狭間砦
「リッド。そろそろ、執務室に行きたいのだが?」
ファラと二人してハッとすると、慌てて離れた。
「は、はい!」
「も、申し訳ありません。御父様」
顔を赤くしながら二人揃って頭を下げると、父上はニヤリと笑う。
「まぁ、お前達が仲睦まじいことは良いことだろう。私は先に部屋に行っているぞ」
父上は、メルの頭を撫でてから執務室に向けて歩き始める。
「はい、直ぐに僕も行きます」と返事をすると、ファラに振り返った。
「じゃあ、また後でね」
「はい。あ、それからこれをお持ちしました」
彼女は頷きながら、自身の懐に手を入れて『ある物』を取り出した。
見覚えのあるそれを見て、僕はギョッとする。
「それは・・・・・・例の『原液』だね」
勿論、魔力回復薬の原液である。
彼女は満面の笑みで「はい」と頷いた。
「訓練場で凄い魔法を放っていましたからね。それに、この後も打ち合わせをされるのでしょう? でしたら、これは必須です」
差し入れで栄養ドリンクを渡すようなノリである。
彼女が言っていることは正しい。
でも、あれは激烈にまずいのだ。
可能なら後で飲みたい気もするけれど、ファラの気持ちは無下にはできない。
「ありがとう。いただくよ」
「どうぞ、お召し上がりください」
彼女から『原液』を受け取ると、覚悟を決めて一気に飲み干した。
屋敷の皆がいる手前、あまり情けない姿は見せられない。
「ふぅ。ありがとう。じゃあ、行ってくるよ」
飲み干した空き瓶を渡すと、ファラは目を細めて頷いた。
「はい。いってらっしゃいませ」
気合いで爽やかにこの場にいる皆に微笑みかけると、父上の後を急いで追いかけた。
その後、父上と合流して執務室に辿り着くと、僕が水をがぶ飲みしたのは言うまでもない。
◇
帝国に属するバルディア家と獣王国に属するグランドーク家。
両家両国の領地が接する国境地点には、バルディア家が築いた『砦』があった。
砦の前後には高原が広がっているが、左右どちらかに進むと深い森と大中小様々な丘に囲まれている。
少し離れた小高い場所から見れば、深い森で鬱蒼とした丘の隙間に『砦』あるように見えるという。
両家両国の国境地点という位置も相まって、この砦は『狭間砦』と呼ばれていた。
日が沈み始めたある日の午後。
狭間砦に、バルディア騎士団に囲まれた大型の馬車がやってきた。
遠目では、馬車を騎士団が護衛しているように見える。
しかし、間近で見れば、騎士達が馬車に対して殺気立っていることがわかるだろう。
一団は狭間砦の中に入ると進行を止め、騎士の一人が馬車に近づきドアを丁寧に叩いた。
「この先は、エルバ殿とマルバス殿。貴殿達、狐人族の領地となります故、我等はここまでとなります」
「そうですか。それは、ご苦労様でした」
車内にいるマルバスが淡々と頷く。
その時、エルバがふいに騎士を見て、眉をピクリとさせた。
「お前の名は何という?」
「クロスと申します」
エルバは「ふむ」と頷いた。
「どこかで聞いた名だな」
「エルバ殿。おそれながら、よくある名前だからでしょう」
クロスが答えると、エルバは肩をすくめて鼻を鳴らした。
「そうかもしれんな。では、バルディア家の方々によろしく言っておいてくれ」
「・・・・・・畏まりました」
どの口が。という言葉を飲み込み、クロスは一礼する。
それから間もなく、エルバ達が乗った馬車は動き出して狭間砦を後にした。
馬車が狐人族の領地に入ると、車内にいたエルバはマルバスの顔みて笑い出す。
「不満そうだな」
マルバスは、口を尖らせ興奮気味に両手を広げた。
「・・・・・・当然でしょう。形式上とはいえ、兄上があのような子供に負けたことをお認めになったのですよ? それに伴い、造反残党の処分は有耶無耶となりました。これでは、尻尾を巻いて帰ったようではありませんか」
「そう言うな。揉めることは最初からわかっていたことだろう。それに、ライナーが出てきた以上、引き時だった。今はまだ、その時ではなかったからな」
エルバは、不敵に笑い出した。
「兄上は、楽しそうですね」
「うん? ふふ、そう見えるか」
「やはり、あの子供。リッド・バルディアがお気に召したのですか?」
「まぁ、そんなところだな」
問いかけに頷くと、エルバは自身の両腕にある傷に目をやった。
「さすが、ラファが目を付けたことだけはある。将来が楽しみだ。しかし、それ故に残念だがな」
「残念、ですか。それはどういう意味でしょうか?」
「十年だ」
「はぁ・・・・・・十年ですか?」
マルバスが首を傾げると、エルバはニヤリと口元を緩めた。
「あと十年。それだけの時があれば、リッドは俺に近い力を得られたかもしれん。それを今から潰すとなれば、味気なくてつまらん。それが残念なのさ」
「なるほど。さすがは、兄上です」
エルバの答えに合点がいき満足したらしい。
マルバスの表情は先程と打って変わり、笑みが浮かんだ。
しかし、すぐにハッとすると、彼の顔が再び曇った。
「兄上。ところで、ライナー・バルディアはどう見ておられるのですか?」
「あぁ、そうだな・・・・・・」
ライナーと睨み合った時のことを思案すると、エルバはゆっくりと口を開いた。
「おそらく、伯父上だったグレアス以上は強かろう。だが、俺よりは弱い。と言ったところだな」
「おぉ・・・・・・」
感嘆の声をマルバスが漏らすと、「それに・・・・・・」とエルバは続けた。
「いざとなれば、親父殿やお前達と共闘すれば良い。そうすれば、ライナーは確実に仕留められるはずだ」
「畏まりました。その時は、万全の用意をいたしましょう」
マルバスが笑みを溢して会釈すると、エルバは目を細めた。
「さて、これから忙しくなるぞ」
「えぇ、承知しております。次は、挑発ですね?」
確認するようにマルバスが聞き返すと、エルバは「そうだ」と頷いた。
「我等がこれまでに造った人脈を生かし、バルディア家が孤立するよう徹底的に挑発する。勿論、『ローブ』を通じて、『あの男』にも我等のために動いてもらうとしよう」
エルバはそう言うと、馬車の窓から遠くを見つめながら喉を鳴らした。
「くく。さぁ、これからが本番だ」
二人の会話が終わるのとほぼ同時刻。
完全に日は沈み、辺りは夜の闇に包まれていった。
この日、バルディア家とグランドーク家で行われた会談は決裂という結果に終わる。
そして、決裂したという事実は様々なところに波紋を起こし、うねりを生み出すことになるのであった。




