闇夜の会談2
「あ、でも、毒見が必要ですね。良ければ、箱の中のいなり寿司を一個選んでください。それを私がまず食べましょう」
そう言うと、ラファは楽しそうに笑みを溢して僕の前にやってきた。
「ふふ、面白いことをするのね。じゃあ、私が選んで食べさせてあげるわ」
いなり寿司を一つ選んで手に取ると、彼女は僕の口にゆっくり運んだ。
「ほら、口を開けて『あーん』なさい」
「で、では……」
皆の注目を浴びる中でこの食べ方は、ちょっと居た堪れない。
でも、今後の交渉を考えれば、少しでも彼女達の心証を良くしておく必要がある。
予想外の出来事だけど、僕は彼女が手に取った『いなり寿司』を頬張り、咀嚼すると喉を鳴らして飲み込んだ。
「ふぅ。さぁ、どうぞ召し上がって下さい」
「そうね。じゃあ、いただくわ」
ラファが手に取ると、僕は視線を変える。
「折角ですから、ピアニーさんもどうぞ」
声を掛けると、彼女は眉間に皺を寄せてあからさまに訝しむ。
「折角のご厚意よ。貴女も食べてみなさい」
「……畏まりました。では、私もいただきましょう」
指示に従い、ピアニーが渋々といなり寿司を手に取った。
彼女達は軽く顔を合わせた後、揃っていなり寿司を少量だけ口にする。
僕が毒味をしたとはいえ、警戒は怠っていないのだろう。
まぁ、毒なんて入れてないけど。
「……甘酸っぱい汁が口の中で広がるのね。これ、とっても美味しいわ」
「左様でございますね。食べた事の無い味と食感です」
よし、ラファとピアニーは見るからに舌鼓を打っている。
僕は畳みかけるため、カペラに目配せした。
「お気に召して何よりです。では、次は『清酒』をご試飲ください。私は年齢的にまだお酒は飲めません。従いまして、毒味は彼がいたします」
カペラは清酒を持参した升になみなみと注ぐと、一気に飲み干した。
度数が結構高いはずだけど大丈夫だろうか? 少し不安になるが、彼は「ふぅ……」と息を吐いて「相変わらず、美味でございます」と呟き、再び升に清酒をなみなみと注いだ。
あまりに豪快な飲みっぷりを見たラファは面白そうに笑い、ピアニーは怪訝な眼差しを向けている。
「では、こちらをどうぞお召し上がりください」
カペラが差し出した清酒が入った升をラファが手に取ろうとすると、「お待ちください」とピアニーが割って入った。
「ラファ様。念のため、まずは私に飲ませてください」
「あら? 大丈夫と思うわよ? まぁ、貴女がそう言うなら任せるわ」
「では、失礼します」
彼女はラファに先んじて、カペラから升を受け取ると恐る恐る口を付ける
「こ、これは……⁉」
ピアニーは目を瞬くと、また一口、二口、三口と続いていく。
気付けば、升の中は空っぽになっていた。
「……これだけの量では、まだ安全かわかりません。もう一杯ください」
「えっと、それは良いですけど、強いお酒ですから飲み過ぎに注意してくださいね」
度数と言っても伝わりにくいだろうから、『強いお酒』と言い換えたけど大丈夫だろうか?
試飲してもらった『清酒』は、レナルーテから仕入れた『米』を原料にしている。
最近完成したお酒で、まだ市場には出回っていない品物だ。
前世の記憶にある『日本酒』と『清酒』は造り方は一緒だけど、『日本酒』は原料に日本原産の『米』と『米こうじ』を使用しなければならない。
この世界で再現できるのは、『清酒』だけとなるわけだ。
「あ、忘れてました。折角ですから、こちらも一緒に飲むと美味しくなりますよ。カペラ、あれも渡して」
「畏まりました」
彼は鞄の中から、『白い粉』を取り出した。
ラファとピアニーは訝しむが、僕はその粉を手に付けてペロリと舐める。
「ふふ、これはただの塩ですよ。これを升の縁に付けて飲んでみてください。より美味しく感じますよ」
「へぇ、面白そうね。言われたとおり、二杯目は縁に塩を付けて飲んでみなさい。毒味も兼ねてね」
「……承知しました。では、お言葉に甘えて」
ラファの指示に下が、ピアニーは塩を付けて再び一口付ける。
今度はためらいがない。
「……⁉ こ、これは⁉」
彼女は目を見開くと、塩が付いた縁に何度も口を付け、あっという間に清酒の二杯目を飲み干した。
気付けば、ピアニーの頬がほんのり赤くなり、目も少し据わり始めている。
「ラファ様、これは駄目です。これを……この味を貴女様が知ってはなりません」
「ふふ。そこまで、気に入るなんてねぇ。でも、私がそんな忠告を聞かないことも知っているでしょう?」
首を振って制止するピアニーだが、ラファは意に介さずに升を彼女から奪い取った。
「さぁ、私にも注いでくれるかしら」
「畏まりました。塩は如何しましょう?」
「ふふ。楽しみは後に取っておく主義なの。まずは普通に飲ませてもらうわ」
カペラは頷くと、怪しく目を細める彼女が手に持つ升になみなみと注いでいく。
ラファは、「じゃあ、いただくわ」と言うなり、升になみなみ入った清酒を一気にあおり飲む。
豪快な飲みっぷりに合わせて、彼女の口元から酒が滴り落ちる。
その水滴は、彼女の喉を伝い、大きい胸の谷間の中に消えていった。
「はぁ……」
酒を飲み干したラファは、目をうっとりさせる。
「あは、ピアニーが気に入るのもわかるわね。これほど美味しいお酒を飲んだのは初めてよ。じゃあ、次は『塩』でいただこうかしら」
「畏まりました」
カペラは升に再び酒をなみなみ注ぐと、今度は縁に塩を丁寧に塗ってから手渡した。
「ラファ殿。お酒と一緒に、先程のいなり寿司も一緒に食べるとより美味しいですよ」
「ふふ、こんなに楽しい会談は初めてよ」
彼女は目を細めると、塩が付いた升を何度も口を付けて飲み干していく。
勿論、酒の肴としていなり寿司を一口、二口と少量ずつ食べるのも忘れない。
ラファは、あっという間に升の酒を飲み干し、いなり寿司もぺろりと平らげてしまった。
でも、彼女の表情は当初とまったく変わらない。
事前にアモンから聞いたとおり、ラファはかなりの酒豪みたいだ。
「それで、この美味しいお酒と料理がどうしたというのかしら?」
「はい。いま飲んでいただいたお酒と料理は、バルディアと狐人族が協力すれば得られる今後の飛躍的な発展。そして、新しい可能性を示すものです」
彼女達の眉がピクリと動くが、黙って僕の言葉に耳を傾けている。
「現部族長のガレス殿とエルバ殿が目指す未来を、私は存じあげません。しかし、彼等が部族をまとめ続ける以上、当家と貴家が懇意になることは難しいでしょう。そうなれば、ラファ殿が『美味しい』と評してくださったものは、手に入れることが難しくなるはず。勿論、当家が生み出すものはお酒や料理だけではなく、アモン殿が部族長となった際には『技術提供』を行い、狐人族の発展に協力させていただく所存です」
「技術提供ね……ふふ、思い切ったことをするのねぇ」
ラファが瞳に妖しい光を宿す。
「それはつまり、狐人族の領地もバルディア領のような発展を遂げることが可能になるということね?」
「仰る通りです」
畏まって頷くと、彼女は楽しそうに目を細めた。
「ふふ、アモン。確かに貴方の目指す先は、バルディア家と協力した先にありそうね」
「はい。以前から、お伝えしていた通りです。姉上もバルディア領の『発展』はよくご存じのはず。狐人族が発展していくのか、衰退して他部族に飲み込まれるのか。今この時が、将来の別れ道となりましょう」
アモンは決意に満ちた真剣な眼差しを浮かべた。
「姉上、率直に申し上げます。どうか、私に力を貸してほしいのです」
彼の声が夜の静寂に響くと、「ふふふ……あは、あはは!」とラファが噴き出すように笑い始めた。
「うふふ、狐人族とバルディア家が協力した未来ね。なるほど、それも面白そうねぇ。でも、残念だけど力は貸せないわ。だって、貴方達が兄上の軍勢に勝てる見込みがないんだもの」
彼女の表情から笑みが消え去った。
「……負けるとわかっている相手に力を貸すほど、私は愚かではないわ」




