バルディア領の一息
宿舎の執務室から本屋敷に移動した僕達は、母上が『リハビリ』を行っている部屋を訪れた。
室内には、メルとクロスの娘であるティスもいる。
メルとティスの二人はとても仲良しで、最近はよく一緒にいるみたいだ。
「母上、頑張ってください!」
「頑張って、母上!」
僕の呼びかけに続いて、メルも声を発した。
「えぇ。ありがとう」
母上はこちらに向かって頷くと、額に汗を流しながら歩行補助具を使いながら必死に足を動かし始める。
でも、歩く動作はみるからにぎこちない。
母上のすぐ側には、サンドラとメイド達が寄り添い一緒に歩いている。
転倒に備えてくれているのだろう。
本当は僕とメルで寄り添って支えたいけれど、サンドラから「さすがに駄目です」と言われている。
僕が記憶を取り戻す前から、母上はベッドの上で寝たきりになっていた。
そこから察するに、体の衰えは相当であり、普通に歩くだけでも大変なのだろう。
月光草を原料にした『魔力回復薬』とルーテ草を原料とした『治療薬』。
サンドラが、この二つを併用して投与。
治療を続けた結果、母上の体調は少しずつ良くなり、車椅子を使えば家族皆で屋敷内を散歩できるぐらいまで回復した。
そして、母上からの希望、サンドラの診断、父上の許可を得て始まったのがこの『リハビリ』である。
歩行補助具は、僕の記憶を管理してくれる『メモリー』を通じて前世の情報を引き出し、ドワーフのエレン達と狐人族の子達に作成してもらった。
この時、後々のことも考え、前世でお馴染みだった様々な『訓練器具』の情報もエレン達に渡している。
母上の体調回復の進行具合と合わせて、使用できる器具も一部あるだろう。
他にも、帝都で運動不足や体型に悩むご令嬢達にクリスが案内すれば良い商材になるはずだ。
母上のリハビリを暫く応援しながら見守ると、サンドラが懐中時計を取り出して時間を確認した。
「ナナリー様。今日はこれぐらいで終わりましょう」
「いえ。まだ、やりましょう。私は大丈夫です」
母上は首を軽く振り、力強い眼差しをサンドラに向ける。
しかし、彼女は間髪入れずに「駄目です」と少し強い口調で言った。
「ナナリー様、お気持ちは理解できますが何事も無理は禁物です。それに、リハビリは継続して行うことが重要ですからね。今日できても、明日ができないでは意味がありません。ライナー様からも。無茶をするならリハビリを中止するように言われております。ここは、私の言うことを聞いてください」
「う・・・・・・」
母上が決まりの悪い表情を浮かべた。
本来、サンドラは医者ではない。
魔法を中心とした様々な知識に精通した学者、というのが正しい表現になると思う。
今でも、僕に魔法を教える先生だしね。
だけど、『魔力枯渇症』の治療における事実上の主治医であり、母上もそんな彼女ことをとても信頼しているようだ。
その証拠に、二人の会話のやり取りから、とても親密であることが見て窺える。
きっと、僕達には漏らせない弱音や不安を母上は彼女に相談しているのだろう。
「わかりました。じゃあ、皆でお茶するのは許してくれるでしょう?」
「勿論です」
サンドラがニコリと頷くと、母上は車椅子にメイド達の補助を受けて腰を下ろした。
「ふぅ、ありがとう。思ったより、汗を掻いてるわね。皆、ごめんなさい。お茶は着替えてからでも良いかしら?」
「はい。では、中庭で準備をして皆でお待ちしてますね」
「えぇ、ありがとう」
僕が頷くと、母上は、サンドラとメイド達共にリハビリ室を退室する。
その背中に向かって、「母上、また後でね!」とメルが手を振っていた。
部屋を後にした僕達は、本屋敷の中庭に出てお茶の準備を始める。
ここに居るのは、僕、メル、ファラ、アスナ、ディアナ、ダナエ、ティスとメイド達だ。
カペラは、第二騎士団の宿舎で残っていた事務作業を片付けながら『万が一』に備えて待機している。
お茶の準備が終わり、お菓子が用意された円卓の席に僕達は腰掛けると、車椅子に乗った母上が服を着替えてサンドラと一緒にやってきた。
「あら、お待たせしてしまったかしら?」
「丁度、準備ができたところです。母上」
「母上! こっちこっち!」
メルは、自身が座る隣に来るよう嬉しそうに手招きする。
「ふふ。はいはい」
母上は、僕とメルに挟まれる位置に車椅子のまま移動した。
すると、ディアナとダナエが皆にお茶を注いでくれる。
皆に飲み物が行き渡ると、母上が目を細めた。
「でも、こうして、皆とお茶が楽しめるなんてね。とっても嬉しいわ」
「それは僕達もです。ね、皆」
この場にいる皆が同意して頷くと、サンドラが小さく咳払いをする。
「ナナリー様の体調は日に日に良くなっていますからね。治療と合わせてリハビリを継続すれば完治した時、日常生活も支障なく過ごせるようになるでしょう」
ファラとメルの顔がパァッと明るくなった。
様々な混乱が起きているけれど、母上の体調は日に日に良くなっている。
今の治療とリハビリを続ければ、魔力枯渇症の完治も時間の問題だろう。
前世の記憶を取り戻した時は、とても難しくて遠くに感じたものが、ようやく手の届くところに見えてきたわけだ。
母上達が歓談している様子を眺めていると、本当に感慨深い。
目頭が熱くなるのを感じた時、ファラがこちらを見て首を傾げた。
「リッド様。どうかされましたか?」
「え⁉ あ、いやいや、大丈夫。ちょっと目が痒くてね。あはは・・・・・・」
ハッとすると、苦笑しながら服の袖で潤んだ目を擦った。
「そうなのですか? それなら良いのですが・・・・・・」
ファラが心配そうにするなか、メルが身を乗り出して「ねぇねぇ!」と話題をさらう。
「母上も一緒に、皆で帝都にはもう行けるかな?」
「それはさすがにまだ難しいと思うよ。母上もリハビリを開始したばかりだからね」
「えぇ⁉ じゃあ、いつになったら帝都に行けるの? この間は、近いうちにって言ってたもん」
メルは頬を膨らませてしまった。
実は、グランドーク家との会談決裂に加え、バルディア家の国境付近で彼等が行った軍事演習。
これらの対応に追われており、メルが以前から希望していた帝都訪問が当分先送りになってしまった。
「ね、ティスも帝都に行ってみたいよね?」
メルから振られるとは思っていなかったのか、彼女「え⁉」と目を瞬いた。




