会談当日
僕は本屋敷の自室にて、狐人族との会談で使用する資料を何度も目を通していた。
勿論、漏れや問題がないかを確認するためだ。
「ふぅ・・・・・・。よし、これで事前にできることは全部やった。だけど、やっぱり少し緊張するなぁ」
今日はいよいよ、狐人族との会談を行う日である。
そのため、本屋敷は只ならぬ緊張が漂っていた。
帝都から父上が帰って来た日に狐人族から届いた、会談申し入れの親書。
これについて承諾の親書を父上が返送すると、日程と会談を行う場所はバルディア家の本屋敷に決定となった。
会談を行う場所は、国境付近にある砦で行う案もあったんだけどね。
狐人族の狙いや出方が明確でない以上、油断は禁物。
従って、まずは来賓として丁重に扱うべきではないか? そう父上に進言したところ、意見を汲んでくれたというわけだ。
とはいえ、襲撃犯達であるクレア達や事件解決に協力してくれたアーモンド達。
彼等が狐人族だったこと。
加えて、逃げ込んだ領地が狐人族だったという全体の動きを見れば、先日の襲撃事件に狐人族が絡んでいるのは、ほぼ間違いないだろう。
だけれど、問題はそれだけではない。
事件発生と同時期に帝都でバルディアの悪評が流布されたことを考えれば、事件の黒幕もしくは協力者が別にいる可能性も高い。
何にせよ、絶対に良からぬことを考えている気がするんだよね。
その時、部屋の扉がノックされて返事をすると、畏まったディアナが会釈して入室する。
「リッド様。間もなく狐人族・・・・・・グランドーク家の方々が到着されるそうです」
「わかった。じゃあ、出迎えにいかないとね。この資料なのだけど、会談を行う来賓室にお願い」
「承知しました」
彼女に先程まで確認していた書類の束を渡すと、深呼吸をしてから「よし!」と声に出して部屋を出る。
すると、「リッド様!」と声を掛けられて足を止めた。
振り返ると、そこにはファラとメルを始めとした面々が心配そうな表情でこちらを見つめている。
「ファラ、それにメルも・・・・・・皆そろってどうしたの?」
「いえ、私達は会談の場には出られませんから、ここでお見送りをしたいと思いまして」
「あ、そっか。そうだったね」
今回の会談、バルディア家の代表として参加するのは僕と父上だけだ。
狐人族の狙いや目的が明確でない以上、ファラやメルはグランドーク家の前に軽々しく出すべきじゃない。
これは父上が決めたことで、僕も賛同していることだ。
ファラに返事をして頷くと、子猫姿のクッキーとビスケットを肩に乗せ、頬を膨らませたメルがこちらをジトッと睨む。
「兄様。これから来る人のせいで、帝都に行くのが先延ばしになったんだよね?」
「え? えっと、まぁ、それはそうかもしれないね」
あまりに刺々しい雰囲気のメルに、少したじろいでしまう。
メルは俯いて「やっぱりそうなんだ・・・・・・」と忌ま忌ましそうに呟いてからパッと顔を上げた。
「じゃあ、兄様。良くわからないけど、絶対に負けちゃ駄目なんだからね。約束!」
メルはそう言うと、僕の顔の前に右手の小指を立てて差し出した。
「わかった、約束するよ」
指切りを行うと、メルは嬉しそうに「えへへ」と顔をほころばせる。
その様子を見ていたファラが少し顔を赤らめ、同じようにスッと小指を差し出した。
「あ、あの・・・・・・私とも約束してくれますか?」
「う、うん」と頷き小指を絡めたその時、ふいにファラと目が合って胸がドキッとする。
「・・・・・・国が違い、代表同士の会談となればこれもまた一つの戦です。どうか、ご武運を」
「そうだね。ファラ、ありがとう。それにメルもね。じゃあ、行ってくるよ」
「はい」
「兄様、頑張ってね!」
ファラとメルに目を細めて頷くと、来賓を出迎えるべく改めて足を進めていく。
そして、その間に会談相手について事前に得た情報を頭の中で整理する。
獣人国ズベーラにある狐人族の領地を代々治める部族長の一族。
それが、グランドーク家だ。
現在の部族長は『ガレス・グランドーク』であり、彼とは父上も面識があると聞いている。
また、ガレスには五人の子供がいるそうだ。
第一子、長男のエルバ・グランドーク。
第二子、長女のラファ・グランドーク。
第三子、次男のマルバス・グランドーク。
第四子、三男のアモン・グランドーク。
第五子、次女のシトリー・グランドーク。
今回の会談でバルディアを訪れてくるのは、『エルバ・グランドーク』と『マルバス・グランドーク』である。
二人と顔を合わせるのは、父上も初めてらしい。
だけれど、エルバの情報を集める限り、とても友好的な会談が望めそうな相手ではなさそうだった。
獣人国ズベーラの獣王として現在君臨しているのは、猫人族の『セクメトス・ベスティア』という女傑だ。
また、彼女には僕と同い年の子供がいて、『ヨハン・ベスティア』と言うらしい。
名前と年齢から察するに、『ときレラ』に登場する王子の一人で間違いないだろう。
気になるのは、セクメトスに代わる次世代の獣王として目されているのが『ヨハン』ではなく、会談相手の『エルバ・グランドーク』と噂されていることだ。
この点について、メモリーを通じて前世の記憶を調べてみたけれど、これといった情報は得られなかった。
ただ、それはしょうがないことかもしれない。
前世の記憶にある『ときレラ』の情報は、あくまでも今から『約十年後』に起こることだ。
それまでの間に何が起きるのか? それは『ときレラ』でも語られていなかった気がするし、おそらく僕同様に前世の記憶がある少女。
悪役令嬢こと『ヴァレリ・エラセニーゼ』を含め、誰にもわからないことだろう。
それより、目下の問題は会談相手のエルバだ。
彼は父上がバルディア領を継ぎ辺境伯となった同時期、狐人族の領内で起きた内乱を瞬く間に武力で鎮圧。
内乱の首謀者は、部族長ガレスの弟グレアス・グランドーク。
つまり、エルバにとっては伯父に当たる人物だったそうだ。
しかし、彼は一切の容赦なく、伯父のグレアスをその手で処刑。
内乱の企てに関わった者達は、家族や関係者を含め、エルバの指示により一族郎党、幼子に関わらず尽く断罪されたそうだ。
この事件は、獣人国内外にエルバ・グランドークの名を轟かせることになったらしい。
そして、現在の彼は部族長であるガレス同様の発言力を持ち、狐人族の軍拡を推し進める中心人物ということだ。
そんな彼を裏で支えていると言われている人物。
それが、エルバの弟であり、政務に優れた『マルバス・グランドーク』だという。
マルバスについて調べても、エルバのような武勇は特になかった。
しかし、狐人族の軍拡を進めるのに必要な政務はマルバスが一任されており、その手腕は国内外に問わず高く評価されている。
実際、狐人族の状況を調べる限りでは、決して経済豊かといえる感じではなかった。
にも拘わらず、ここ数年を見る限り着実に狐人族の軍拡は進んでいる。
これはエルバの発言力と影響力に、マルバスの優れた政務手腕が組み合わさった成果なのだろう。
何にしてもだ。
未来に起きる『断罪』に向けた準備を進めていただけなのに、何の因果なのか。
とんでもない人物の相手をしないといけなくなってしまった・・・・・・ということだろう。
「まぁ、どんな人物が相手だろうと、バルディアは僕が守ってみせるけどね」
頭の中を整理しつつ、自身を鼓舞するように言葉を口にする。
それから間もなく、屋敷の玄関が見えてくると、そこには父上の姿があった。




