ライナーの帰還
帝都から戻って来た父上の呼び出しを受けた僕は、すぐに宿舎の訓練場からカーティス達と本屋敷に移動した。
なお、ファラ達とカペラは宿舎の執務室で事務作業をしてくれている。
ディアナは僕と一緒にいるけどね。
父上が待つ執務室の前に辿り着くと、扉を丁寧に叩いた。
「父上、リッドです。入ってもよろしいでしょうか?」
「うむ、構わんぞ」
返事を確認してからカーティス達と共に入室すると、そこには騎士団長のダイナスを始め、副団長のクロス、ルーベンスの三人が、父上の座る執務机の前に並んで立っていた。
室内に漂う少し重い雰囲気を感じ、「えっと、少しお時間を改めましょうか?」と尋ねると、父上が首を横に振った。
「いや、大事な話は粗方終わったところだ。問題ない」
「はい。では、ライナー様、リッド様。私共はこれにて失礼します」
ダイナスがそう言うと、三人は会釈して執務室を後にする。
その様子を見届けると、父上は席を立ってこちらにやってきた。
「カーティス殿。レナルーテより遠路はるばる来て頂いたのに、ご挨拶が遅れて申し訳ない。改めて、バルディア領を預かる、辺境伯のライナー・バルディアです」
「こちらこそ、隠居していた身に今回のご連絡は身に余る光栄でしたぞ」
二人は挨拶を交わしながら握手を行う。
次いで、控えていたシュタインとレイモンドとも父上が挨拶を交わすと、カーティスが補足する。
「この二人は、若いうちに見聞を広げさせようと思いましてな。折角の機会故、バルディア領に連れて来たのです」
「なるほど」
父上は相槌を打つと、二人に目をやった。
「お二人共さえ良ければ、気が済むまでバルディアに滞在を許可しましょう」
「ライナー様、お心遣いありがとうございます」
シュタインとレイモンドは畏まって頭を下げた。
その様子は、初めて僕と会った時とは全然違う謙虚な姿勢である。
まぁ、ここ数日の間に色々あったからね。
思うところがあったのかもしれない。
それから、カーティスがバルディアにやって来てから起きた一連の出来事を父上に説明。
加えて、彼が第二騎士団の補佐官を引き受けてくれたことに伝えた。
「リッドとカーティス殿。それぞれが納得しているのであれば、問題はあるまい。カーティス殿、改めてこれからよろしく頼みます」
「はい、お任せ下され。それに、レナルーテで隠居しているより、リッド様と居ります方がよっぽど楽しいですわい」
カーティスは目尻を下げて頷き、顔を上げる。
すると、「さて……」と呟き話頭を転じた。
「我等はこれで下がりましょう。ライナー様とリッド様……親子水入らずで話すこともあるでしょうからな。行くぞ、シュタイン、レイモンド」
彼はそう言うと、スッと立ち上がり一礼する。
そして、部屋の扉に向かって足を進めた。
「お、お待ちください、祖父上! そ、それでは、これにて失礼します」
シュタインとレイモンドは慌てて立ち上がり会釈すると、追いかけるように退室した。
おそらく、父上と僕だけで話すことがあると察して、カーティスが気を遣ってくれたのだろう。
執務室に居るのが父上、僕、ディアナだけになると間もなく、「ふむ……」と父上が頷いた。
「個性的とは聞いていたが、良い御仁ではないか」
「はい。ファラとアスナのおかげで、良いご縁に巡り合えたと思っています。それで、父上。帝都はどうでしたか?」
「うむ、その件だがな……」
難しい顔を浮かべた父上は、ゆっくりと帝都での出来事を教えてくれた。
バルディア襲撃事件は貴族達と国内の混乱を避けるため父上から皇帝のアーウィン、皇后のマチルダ陛下に密かに報告したそうだ。
組織的な犯行であることは明確であり、襲撃犯の背後にはどこかしらの国が絡んでいる可能性が高いことも説明。
その際、両陛下は驚愕すると共にとても憤慨していたらしい。
「バルディア領に手を出すとはな。随分と大それたことをしてくれたものだ……」
「陛下の仰るとおりです。この一件。革新派の貴族達はこれ幸いと軍拡を言い出すでしょう。保守派と革新派の対立が激化するのが目に浮かびます。ですが、今後のことを考えれば秘密にしておくことも危険ですね……」
両陛下と父上は貴族達にどう説明すべきか打ち合わせた後、革新派と保守派の有力者達を集めて伝えることにしたそうだ。
革新派の有力者の中には、ベルルッティ侯爵。
保守派の有力者には、バーンズ公爵。
帝国の錚々たる面々が集まり、バルディア襲撃事件についての会議が開かれたという。
革新派は予想通りというべきか、襲撃事件は近年における帝国の威信が揺らいでいる証拠であるとして、軍拡を進め、国力を国内外に示す軍事パレード。
『観兵式』を行うべきだという主張を繰りだしたそうだ。
一方の保守派は、バルディア領を襲撃した犯人の正体が確定していない状況で、軍拡や観兵式を行うことは近隣諸国の緊張を高め、逆に軍備拡大の口実を与えてしまう。
『遺憾を表明する』、もしくは事件自体を公にするべきではないという主張で対抗したらしい。
しかし、革新派は遺憾を表明したところで事態は何も変わらない。
むしろ、帝国が何もしないことを国外に発信することになり、他国を増長させる結果に繋がる、消極的過ぎて論外だと反論。
保守派と革新派、それぞれの主張により会議は過熱する中、皇帝が決断を下した。
「バルディアを襲撃した実行犯と計画犯の正体がわからない以上、むやみに軍拡を進めることはできぬ。だが、事件が起きた以上、帝国内の領地において警戒態勢を取れ。それと、ライナー。お主は、襲撃事件の実行犯と計画犯を見つけ出すように努めよ。裏が取れるまで、襲撃事件を公にはせぬ」
鶴の一声により、会議がそのまま終わるかと思われたその時、一人の男性が挙手をしたそうだ。
その貴族の名前を聞き、胸が騒めいた。
「アシェン・ロードピス男爵……ですか」
「うむ。奴が最後に、とある親書を取り出して読み上げたのだ」
父上は、忌々し気にその時の様子を語った。
アシェン・ロードピス男爵は茶髪で青い瞳をしており、雰囲気は貴族と言うよりは商人という感じらしい。
というのも、彼は自身が運営する商会の功績が認められ、数年前に男爵位を叙爵した新興貴族だということだ。
「今回の事件と関係があるかわかりませんが、少し気になることがあります。陛下、よろしいでしょうか?」
「……うむ。気になることがあるなら申してみよ」
彼は皇帝の許可を得ると、懐から手紙を取り出した。
「ここに居られる皆様はご存じと思いますが、私は商いを生業としており商会を運営している身です。その取引先の一つ、獣人国ズベーラのとある部族よりこのような手紙が来ましてな」
アシェン男爵は、咳払いをしてその手紙を声に出して読み上げた。
「では……、『近年、獣人国ズベーラの各領内にて、獣人族の子供が行方不明になっている。そして、その子供達の一部が、帝国のバルディア領に行き着いたという噂がある故、可能であれば調査してほしい』とのこと。私も半信半疑だったのですが……ふと、今回の襲撃事件と関わりがあるのでは? と思いましてな」
「それは……どういう意味でしょう」
会場に騒めきが起きる中、父上がアシェン男爵を睨むと彼は肩を竦めておどけた。
「はは。そう怖い顔をしないで下さい、ライナー殿。私は貴殿のように剣を握ったことなど無い故、そのように睨まれると足が震えてしまいます」
「アシェン、茶化すな。簡潔に申せ」
皇帝の指摘に、「これは、失礼しました」と言って彼は会釈する。
そして、顔を上げると言葉を続けた。
「つまり、バルディア領にいる保護された獣人族の子供達。彼等を取り戻そうとした、獣人国に属する一部の過激派が今回の襲撃事件を起こした……その可能性もあるのではないか? と思った次第でございます」
「ほほう。それは確かに気になりますな」
アシェン男爵の発言にここぞとばかりに相乗りしてきたのは、ベルルッティ侯爵の息子であるベルガモットだ。
彼は会議場にいる貴族達にも聞こえるよう、わざとらしい物言いで演説するように言葉を続けた。
「しかし、そうなるとですよ。ライナー殿は以前、『領内で起きた問題は、自身の責任で解決するのは当然のことである』と仰っておられた。では、今回の件。もしも、獣人族の保護が事件の根本にあるのであれば帝国ではなく、バルディア家の落ち度……となりませんかねぇ」
「お二人共、推測や憶測で随分な物言いをされますな。当家に落ち度などありません。そもそも、アシェン男爵にその手紙を送った部族とは、何者かお伺いしてもよろしいかな」
毅然と父上が答えても、アシェン男爵は怯まない。
「えぇ、勿論。鳥人族の部族長、『ホルスト・パドグリー』殿です。良ければ、手紙の筆跡も見られますかな?」
父上、アシェン男爵、ベルガモット卿。三人を中心に、その場の空気が重々しく張り詰める。
だがその時、「もう良い、止めんか!」と皇帝の声が轟いた。
「二人の懸念は理解できる。だが、ライナーの言う通り、推測や憶測で言うべきことではない。今すべきことは、警戒態勢の強化。そして、今回の襲撃事件を起こした実行犯と計画犯を突き止める事だ。良いな!」
再び鶴の一声が響き、今度こそ会議は終わりを告げたという。
語り終えた父上の顔には、珍しく疲れが浮かんでいた。
「お疲れ様でした、父上」
「うむ。だが、帝都ではバルディア家の悪評が想像以上に噂されている。真に受ける貴族はおらんようだが、火のない所に煙は立たぬと訝しんでいる者達は多数いるようだな。厄介な事だ」
父上は首を横に振ると、懐から一通の手紙を取り出して机の上に置いた。
「そして、私がバルディアに帰って来る日を見越したかのようにこれが届いた。読んでみろ」
「……拝見します」
言われた通りにその手紙を手に取ると、中身を取り出して目を通す。
すると、その内容と差出人の名を見て思わず目を瞬いた。
「狐人族、部族長の嫡男、エルバ・グランドーク。次男、マルバス・グランドークがバルディアを訪問したいとありますが、これは本気なのでしょうか」
「あぁ、おそらくな。どういうつもりかは知らんが、襲撃犯が逃げ込んだのは狐人族の領地だ。こちらも聞きたいことは山ほどある、良い機会になるだろう。お前もその場には出席してもらうつもりだ。心しておけ」
「畏まりました」
工房を襲撃した実行犯、『クレア』と名乗る女性は狐人族の強者だった。
もしかすると、来訪してくる狐人族と彼女は何か繋がりがあるのかもしれない。
何にしても、油断できない相手になるだろう。
僕は会釈しながら、気を引き締めるのであった。




