もが呆気に取られるなか、最初に声を発したのはマルバスだった。
「あ、姉上⁉ 前線は……前線はどうされたのですか⁉」
「安心なさい。ピアニー達に必要なことは指示してきたもの。それより、まさか兄上が『負ける』なんて思いもしなかったわ」
ラファは視線を変え、エルバの姿を舐めるように見つめた。
「ふふ、兄上。その姿、とっても素敵だわ。でも、左腕が肩から無くなっちゃったら、リッドと再戦しても勝てないんじゃないかしら?」
「……仮にそうだとしても、再戦する機会はない。リッド・バルディアは、俺の覇道のためにここで死んでもらう。こいつは、ここで息の根を止めておかねば危険過ぎる」
「あら、そうなの? じゃあ、私もお別れを言わないといけないわね」
そう答えると、彼女は僕を見て微笑んだ。
「ふふ、貴方の勝ちね。その代わり、私を退屈させないでくれるかしら?」
「……⁉ あぁ、勿論」
「……姉上?」
僕達のやり取りの意図が分からずにマルバスが首を傾げる。
ラファはゆっくりと振り返って、二人を見やった。
「残念だけど、お別れね。今日まで楽しかったわ」
彼女がそう告げると、地面が瞬く間に凍っていきマルバス達とエルバの足に氷がまとわりついていく。
「あ、姉上⁉ 一体、何事ですか⁉」
「あら? 言ったじゃない。お別れを言いに来たのよ……まぁ、相手は貴方達だけどね。ふふ」
「な……⁉」
マルバスは目を丸くするが、エルバは殺気を放ちながら凄んでいる。
「ラファ……一度だけ聞く。本気か?」
「えぇ、本気よ。私も兄上と同じで『約束』は守る女なの。それと、貴方達も逃げるなら早く動いたほうが良いわよ。前線ではアモンが父上を討ち取った情報が拡散して、豪族のジン族を筆頭にどんどん貴方達に反旗を翻してるから」
彼女が答えると、マルバスが血相を変えた。
「ば、馬鹿な⁉ 何故、そんな情報が容易く流れるのだ。それに、ジン族はバルディア討伐に最初に名を上げた豪族……」
「だからこそ……だよ」
僕は、あえてマルバスの言葉に被せた。
「お前達のやり方は、非道すぎた。彼等が僕達の言葉に耳を傾け、リックやカーツ達の事実を知れば、より大きくなった怒りの矛先がお前達に向かうのは、当然のことさ」
狭間砦で捕虜となっていた狐人族の戦士、カラバ。
彼に僕とアモンがお願いしていたことは、バルディアで起きた惨劇の事実を、戦場にいる遺族達に伝えることだった。
勿論、鵜呑みにされるとは考えていなかったけど、戦況が変わって、ラファがこちらにつくとなれば情報の信憑性は一気に増す。
元々狐人族には、グランドーク家の圧制に対する不満が少なからずあったんだ。
今回の戦は、エルバにとって覇道の一歩という点に加え、各部族に息抜きさせるという目的も見え隠れしていた。
ちなみに、情報拡散の仕込みはカラバだけじゃない。
彼やアモンから得た情報を元に、特務機関所属の狸人族を中心とした実行部隊に敵陣に潜入してもらった。
カラバと協力して、現状のグランドーク家に不満を持つ部族やアモンを支持していた部族達。
彼等に対して、ラファに僕がしたお願いと同じ事を伝えるよう指示を出した。
『最初から味方になってほしいとは言わない。ただ、戦況が完全に決まるまでは積極的に動かないでほしい』
結果、空から戦況を把握していたアリア達からは、動きの鈍い部隊がそれなりに確認できたという報告もあった。
「僕が、『力』だけでお前達に挑んだと思うのかい?」
「……⁉」
エルバが眉間に皺を寄せ、不快感を露わにした。
「お前は、僕をおびき出したと言ったけどそうじゃない。僕の本当の目的は、餌になってお前をここ以外の戦場に行かせないことだった。お前が僕に見向きもせず、父上や前線に出れば、それこそこっちの勝ち目は薄かったんだ」
僕は、あえて目を細めて笑った。
「どうだい? 強者だと自負した男が、驕りから弱者と罵った皆に翻弄される気分はさ」
「き、貴様……言わせておけば」
マルバスが体にまとわりついた氷を弾き飛ばして薙刀を構えると、ラファが棒で構えて対峙する。
「ふふ、さすがね。でも、貴方じゃ私には勝てないわよ?」
二人が睨み合ったその時、「やめろ、マルバス」とエルバが低い声を発した。
「もういい。この戦は、俺の負けだ」
「兄上……」
「ラファ、俺を裏切った以上はどうなるか。わかっているんだろうな?」
「えぇ、勿論よ。古今東西、裏切りは好まれ、裏切り者は嫌われるもの。でも、それも面白いわ。それに、リッドが私のことも守ってくれるんでしょう?」
「え……? う、うん」
急に振られて頷くと、ディアナの眉がピクリと動き、ラファは「ふふ」と笑みを溢す。
「良い覚悟だ」
エルバは、憎悪の籠った眼差しをこちらに向けた。
「リッド・バルディア。この借りは高く付くぞ。いずれ、然るべき時と場所。そこで、必ずお前に借りを返す。それまでの間、せいぜい獅子身中の虫に喰われぬよう、足掻くことだな」
「獅子身中の虫?」
聞き返すと、エルバは不敵に笑う。
「マルバス、引くぞ」
「……畏まりました」
彼は不満気に頷くと、薙刀を逆手に持ち替え地面に突き刺した。
直後、魔力波と黒炎がマルバスを中心に巻き起こる。
「あら、それはいただけないわね」
言葉とは裏腹に、ラファはさも大したことが無い様子で分厚い氷の壁を瞬時に生み出し、迫りくる魔力波と黒炎を防いだ。
でも、氷と黒炎がぶつかりあったせいか、凄まじい煙が発生して視界が極端に悪くなる。
煙はすぐに晴れたが、エルバやマルバス達の姿はなかった。
「残念。逃げられちゃったわねぇ」
「貴方、わざと逃がしたのではありませんか」
ディアナが声を荒らげると、ラファは肩を竦めた。
「まぁ、酷い言いがかりだわ。私が氷の壁を生み出さなければ、満身創痍の貴方達はマルバスの魔法に耐えられなかったのよ? むしろ、感謝してほしいぐらいなのにねぇ」
「く……⁉」
二人が睨み合う中、ガレスの部隊が居た前方から騎士達の一団が近付いてくるのが見えた。
父上の部隊だ。
ふと周りを見渡せば、残っている狐人族の戦士は戦意を失っており、武器を捨てて投降を始めている。
「リッド、無事か⁉」
「……⁉ 父上!」
声が聞こえた方に振り向くと、父上の腕の中に抱きしめられた。
「すまない。思いの外、苦戦して駆けつけるのが遅くなった。遠方からでも、魔力弾の衝突がはっきり見えたぞ。また、無理をしてないだろうな?」
「だ、大丈夫です、父上。それより、ちょっと痛いです」
「あ、あぁ、すまんな」
父上は僕を解放してから、周りを見渡した。
「……通信魔法でダイナスやカーティス殿からも連絡があった。前線にもガレスを我等が討ち取ったことが伝わり、停戦状態となっているそうだ。現状を一早く解決するため、アモン達は先に前線に向かっている。事後処理はあるが、何はともあれ我等の勝利だ。良くやった」
「はい、ありがとうございます。でも……」
地面に破片が転がる壊れた懐中時計を見やった。
「僕が不甲斐ないせいで……クロスが……クロスが……」
必死に伝えようとするけど、涙が溢れて言葉にならない。
父上は察したらしく、優しく僕の頭に手を置いた。
「……そうか。だが、クロスは自分の……騎士の責務を果たしたのだろう?」
「は、はい。彼のおかげで、僕達は救われました」
「ならば、いま一時だけは悲しみ、その後は彼の事を生涯忘れず『誇り』にしなさい」
「誇り……ですか?」
首を傾げると、父上は「そうだ」と頷いた。
「領地と家族を守る為、命を賭した騎士に同情や憐みを向けてはならん。それは、領地を命がけで守った騎士への冒涜となる。クロスが命を掛けた時、彼がそのようなことを求めていたと思うか?」
「いえ……きっと、皆を守るために必死だったと思います」
「その通りだ。命を賭すことは誰にでも出来る事ではない。故に、彼の事を『誇り』とし、忘れなければクロスに『二度目の死』は訪れん」
「二度目の……死ですか」
「一度目は死んだ時。二度目は人に忘れ去られた時だ。お前がクロスのことを忘れない限り、彼が生きていた証となろう」
父上は少し遠い目をして、僕の頭を撫でた。
「戦争で死にたい者など、誰もおらん。しかし、こうして戦わねば国と大切なものを守れないこともある。辛くても、我等は前を向いて進まねばならん。それが辺境伯……いや、国を守る貴族に生まれた者の責務だ。よいな?」
「……はい」
僕が服の袖で涙を拭って返事をすると、父上は微笑んだ。
「さぁ、皆で勝鬨を上げるぞ!」
「おぉ!」
戦場に騎士達の声が轟き、響き渡る。
バルディア家とグランドーク家の間で起きた『狭間砦の戦い』は、こうしてバルディア家の勝利で幕を閉じた。




