外伝・アモンとラファ
その日、狐人族の領地を治めるグランドーク家の屋敷では、部族長の長女であるラファ・グランドークの部屋を訪れる者がいた。
「姉上。よろしいでしょうか」
「あら、その声はアモンかしら。良いわよ」
許可を得た彼は、ゆっくりと戸を開けて入室する。
部屋に居たラファは、ソファーに腰かけ書類に目を通している。
そして、彼女の横には黒い長髪と細く切れ長の目をした、黒い瞳の狐人族の女性が立っていた。
「失礼します……良かった。今日はちゃんと服を着ておられるのですね」
「あは。貴方が来るとわかっていたら、からかってあげたのに。残念ね」
ラファはそう言って怪しく目を細めると、書類を机の上に置いてクスクスと笑い出す。
アモンはやれやれと肩を竦めるが、すぐに真面目な顔つきとなった。
「バルディアでの件。あれは最初から仕組まれていたことだった。そして、僕とシトリーは、追手に対する囮に使うおつもりだったんですよね」
「あら……何の事かしら? 囮も何も、私はアモン達と一緒に『彼』の相手をしたじゃない。シトリーを抱きしめながら……ね」
「誤魔化さないでください。あれが姉上の影武者だということぐらい、僕にもわかりますよ」
そう言うと、アモンはラファの傍に控える黒い長髪の女性に視線を向ける。
「ピアニー。あの時、姉上に化けていたのは君だろう?」
「……さて、何の事でしょう」
ピアニーは一切表情を動かさず、淡々と答えるのみだ。
だが、アモンは意に介さずに視線をラファに向けた。
「そもそもです。尻尾の数が六本ある獣化など、誰にでもできることではありません。狐人族以外の他国の者ならいざ知らず、あの姿を披露した時点で姉上は僕に正体をばらしたも同然ではありませんか」
「ふふ、そうね。貴方の言う通りよ、アモン。でも、バルディアで私が動いていたのは兄上の指示よ。それに、貴方達を囮に使ったわけじゃないの。むしろ、彼に対する淡い期待だったと言えば良いかしらね」
不敵に笑うラファの言動に、アモンは眉間に皺を寄せた。
「彼に対する淡い期待……? リッド・バルディアに何を期待したというのです」
「そうねぇ。強いて言うなら『運命』かしら」
「運命……ですか?」
アモンは怪訝な表情で首を傾げるが、ラファは楽しそうに続ける。
「事前の諜報活動で彼があの日、あの町に行くこと情報は得ていたの。だから、もし運命というものがあるなら、きっと彼は私の元にやってくる。そう思って、淡い期待を貴方とシトリーに掛けていたの。だから、本当に私のところまでやって来た時は、それはもう感動したわ」
「……何故、そのような回りくどい真似をされたのですか?」
「あら、決まっているじゃない。その方が、面白そうだったからよ」
ラファはそう答えると、笑い出した。
アモンはまるで狐につままれたような気持ちになりながら、話頭を転じる。
「何にしても、父上と兄上達はバルディアと敵対するおつもりなんですね」
「えぇ、そのようね」
わかり切っていることを言うアモンに、ラファは興味なさげである。
だが、彼は言葉を止めない。
「……リッドと色々と話しました。彼は聡明であり、優しい心根の持ち主です。誠意をもって対応すれば、バルディアと狐人族の双方が大きく発展することできるでしょう。しかし、敵対すればその道は閉ざされてしまいます」
「だから? それがどうしたというの」
彼女の眉間に皺が寄り、表情が険しくなる。
すると、アモンは意を決した様子で彼女を見据えた。
「姉上、何とか父上と兄上達を思い留まらせることはできないでしょうか」
ラファはきょとんとすると、「はぁ……」と深いため息を吐く。
「少しは成長したと思ったのにねぇ。アモン、此処にきて人の力を頼るなんて駄目よ。仮に私が進言したところで、父上と兄上が留まることなんてないわ。貴方と父上達の目指す道は全く違うもの。だけど……一つだけ方法があるわよ」
ラファは怪しく目を細めると、おもむろに立ち上がりアモンの傍に近寄る。
そして、彼の頬を優しく撫でると耳元で囁いた。
「弑逆するのよ。父上のガレス、兄達であるエルバとマルバスを貴方が殺しなさい」
「な……本気ですか⁉」
アモンは目を見張りながら、何とか声を抑える。
しかし、ラファは顔色一つ変えずに頷いた。
「えぇ、そうよ。貴方が道を切り開きたいならそれしかないわ。叔父上のグレアス・グランドークのようにね」
「……しかし、それは」
ラファの言葉にアモンは答えられず、俯いて沈黙してしまう。
彼女はやれやれと肩を竦めた。
「覚悟が足りないのよ、アモン。父上や兄上と言葉だけで理解し合えるなんて思わないことだわ。貴方が、父上や兄上以上に強くなって従えるのよ。そうすれば、貴方のやることに文句を言う人は誰もいなくなるわ」
「……血で血を洗う骨肉の争いをすれば、結局のところ苦しむのは領民です。民なくして、長は務まらない。民なき長など滑稽です」
その言葉を聞いて、ラファが目を丸くした。
「あはは! それ、叔父上が良く言っていたわね、懐かしいわ。貴方は叔父上と仲が良かったものね。でも、さっき言った事。良く考えておくことだわ。それに、悩んでいる時間はあんまりないわよ」
「それはどういう意味でしょうか?」
「あら。いつか言ったでしょう、アモン。何でも聞けば答えてくれるとは限らないのよ」
ラファは目を細めると、「さて……」と呟いた。
「私は兄上に呼ばれているの。そろそろ、良いかしら?」
「……承知しました。では、失礼します」
表情を曇らせたアモンが部屋を退室すると、控えていたピアニーがラファの傍に近寄る。
「ラファ様、アモン様をあのままにしてよろしいのですか?」
「えぇ。あの子が『坊や』のまま終わるのか、それとも化けるのか。それも楽しみの一つだもの」
ラファはそう言うと目を怪しく光らせ、ニヤリと口元を緩めていた。




