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第80話 奪還

 そこは一見すると塔にも見えるような巨大な煙突の頂上だった。

 煙突の漆黒の闇が広がるその穴からは煙がモクモクと上がってきている。

 時刻は午後の7時を超えた辺りで人々は仕事を終えて帰路に付き、地下世界を照らしている灯りは時刻に合わせてその光度を弱いものにしている。

 周辺にはその煙突より高い建物はなく、その頂上からは辺り一面を見渡せた。


 正面には工場地帯が、左右には民家や屋台などが立ち並んでいる。

 地下都市の中では珍しく、乱雑に建物群が地下頂上まで立ち並んでいない地域であった。

 工場地帯はまるで小さな宝石を散りばめているような輝きを放っている。

 一方、民家からはひっそりと自己主張するかのような人々のささやかな生活の灯火が確認できた。


「そろそろ行こうか」


 横に立つバディストの短く刈り上げられた紫の髪の毛が風に揺られたなびいている。

 彼女のその瞳には気負いも逡巡も緊張の光も感じられない。

 一方、自分はというと高所による恐怖により心臓は激しく脈打っていた。


 浮遊術を習得してからどんなに高い所であっても自由自在に移動する事ができるようになった。

 実際、浮遊術で飛行している時に恐怖を感じる事はない。

 しかし、地に足をつけた状態で高所に上がると本能によるものなのか、浮遊術がある為に命の危険はないという事を頭では理屈としては分かっていても、恐怖という感情がどうしても湧き上がってくる。


 バティストを筆頭に、地下の面々がエアーボードと呼ばれるそれを足元に下ろし、煙突の頂上から数十センチほど浮いたそのボードにそれぞれ乗っていき、ゆらゆらとその時を待っている。

 俺とミミたちメンバーもそれに続くために同じようにそのエアーボードに乗る。


 子供たちの奪還の準備ができた為、奴隷工場を襲撃しに行く事。

 またエアーボードを使用して襲撃する事を聞いた時、その同行を俺たちも志願し、エアーボードの乗り方についてもレクチャーを受けたのだった。

 エアーボードの操作方法は至って単純でボードを縦にして前側に体重をかければ加速し、後側に体重をかければ減速するといったもので、進行方向はボードの先頭がどこを向いているかで決定される。

 慣れるまでは結構大変だったが……実際、ミミなどは落下の恐怖の為、闘気を纏った状態でエアーボードに乗る練習を行っていたが、なんどか無関係な建物に激突し、地下都市の何箇所にはミミを身体を形どったような激突跡の穴が形成されている。


 バティストの姿が視界から突然、消え去り――下、地面方向を眺めると――彼女は煙突の壁沿いに伝って垂直に地面に向かって、凄まじいスピードで突撃していく。

 その後に続くように地下の面々も次々とエアーボードに乗って、遥か下の地面へと向かってダイブしていく。

(正気の沙汰ではない)

 俺の本能はそう警告を発しているが、すくむ足を浮遊術があるから死ぬ事はない、という事実を必死に念頭に起きながら、その高所からエアーボードに乗ってダイブ――遙か下の地面に向かって飛び降りた。


 一気にスピードに乗り凄まじい風圧を顔面と身体前面に感じる。

 風圧から目を守る為、一応、みんなゴーグルは身についていた。

 あっという間に地面は目前へと迫ってき、恐怖と緊張が同時に押し寄せる。

 地面に衝突するのに後、数メートルという所になって――

 俺は地面に対して直角に向けられていたエアーボードを地面と平行へと向き直す。

 向き直した直後に凄まじい重量を感じるとともに、重力によって得られた加速そのままに地上を凄まじいスピードで進み、工場へとまるで弾丸のように、恐怖から解き放たれた快感を伴って発射されていった。


 電光石火の襲撃。

 正にその言葉を体現するかのように、煙突の頂上からダイブして、そして工場にたどり着くまでに目撃された通行人たちに通報の猶予を与えない速さで、俺たちは目的の奴隷工場へと到達した。

 奴隷工場群は大きな塀で囲まれてはいたが、そこはエアーボードで悠々と飛び越え、事前の情報の通り、警備の者などは皆無で、それぞれが子供たちの解放の為、いくつかある内の工場へと乗り込んでいく。


 俺も一つの奥にある工場の中に乗り込む。

 扉を開けてその内部へと足を踏み入れると、前もって聞いていた通り、そこは円環状に幾層にも重なり合った製造ラインも持つ監獄兼工場となっていた。

 見上げるとその円環で子供たちは無表情で作業を行っている。

 その目には光はなく、その表情は絶望する事にさえも疲れたかのような限界にまで酷使されているものの疲労感が見て取れた。


 1階部にはおそらく看守用であろう、一室のみ部屋があるようで、その部屋には大きなガラス窓が外を監視する為に備え付けられており、その内部で横になっている人間を確認する事ができた。


「がーーーごぉーーーーー」


 盛大ないびきを響かせながら、おそらく看守であろうその男はベットに横になって寝ている。

 あのような年端のいかない子供たちを強制的に働かせて、自身は自堕落に睡魔を貪る。

 その様に俺はイラっとする。


 ポンポンっとその肩を叩く。


「んあッ!?」


 男は寝ぼけ眼で起き上がるが、そこに俺は強烈なボディーブローを加える。


「ぐうおぉッ!? ぎゃッ!!」


 更に首筋に追撃を与えて、男の意識を遥か彼方へといざなった。


「みんな! 助けにきた! 降りてきてくれ、一緒に逃げよう!!」


 1階部で見知らぬ男が侵入していた事は何人かの子供たちは気づいており、その様子は注視されていたのだが、俺のその声掛けに対して、実際に1階まで降りてこようと行動に移す子供は現れない。

 お互いの監視と密告の報酬により、囚人自身に手枷足枷をさせるというその統治システム。

 非人道的な糞のようなシステムではあるが、それは子供たちに対してはうまく機能しているようであった。

 チラチラとこちらを見ているようではあるが一向に下に降りてくる気配がない。

 どうしたものかと頭を悩ませていると――


「みんな助けに来たよ! こっち! 逃げる為の地下道が工場を出たちょっと先にあるからそこまで急いで!」

「お姉ちゃん!」

「姉ちゃん!」


 扉を勢いよく開け放ち、部屋に飛び込んできたバティストのその言葉に幾人かの子供たちは反応し、すぐさま階段を駆け下りてくる。

 子供たちは泣きながらバティストに抱きつき、バティストはその子供たちの頭を撫でながら――


「ごめんね、助けるのがこんなに遅れてしまって……。他の子たちも大丈夫だがらおいで! みんなで一緒に逃げよう!」


 バティストと面識がない面々、大多数の子供たちがそうであったが、先行してバティストを信用して下へと降りた子供たちに追随して一人、二人と下に降りていき、その様子を注視し、お互いに顔を見合わせていた子供たちも遂には次から次へと全員が我先にとその階段を下に降りてくる結果となった。


「さあ、みんなこっち! 私についておいで!」


 バティストは子供たちを工場の外へと導いていく。

 すでに他の工場建物からも子供たちは脱出を開始しており、子供たちの群れはその大きな流れへと飲み込まれていく。


 工場群から少し離れた先。

 何の変哲もなく、雑草が生い茂るだけの空き地。

 そこには地下の地下に掘られた地下道が隠されていた。

 その地下道はチャイルドスラムからの長い距離が掘り進められている。

 専用の魔導掘削機を魔導技師のセーラムから提供されたとかで、地下の地下には子供たちを潜伏させて隠し、そして、食料などを備蓄する為に、それを構成した当人たちもその把握が難しい程に複雑に奥深くまで、一つの要塞の如く地下道は掘り進められて構成されているようだ。

 今回の襲撃判断はそんな地下道がある程度、掘り進められて当面の食料の備蓄、並びに、逃亡と潜伏の為の地下道群がある程度完成した為であった。


 すごい数の子供たちが列をなし、その地下道へと吸い込まれていく。

 流石にその姿は通行人たちも目撃しており、いつ通報され、工場の管理人たちが駆けつけてきてもおかしくない。

 少々の戦力であれば撃退する自信はあるが、不要な戦闘はなるべく避けたかった。

 まるで蟻のように殺到して密集していた子供たちの姿も少しずつ、地下道へと消えてゆく事で減っていき、1000人を超える子供たちの最後の一人がその地下道へと降り立った後にその入口は地面から土が被されるて塞がれていく。

 地下からも何箇所かを崩落させる事によって、この入口はもう使えなくさせて、追跡の手を遅らせる為の手立てだった。

 幸いな事にすべての作業を終えた後にも誰かしらが駆けつけてくる事もなく、平和的に子供たちの奪還を成し遂げる事ができた。


 最もこれから先が本当の勝負ではあった。

 子供たちを解放する事、自体は警備がいない、相互監視の監獄である為に容易ではあったのだ。

 奴隷工場は地下都市全体、主要なすべての組織がその利益を享受しているはずで、彼らからの苛烈な反撃が予想される。

 それに食料の備蓄があるといっても1000人を超える子供たちだ。

 地下の更に地下道にずっと子供たちを住まわせて、そのお腹を満足ゆくものにしていくのは至難の技だ。


 つまりはこの後に発生する対抗勢力との戦争で勝利できるかどうか。

 それが子供たちの未来を決める決定打になると思われた。


 そしてこの奪還劇の後にすぐ、地下の代表者達が招集されて、その会議が開催される事になるのだが――最終決戦に向けた子供たちの未来を守る為の戦いは差し迫っていた。

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