第94話 一方その頃、暁の旅団は (10)
扉を開いたその先に待っていたのは広大無限に広がる宇宙空間であった。
その宇宙空間に小島のようにいくつかの岩石でできた浮島が点在しており、それを奥に進んでいくと、最奥部には祭壇があり、そこにダクネスが寝かされているようだった。
祭壇の前には邪神エストールがおり、何かしら呪文を唱えている。
余り障害となるようなものがない中、ランドルフとエリーはそのエストールの様子を岩陰から眺めていた。
そこは正に神域。ダクネスとエストールから発せられる空間が歪むかのような凄まじい魔力により、息をするのも苦しく感じるような重圧を感じる。
天上では満点の星々が嘘のようにくっきりと、まるでこちらに迫ってくるような美しさと迫力を持って輝いている。
「あれは……俺とお前に施された進化の秘宝に似た儀式だな」
「そうね……エストールとダクネスとの間にエネルギーの循環ができているしね」
進化の秘宝はエストールのエネルギーを対象者へと分け与えて、そのものの持てる魔力や身体強度を上げるというものであった。
しかし今回の場合はエストールからダクネスではなく、ダクネスからエストールの方へとエネルギーの循環が向いているように見受けられた。
「エストールの強さの秘密。ヒルデガルドもそうだが、魔族で魔王を超える力を手にしているものたち。奴らにおしなべて言える事は元はエネルギー吸収型の魔族だという事だ」
進化の秘宝を施され、強くはなったがまだその先には人外の神、ヒルデガルドとエストールがいた。
その身を魔族にまで変えたのだ。それなのに自分よりまだ強い存在がいるという事がランドルフには我慢がならなかった。
エストールとヒルデガルドの強さの秘密を必死に探る。
そうして得た結論が、悠久の時を生きながら、エネルギー吸収で想像も出来ないほどの死を積み重ねる事で、その強さを少しずつ積み上げてきたのだという事だった。
エストールの方は人や強魔族から得られるエネルギーはすでにカンスト状態らしく、それではもうこれ以上強くなることはできないらしい。
今回、ダクネスからその理外の力を得て、神をも超える力を得て、すべての神々を蹂躙するつもりだとの事だった。
「なんとかして奴から力を奪えないか……」
一つの可能性として、普段なら一部の隙もなく、敵対の意思を見せれば瞬殺されるであろうエストールであるが、進化の秘宝の儀式の間は無褒美で隙だらけだった。
故にか儀式の間は誰もその場に同席させることを許さなかったのだが、今回の儀式でも普段は針の隙も通さないようなエストールの意識が弛緩された、隙だらけの状態となっている。
「反転魔法は?」
エリーの魔術師としての提案。
反転魔法は力が強ければ強いほどその力が仇となって自分に返ってくるという魔法だ。
例えばバリアだったり、攻撃してきた魔法をそのまま返したりといったように。
だが、エナジードレイン系の反転魔法と言われて、ランドルフに思いつくものはなかった。
「反転魔法じゃ奴のエネルギーを奪えるものはないだろう」
「…………あるわよ」
なぜそこまでするのか?
これはエリーがランドルフについてここまで来た過程でなんども問い掛けられた事であった。
なぜそこまでするのか?
その問いは自問自答してきた問いでもあった。
最初は認めたくないという気持ちが強かったと思う。
それは故に私のプライドの高さによるものだろう。
家柄は貴族の下級ではあるがそこそこよく、一人娘で蝶よ花よと育てられた事もあるのかもしれない。
最初は中々認められなかったが、共に過ごす時間が長くなればなる程にその思いは確信へと変わっていく。
なぜこんなくずを……とも思うが、その思いは理性ではなく、そして理屈でもない。
私はランドルフを愛しているのだ。
なぜそこまでするのか?
エナジードレインの反転魔法は存在する。
反転魔法であるが故に魔力が強くない一般的な魔族に対してはほとんど意味をなさない。
だが魔力が強い魔族に対しては絶大な威力を発揮する。
しかし、そんな魔法、もちろんの事、制限が存在する。
術者以上の魔力を持つ対象については基本的に反転がうまく作用しないという制限だ。
故にこの魔法はほとんど使えない魔法として、現在では一般魔術教本にも掲載されていない忘れられた魔法となっている。
しかし、この『インバージョンドレイン/反転エナジー吸収』という魔法。
制限を突破する例外が存在する。
それは――
術者の自身の命の炎を燃やす事で反転が有効化するというものであった。
なぜそこまでするのか?
エリーの頭の中に数限りなく繰り返されてきたその自問。
邪神相手の『インバージョンドレイン』の発動などまず間違いなく、命を落とす事になるだろう。
ここで死んでいいのか?
そこまでする価値がある男なのか?
……生きたくないのか?
なぜそこまでするのか?
このままでは――いや、もし、地獄というものがあるなら私とランドルフは間違いなく地獄行きだろう。
ランスを追放してから……暁の旅団は七転八倒、人間社会で言う所の罪を悪行を重ね続けて、果てには魔族にすらなった。
進化の秘法で魔族になったあの日に自分の決意は決まったような……死に場所を探し初めたような気がしないでもない。
馬鹿な女だ。自分でもそう思う。
だが後悔があるか? と問われたらはっきりと無いと断言できる。
決していい人生ではなかった。
だがそんなに悪くもなかったな……と少しの感傷に浸りながら――
「……じゃあ、今の儀式のチャンスに『インバージョンドレイン』を発動して、邪神のエナジーをあなたに注ぐわ」
隠れていた岩陰から進み出て浮遊術により、邪神の近くまでエリーは宇宙空間を飛んでいく。
そして、それにランドルフも続く。それにエストールは気づくが今は儀式の途中で身動きが取れない状態だった。
「ここは神域! 虫けら共が足を踏み入れていい所ではない! すぐに立ち去れ、さすれば命だけは助けてやる!」
エリーはエストールからのその忠告を無視して両手を天高く広げて――
『インバージョンドレイン/反転エナジー吸収』
エストールからダクネスへと繋がれていたチャンネルが、ランドルフに繋がる。
そしてダクネスからエストールへと流れていたエナジーがダクネスとエストールからランドルフへと流れるようにその流れが変わる。
「おおおおおおおおーーッ!!」
ランドルフは自身に流れ込むそのエナジーに驚嘆の声を上げた。
その一方、邪神エストールは――
「……馬鹿な! エナジードレインだとッ!! 俺とダクネス相手にそんな事が可能な訳……そうか! 小娘、お前その命と引き換えに!? 止めろーーーッ!!! 神である我からその力を奪うなど許されるとでも…………あああ゛あ゛あ゛ーーー」
エストールはその力が抜けたような様子でその場に膝をつく。
「ゔゔゔーーーお゛お゛お゛お゛お゛お゛ーーーーッ!!!!」
一方、ランドルフからは巨大な火柱のように魔力のほとばしりが発生し、咆哮を上げている。
その火柱はどんどんと巨大になっていき、遂には辺り一帯の宙域を呑み込み、目も眩むような眩い光を発した後に――
儀式の場にいたもので立っているのはランドルフのみとなっていた。
ランドルフはその姿を魔族のそれから人間だった時のものへと変えていた。
見た目だけではただの人間、エナジードレインは失敗したかのように見えたが――
「……そうか……そういう事だったのか! そして、これが神の力……」
ランドルフは片手を上げるとそこから小さな魔力弾を一つ、近くの宙域に存在する、といっても数百万キロはあろうかという距離の惑星に向けて放出する。
しばらくするとその赤色の惑星の一角から大きな白いきのこ雲が発生し、きのこ雲はその範囲を徐々に大きくしていき、最終的にはその惑星の半径ほどの大きさとなる。
「素晴らしい……地球であれば今の一撃で大陸の一つは消し飛ばされただろう。力をセーブした手加減をした状態でこれとは……。さて」
ランドルフはゆっくりとエストールの元へと歩を進め、仰向けで倒れているエストールを見下ろす。
「どうだ、今の気分は?」
ニヤニヤと喜悦の表情を浮かべながらエストールに尋ねる。
「…………腹立たしい奴よ……我が悠久の時を掛けて得た力すべてと……さらには理りの力、ダクネスの力まで持っていくとな……」
エストールはその眼の奥には最早、光が灯っておらず、息も絶え絶えといった様子だ。
「我が力と一部の記憶……そして……我が奪っていったものたちの力とダクネスの力まで……。それを得たお前に敵うものは……もう世界に存在しないだろう。神をも超えた存在となった今……なんとでも好きなように名乗り、振る舞うがいい」
「ああ、そうさせてもらう。それで……最後に何か言い残す事はあるか?」
「……最後に言い残すこと……特に無い……最初はただの弱小魔族だった我……よくここまでこれたものよ……」
「そうか……」
ランドルフは右手を前につきだすと――
地面に倒れていたエストールの体は宙に浮く。
そして開いていたランドルフのその右手が閉じられると――
エストールのその体がどんどん圧縮されていく。
骨が粉砕される音や、肉が臓器が破壊されるいやな音が響く。
最終的にはボールくらいの大きさまで圧縮され、その状態でランドルフがその手を開くと――
行き場を失っていたその肉と骨と鮮血とが花火のように咲き、辺りにばら撒かれた。
「気に入らなかったんだよッ!! てめえも偉そうでな…………くっくっくっく、あーーはっはっはっはーーーッ!!」
広大な宇宙にランドフルのその笑い声が吸い込まれていく。
そして彼の傍らにはその瞳に涙を流しながら絶命しているエリーの姿があった。