騎士の責務
「……また、その話か」
「あぁ、そうだ。しかし、さっきとは状況は些か違うぞ」
眉間に力が入り嫌悪感を露わにすると、エルバは左腕で掴んでいるディアナの首を軽く絞め、オヴェリアを踏みつけている右足に力を入れた。
二人の声にならない呻き声が漏れ聞こえる。
「お前が俺に従うというのであれば、この女と足下にいる小娘の命は助けてやる。それに、あちこちで寝そべっている小童共や。後ろに控える騎士達もな。出来る限り、配慮してやるぞ。俺は部下に優しいからなぁ」
「だ……駄目です、リッド様」
エルバの言葉に間髪を容れずに答えのは、苦悶の表情でも鋭い眼光を消さないディアナだ。
「この者の口車に乗ってはいけません。屈すれば、バルディアはお終いです」
「……そうだぜ。こういう輩は人を使うだけ使って、価値がなくなれば簡単に人を切り捨てる。こんな奴の言いなりになった生き延びても、意味なんか……ねぇんだ」
彼女に続いてオヴェリアが顔を上げて凄むと、エルバは「ほう……」と頷いた。
「まだ減らず口を叩く余裕があるとはな。俺も優しすぎたかもしれん」
奴はそう言うと、ディアナを掴む腕と、オヴェリアを踏みつける足にさらに力を込める。
ディアナは苦悶の表情で呻き声を上げ、オヴェリアは苦しみ悶えて声にならない声を戦場に響かせる。
僕は必死に立ち上がろうとするが、全身が悲鳴を上げており立てない。
魔法を発動しようとするが、魔力が足りない。
「や、やめろ!」
「やめろ……だと? 貴様、俺にそんな口を利ける立場なのか……よく考えろ。それに、この二人だけじゃない。俺の手元には、エルフのクリスティもいる。その上、今頃は俺が手配した『別働隊』が、バルディアに残っているナナリー。そして、ダークエルフの王女、ファラだったか。奴らを捉えるべく動いている」
「……⁉」
僕は目を瞬くと、やっぱりという思いから奴を凄んだ。
エルバの性格から、狐人族の別働隊が母上やファラ達を狙う可能性は容易に想像はついていた。
だからこそ、ファラと母上にはレナルーテ王国に避難するように指示を出しているし、エリアス王に援軍も頼んでいる。
何の連絡もない以上、無事だとは思う。
それでも卑劣な手段を平然とやってのけ、あまつさえ悠々と語ってくるエルバの言動に、僕は心底嫌悪感と怒りを抱いていた。
「その様子からして、別働隊のことは予期していたようだな。だが、貴様達の弱点を狙うことは当然だろう。何にしてもだ……部下にならぬというなら、まずはこの生意気な兎人族の娘から踏み潰してやろう」
「……⁉ そ、そんなことしたら、絶対にお前を許さないぞ」
必死に凄むが、奴は楽しそうに笑っているだけだ。
「残念だったなぁ。お前があと十年早く生まれていれば、俺と良い勝負もできただろう。だが、運命は俺に味方したらしい。恨むなら俺ではなく、神でも恨むんだな」
オヴェリアを助けるべく、必死に地面を這いずって手を伸ばすがどうにもならない。
どうして、僕は無力なんだ。
前世の記憶を得たのは、皆を守れる力を得るためじゃなかったのか。
悔しさで頬に涙が伝ったその時、オヴェリアはこちらを見て白い歯を見せて微笑んだ。
「リッド様、絶対にこんな奴に屈するんじゃねぇぜ」
彼女は、エルバの顔を見上げて睨む。
「あたしは……絶対に命乞いはしねぇ。最後の最後まで抗ってやる!」
オヴェリアは言うが否や、奴の足に思い切り噛みついた。
「ほう……良い覚悟だ。なら、俺もその覚悟に答えてやらないとな」
エルバが不敵に笑って間もなく、大地が割れて彼女の悲痛な声が戦場に響き渡った。
「オ……オヴェリア……」
ディアナが必死に声を掛けるが、彼女は返事をできずに悲痛な声を上げ続けている。
「さぁ、泣け、喚け。そして、断末魔を響かせろ!」
「やめろぉおおお!」
叫んだ直後、真っ赤な光が目にも止まらぬ速度でエルバに迫り、鋭い斬撃を繰り出した。
「ぬぅ……⁉」
不意を突かれ、エルバの体がよろめいた。
見れば、奴の左肩から右脇に掛けて、剣筋ができて血が迸っている。
その隙に、今度は黒い影がディアナ、オヴェリア、僕を担いでエルバから少し離れた場所に移動した。
「リッド様。助けるのが遅くなり申し訳ありませんでした」
頭を下げたのは、黒い魔力を体から揺らめかせているカペラだった。
ディアナは咳き込んでいるが、大事なさそうだ。
オヴェリアは気絶してるけど、息はある。
二人の様子に胸を撫で下ろすと、彼に視線を向けた。
「ありがとう、カペラ。でも、さっきの赤い光は……」
顔を上げて正面を見やれば、エルバの前に立っていたのは猛る炎を纏い、揺らめかせているクロスだった。
「す……すごい……」
彼の姿を見て、息を飲んだ。
身体属性強化・烈火を発動すれば、火のような魔力を全身に纏うことになる。
彼の纏っている魔力は、僕や父上が烈火を発動した時とは段違いだ。
一体、どれだけの魔力を使っているんだろう。
「リッド様。ディアナさんとオヴェリアと一緒にこちらをお飲みください。最後の魔力回復薬です」
カペラは、魔力回復薬を取り出した。
「う、うん。ありがとう。でも、二人の分は……?」
「大丈夫です。私達は既に服用しましたから」
彼は目を細めて微笑むと、魔力回復薬をディアナとオヴェリアに与え、最後の一粒を僕に飲ませてくれた。
「皆様は私が守ります。少し、お休みください」
カペラは黒い魔力を揺らめかせたまま、エルバが立つ方向に武器を構える。
僕は何とかその場で立ち上がり、エルバと対峙するクロスとカペラを見つめた。
「……その姿。そして、今の一撃で思い出したぞ」
エルバは上半身にできた切り傷を摩りながら、クロスを凄む。
「貴様。数年前に話題になっていた冒険者。『紅蓮のクロス』だな?」
「あぁ。そう呼ばれていた時期もあったな」
彼が肯定すると、エルバは鼻を鳴らす。
「ふん。それが、今やバルディアでぬるま湯に浸かり、剣が衰えたか。この程度、俺にとっては傷にもならんぞ」
奴は自身の手から火を生み出し、傷を焼いていく。
血止めのつもりだろうか? エルバが自身の傷を焼き終えて手を離すと、クロスの付けた切り傷が消えていた。
「な……⁉」
僕は目を見張るが、クロスは眉をピクリと動かすだけだ。
「魔力とは生命力から生み出される。俺ぐらいになれば魔力を生命力とし、自身の傷口ぐらい治すことは造作もない。要は使いようだからな」
「……そうか。なら、次は首を飛ばすまでだ」
クロスは静かに答えると、剣を再び構えてエルバに剣技を繰り出していく。
彼の剣技の速度と威力は先程よりも桁違いだ。
どこにあんな力が残っていたのだろう。
エルバも彼の剣技を直接受けようとはせず、戦斧で対応している。
この戦い、初めてエルバが防戦に徹し始めた。
「クロスが強いことは知っていたけど、あんなに凄いなんて……」
「……はい。本当に、クロス様は強い方です」
カペラは、何故か決まりが悪そうに頷いた。
僕が首を傾げたその時、クロスの斬撃が再び傷を与え、「ぬぅ⁉」とエルバが片膝を突く。
でも、よく見ればクロスが纏っていた炎が少し弱まっている気がした。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をするクロスを見て、エルバはゆっくりと立ち上がると大声で笑い始めた。
「なるほど。自らの命を燃やしてまで、主君を守るつもりか」
「自らの命を燃やしてだって⁉」
先程、決まりの悪そうだったカペラの表情を思い出してハッとする。
「カペラ。命を燃やしてって……どういうこと!」
「……言葉通りの意味でございます。クロス様は、魔力回復薬を飲んでおりません。少しでも、時間を稼ぎ、皆様を守るためにはこうするしかないと」
「そんなこと、僕は望んでない。誰が許可したっていうんだ!」
カペラに近寄り問い詰めると、彼は小さく首を横に振った。
「……許可ではありません。ライナー様からリッド様と騎士達を託された、バルディア騎士団副団長として、クロス様は役目を果たすおつもりなのです」
「そ、そんな……⁉」
愕然としてその場に膝を突いた時、再びエルバの笑い声が戦場に響き渡る。
「全く、笑わせるぜ。自己犠牲と自己満足の塊が。弱者のために、体を張って何になる。全く、お前達みたいな輩は反吐が出るぜ」
「クロス……」
僕の視線に気付いたのか、彼はこちらを一瞥して微笑むと、エルバに視線を戻して凄んだ。
「ふざけるなよ、エルバ」
「あん?」
「俺は、バルディア家に忠誠を誓って仕える騎士だ。領地に住む人々や家族を守るため、命を賭すことは俺の責務だ」
クロスは、剣を納刀して低く構えて凄む。
その瞬間、彼に凄まじい魔力が集まり、高まっていくのを感じた。
「自己犠牲? 自己満足? 安っぽい言葉で、わかったように俺を語ってんじゃねぇよ」
「面白い。ならば、その言葉が口先でないことを証明してみろ」
エルバが戦斧を構えたその時、クロスが巨大で真っ赤な炎の塊となり、猛烈な勢いで跳躍した。
一瞬で奴の懐に入り込んだクロスは、剣を抜刀した勢いそのままに鋭い斬撃を繰り出す。
辺りには鉄と鉄がぶつかり合う激しい金属音が鳴り響き、二人が激突した衝撃で土煙が舞い上がった。
「ど、どうなったの」
凝視していると、土煙の中で二つの影が揺らめく。
だけど、その影の正体が明らかになった時、僕は愕然とした。
エルバは無傷であり、右手に戦斧を持ち、左手でクロスの口元を覆うよう掴み上げていたのだ。
「ぐ……⁉」
「さすがだな、紅蓮のクロス。俺の戦斧に傷を付けるなんて、そうそうできることじゃねぇ。直撃だったら、少しやばかったかもしれんなぁ」
エルバは、こちらに視線を変えた。
「どうだ。リッド・バルディア。今度こそ、俺に仕える気になったか?」
「く……⁉」
どうすればいい。
どうすれば、クロスを救って、この場を乗り切られるんだ。
必死に考えをめぐらせるが答えが出ない。
「……強情な奴だ。まぁ、いい。先に俺が約束を守る男だと言うことを、証明してやろう」
「……⁉ や、やめろ!」
「ふん。口先だけじゃ、何も守れねぇんだよ」
奴が鼻を鳴らして吐き捨てると、クロスが黒い炎で包まれた。
「エルバァアアアアアアア⁉」
「さぁ、クロス。泣け、喚け。断末魔を響かせ、リッド・バルディアの目を覚まさせろ」
「ぐ……⁉」
黒炎に包まれたクロスは、一切声を上げずに、エルバの腕をゆっくりと両腕で掴んだ。
「ほう……。さすがだな。この炎に包まれて、声を上げなかったのはお前が初めてだ。全く……どこまでも気に入らねぇ野郎だ!」
エルバが声を荒らげると、黒炎に包まれたクロスが跡形もなく爆発した。
「あ……あぁ……ク、クロス……」
「さぁ、俺に忠誠を誓え、リッド・バルディア。さもなくば、お前は大切なものを全て『跡形もなく』無くすことになるぞ」
エルバの笑い声がどこか遠くで聞こえる。
どうしてだ? どうして、こんなことができる。
人の命を、なんだと思っているんだ。
許せない……絶対に、断じて許せるものか。
こいつだけは、こいつだけは絶対に許してなんかやらない。
頭の中が怒りと悔しさで一杯になっていく中、黒焦げながらも太陽の光を反射させる丸い物が空から落ちてきて、目の前に転がった。
「これは……懐中時計」
間違いない。
黒焦げだけど、僕がクロスに渡したものだ。
「リッド様、お逃げください!」
「え……」
カペラの声で我に返って顔を上げると、目の前にはエルバが迫っていた。
奴はカペラは殴り飛ばすと僕の目の前に立ち、懐中時計を踏み潰す。
その瞬間、何かが切れた。
「何を呆けてやがる、リッド・バルディア」
「……か」
「あん? なんだ。聞こえねぇよ」
「お前だけは……断じて許すものかぁああ!」
僕の憤怒に呼応して、体の深淵から魔力が溢れ、高まっていく。
周囲に魔力波が巻き起こり、魔力で真っ黒に染まった風が荒れ狂い、大地がひび割れてえぐられ、地響きが鳴り響いた




