決戦前夜2
「実はこの度、ライナー様より本日付で、『バルディア第一騎士団の副団長』を任命されました。改めて、以後よろしくおねがいします」
「え……?」
突然の報告に呆気に取られるが、すぐに意味を理解して「おぉ!」と目を見開いた。
「やったね。おめでとう、ルーベンス!」
僕が拍手しながら昇格を称えると、室内にいる皆からも拍手が送られ、「おめでとうございます」という声があちこちから聞こえてきた。
「あ、ありがとうございます」
ルーベンスは少し顔を赤くして頭を掻くと、「そ、それで、あの、あるお願いがあるんですが……」と申し訳なさそうに呟いた。
「うん。なんだろう?」
「……ディアナと二人で少し話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
彼はそう言うと、彼女を横目で一瞥する。
その瞬間、室内に甘酸っぱい空気が流れ、生暖かい視線が二人に向けられたのは言うまでもない。
シュタインとレイモンドは、少し不満そうにしているけどね。
頬が少し赤くなっているから、ディアナも満更ではないみたい。
でも、彼女は咳払いをして、首を横に振った。
「ルーベンス。副団長への昇格は大変おめでたいことですが、話なら後でもできるでしょう。今は、場をわきまえるべきですよ」
「う……そ、そうだな」
彼女に一喝され、彼はしゅんと目を伏せる。
やばい、ルーベンスが犬が怒られて耳を下げているみたいな雰囲気になってしまった。
たまらず、「あ、あはは!」と僕は失笑してしまう。
「リッド様?」
二人は揃って首を傾げている。
それとなく室内を見渡せば、皆揃って何かを耐えるように震えていた。
立場上、失笑が許されるのは僕だけだからしょうがない。
二人のやり取りをこれ以上見ていると、皆の腹筋に支障をきたすかもしれないな。
「はは、ごめんごめん。二人のやり取りが少し面白くてね」
「は、はぁ……?」
顔を見合わせるルーベンスとディアナは、まだ皆の様子に気付いていないようだ。
僕は咳払いをして、二人を改めて見やった。
「明日の確認作業は、もうほとんど終わったからね。ディアナは、ルーベンスの昇格を祝ってあげなよ」
「……⁉ で、ですが……」
目を丸くして戸惑うディアナだけど、僕は被せるように言った。
「これは、『命令』だよ。さぁ、二人は早く行って」
「か、畏まりました。では、失礼いたします」
僕に強く言われた彼女は、渋々と頭を下げた。
でも、足取りはどこか軽く、嬉しそうにも見える。
二人が退室しようとしたその時、「あ、ルーベンスだけ、ちょっといい?」と彼だけ呼び止めた。
「……? 畏まりました」
「では、私は先に失礼します」
ディアナはそのまま退室するが、彼は首を傾げてこちらにやってくる。
僕はあえて目を細めると、小声で耳打ちした。
「副団長に昇格したんだからさ。良い機会じゃない。ちゃんと結婚を申し込みなよ?」
「な……⁉ い、言われなくてもそのつもりです!」
彼は目を丸くして顔を赤らめ、声を荒らげる。
「あ……しまっ……⁉」
我に返ったルーベンスは青ざめ、ゆっくり室内を見回すが、後の祭りだ。
室内の皆は揃って生暖かい視線をルーベンスに向けている。
カーティスとアモンは、我慢しきれず失笑しているみたいだ。
「僕の言い方も悪かったかもしれないけど、何もそんな大声で反応しなくても良かったんじゃない?」
「うぐ……⁉ も、申し訳ありません」
がっくり肩を落とした彼に、僕は再び耳打ちする。
「二人の進展、楽しみにしているよ」
「はぁ……、ありがとうございます。でも、リッド様はいつも一言余計ですよ」
ルーベンスは威儀を正すと、「私もこれで失礼します」と畏まって退室した。
室内に静寂が訪れてややすると、団員の子達が一斉に笑みを溢し始める。
第二騎士団の子達にとって、ルーベンスとディアナは上官だ。
さすがに、本人の前で僕達のやり取りを笑うわけにはいかず、必死にこらえていたのだろう。
厳しい部分はあるけど、ディアナとルーベンスは団員の子達に好かれているからね。
皆が二人の様子を見て笑みが出るのも、それだけ心を許している証しだろう。
だけど、いつまでもこのままじゃ、
話が進まない。
僕は、わざとらしく咳払いをして耳目を集める。
「さて、少し話が逸れたね。本題に話を戻そう。計画は説明した通りだけど、何か質問はあるかな?」
「……それなら、一つ聞きたいことがあります。よろしいでしょうか?」
挙手したのは、熊人族のカルアだ。
「うん、どうしたの?」
「計画の内容は理解できますが、敵に対して『逃げる者は追わず、刃向かってくるものとだけ戦う』という方針は、少し手ぬるいのではありませんか?」
彼がそう言うと、兎人族のオヴェリアが「はは、確かにな」と切り出した。
「逃げた奴らは、また武器を持ってあたし達の命を狙ってくるはず……です。襲いくる敵は、全て倒すべきではありませんか? 逃げる敵を生かしておけば、そいつがまた戦場に戻ってきて、次はあたし達が殺されるかもしれない……そんなことだってあり得ますよ。そうですよね、カーティス様?」
彼女に問い掛けられた彼は、「それも一理あるな」と頷いた。
「戦いとは、人道主義で語れるほど生易しいものではない。負ければ国が滅び、生き残った者達は故郷と立場を失うだけではなく、最悪は戦勝国の奴隷となってしまうこともままあることだ……そうですな、リッド殿」
話を振られたことで、僕はこの場の注目を一身に浴びた。
「……うん。カルア、オヴェリア、カーティスが言っていることは概ね正しいよ」
僕は肯定するように頷くと、「でもね……」と続けた。
「『戦争』と『虐殺』は違う。今回の戦いは、狐人族とバルディア家の未来を見据えたものでもある。僕達が倒すべき相手は『狐人族』じゃない。本当に倒すべき相手は、圧政を敷く『現状のグランドーク家』だ。狐人族を虐殺すれば、勝利しても未来は閉ざされてしまう。ただ勝つだけじゃ駄目なんだよ。未来に繋げる勝利にしないといけないんだ」
気付けば、部屋の中はしんと静まり、皆は固唾を呑んでいる。
「厳しい状況の中、難しいことを言っているのはわかってる。綺麗事で理想論かもしれない。それでも、僕はこの場にいる皆となら出来るって信じてるんだ。どうか、無茶を承知でお願いする。明日は、『逃げる者は追わず、刃向かってくる者とだけ戦う』という方針を守り、命を粗末にする無益な殺生だけは避けてほしい。これは……皆へのお願いだ」
僕が深く頭を下げると、部屋にいる皆がざわめいた。
明日、戦地で命を張る皆に無茶を言っているのは自覚している。
だけど、戦場で相対する敵だとしても、彼等の帰りを待っている家族がいるんだ。
狐人族を虐殺して勝利すれば、残された彼等の家族はバルディア家を憎み、永遠の遺恨となるだろう。
そうなれば、二家が共存共栄できる未来が閉ざされてしまう。
とはいえ、何もせずバルディア家に仕える皆が殺されるのは論外だ。
だから、『逃げる者は追わず、刃向かう者とだけ戦う』という方針を掲げた。
無益な殺生をせず、戦後の遺恨を少しでも減らすためだ。
だけど、これは命を張る皆に相当な負担を強いてしまう。
戦場は、僅かな時間で何度も命のやり取りを行わなければならないのである。
一瞬の判断が死に直結する非情の場で、『敵の命を粗末にするな』という指示は、判断を鈍らせることは想像に難くない。
なんて、都合の良い無茶なお願いだろう。
顔をゆっくり上げると、狐人族のラガードが「へへ」と笑みを溢した。




