第78話 真祖
パチン
アリーゼとヘルガの後方。
戦闘を観戦していた少女、ヒルデガルドの指先から小気味よい指パッチンの音が袋小路に反響した。
「こーうーたーいーーー」
ヒルデガルドのその声にアリーゼとヘルガはビクッとその体を震わせる。
「も、も、も、申し訳ございません! ヒルデガルド様!!」
「後は私が戦るーー」
ニッコリとした笑みを浮かべて二人にそう伝えるヒルデガルドとは対象的に、急ぎながら、しかし、明らかに強い恐怖を感じている様子で後方へと撤退していく二人。
「それではこれからは私が相手してあげまちゅねー」
ふざけた様子のニヤケ顔でそう述べる少女ヒルデガルドにバルザークはその瞳を丸くする。
彼我の実力の差。それはどんな愚か者でも分かるように示したはずなのだが……。
戦闘に於いて虚勢を張るものは多い。
戦術観点に於いてはそれがある程度は必要となる事もあるが、一度張った虚勢を敗北するまで、ひどければ死ぬまで崩さないものもいる。
それはプライドによる物なのか、或いは、愚かさによるものなのか。
虚勢を張る必要がないバルザークにはそれはそもそも分からない。
だがそうした虚勢を張る相手と対峙した時にいつも感じるのは痛々しさだった。
自分自身の弱さを認められない。その為に自己の成長を阻害する構図に気づけない、一種の喜劇的構成。
はあーっと思わずため息が出る。
またこの痛々しさを感じて苦笑いを浮かべながら戦闘を行わなければならないのかと。
この少女は見た目通りに幼く現実認識が甘いのか?
だとしたら分からせなければいけない。
「お嬢ちゃんはおままごとがしたいのかな? ここにいるのは大人ばかりだから家に帰ってからにしなさいねー」
「いやだ! 私と遊んでー!」
バルザークはヒルデガルドに併せてふざけた口調でおどけるが、実際は遊ぶつもりなどなかった。
聖光闘気を解除して、アブソリュート・ゼロショットを間髪入れずに発動する。
弓矢とヒルデガルドの頭部との間に見えない経路が繋がれ、瞬時に弓を放つと――
「べぇろべぇろばぁあーーッ!」
いつの間に近づいたのかヒルデガルドの舌を出したふざけた表情が目の前にあった。
しかも彼女はバルザークが放ったはずの弓矢を放たれた十数センチくらいの所で掴んで防いでいた。
あり得ないその状況にバルザークは考えるより先に体が動いて、彼女と距離を取るために後方へと下がる。
今の一瞬の間に俺との距離を詰めて、しかもゼロショットを防いだのか?
一気に嫌な汗が吹き出す。あり得ないスピードだ。しかしそれは実際に起こった事だった。
「どうちたんでちゅかー。わたちと遊びましょーー」
抱っこせがむように両手を拡げてヒルデガルドは自分との距離を詰めてくる。
何も知らない者から見るとその光景は微笑ましいものに映るかもしれない。
しかしバルザークが感じているのはそれとは全く逆の感情だった。
スピードは早いみたいだが、その見た目通り、力と防御力は大した事はないだろう。
おそらくスピードに特化したスキルを持っているのだと見当をつける。
であれば……俺が負ける要素は一切ない――
『聖光闘気』
解除した闘気を再度纏う。
そしてそれを念の為、100%まで高める。念の為だ。
ブワっとバルザークの闘気は天に向って昇り立つように倍以上の大きさに膨れ上がる。
この状態だと下手すれば地下都市自体を大きく破壊してしまう危険性がある為、注意して力を奮わなければならなかった。
100%の力を奮った事など地上にいる時でさえほぼなかった。
パチン
ヒルデガルドがそう指を鳴らすと袋小路の空き地の四方を囲むようにバリアが構成された。
「その力じゃと周りに気を使って存分に力を奮えないじゃろう。ほれ、バリアを張ってやったぞ。これで思う存分遊べまちゅねー」
笑わせる、と思わず鼻で笑う。俺がこの力を奮えばこんなちんけなバリアなどすぐに破られ、地下都市にも甚大な被害が及ぶだろう。
でもまあいい。そうなった時は後の事は【牙狼の砦】の連中がなんとかするだろう。
バルザークは一足で一瞬の内にヒルデガルドまで到達し、そのヒルデガルドの中心線に対して全力で拳を打ち込む。
あまりの力の強さに踏み込んだその足跡は穿った小クレーターのようになっている。
一切の躊躇と手加減のない100%の拳撃。
それは人工物であればどんな物であっても、例えどんな意匠が作った優れた防具であっても、強固な扉、建造物であっても、また自然物の岩山などの硬度の高い巨大物であっても一撃で粉砕できる威力を持ったものであった。
(さあ、粉々に粉砕された肉花火となって、地下都市に血の花火を咲かせやがれ!)
バルザークのその心の咆哮と共にその拳がヒルデガルドに到達した瞬間、耳をつんざくような衝撃音と凄まじい衝撃波がその袋小路内に響き渡った。
直撃によし殺った……とバルザークは思ったが――
彼の目の前に広がる光景は期待したものとは全く違っていた。
バルザークの数メートル先にはその二足の踏ん張りの筋を大きく地面に残しながら、両手を前側でクロスしてそれを防いだのであろうヒルデガルドのその姿があったのだ。
ヒルデガルドは俯いていたその顔を上げた後にニヤリと口角を上げると――
「よくできまちゅたー。わたしに防御をさせたのは数百年ぶりのことでちゅーねー。ほめてあげまちゅよー」
平然とそう言い放つ。
いや、俺の攻撃はあの女に直撃したよな……それに俺は100%の力で攻撃を放ったよな……。
バルザークはあり得ないその現状に理解が追いつかない。
「じゃあ、つぎはわたしの番でちゅねー」
バルザークの眼前に居た少女はその視界から突然消え去り――
ドゴォッという打撃音と右肩の痛みを認識した時には大きくふっ飛ばされているようで、バリアによってヒルデガルドからそれ以上、離れる事を妨げられていた。
バルザークは攻撃を受けたであろう肩に痛み覚える。
聖光闘気はあらゆる魔法攻撃を弾きかえし、更に物理攻撃についても、例え抜き身の真剣の攻撃であっても傷一つ入れられないはずであった。
痛み? 聖光闘気を纏っているこの状態で?
「このけまりはよく飛びまちゅたー。つぎはどうちましょうねー。内蔵を破裂させてあそびましょうかー」
聖光闘気とアブソリュート・ゼロショットの併せ技。
マジックアローの矢にも聖光闘気を強く纏わせて、併せ技により神速とも言えるような速度でその弓矢を放つ。
過去に一度だけ放った事があるその攻撃は当時、小山一つとその周囲を消滅させた。
こちらもまたあまりに絶大すぎた攻撃力の為に封印した技であった。
(さあ、消し飛び、この世界から消え去れ!!)
バルザークは歯を食いしばって全力でその矢を放ったが――
「べぇーろーべぇーろーうぶぁあーーーッ!!」
聖光闘気を纏ったその弓矢はまたヒルデガルドによって軽々と摘むような形で防がれていた。
また俺までの距離を一瞬で詰めてきたのか? 神速のあの極めて限られた時間軸のなかで……。
「はっ! はぁああーーーッ」
度重なるバルザークの理解を超えた状況に驚愕の叫び声が漏れ出る。
「ば……ばばばば……馬鹿な! 俺の攻撃を……あの攻撃を防げるものなどこの世界にいるはずがない!」
取り乱しパニックになって叫ぶ。
彼がヒルデガルドと戦う前に持っていた絶対強者の風格、佇まい、雰囲気。
そのすべてが吹き飛んでいた。
そしてバルザークは先程から自身の奥底から想起していたその感情について気づく。
永らく忘れていた懐かしさすら覚えるその感情。絶対的強者になってから一生向き合う事は無いとさえ思っていたその感情に。
バルザークが覚えたその感情の名は――恐怖だった。
「ひゃあああーーはっはっはっ! いい! そのリアクションいいでちゅねー!! こわいでちゅかぁ!? 自身が絶対的強者と思っていたその勘違いが崩されて、更なる絶対者の顕現を認めた時の今の気持ちはー! どうでちゅかぁぁぁああああッ!!!!!」
愉快で堪らないといったヒルデガルドのその拡声器を通したような大音量の嬌声が辺りに響き渡る。
とんでもない化け物と対峙してしまっているのかという現実認識。
その認識はバルザークの背後でその様子を注視している【牙狼の砦】のメンバーにも広がっていき、それぞれのその顔色を青いものへと変えていく。
体術による攻撃はダメ。マジックアローによる攻撃もダメ。
その時、バルザークの瞳に周囲に散乱している屍と共に、彼らが使っていたであろう打ち捨てられている武器の数々が目に止まる。
その中の一つの片手剣を震えるその手で握りしめた。
「すばらしいでちゅねー。あきらめないその姿勢! 良い子良い子してあげまちゅねー」
聖光闘気を利用した魔法剣。
これもまたバルザークは威力が強すぎる為に封印した技であった。
両手で眼前に掲げた片手剣に祈るように聖光闘気をまとわせていく。
強く、強く、念ずるように強く。この攻撃が通じなければもう後はない。
十二分に力が込められた剣を上段に構える。
彼からは凄まじい量の聖光闘気がオーラとなって立ち上がっており、極限までその力を込められた剣は強く光り輝いている。
絶体絶命の窮地。そうだ、俺はこんな窮地を、死地をなんどもくぐり抜けながら強くなったのではないか!
すり足で滑るように音もなくヒルデガルドへと到達したバルザークは、魂の奥底からも力を引き出すようにすべてをかけたその一撃を――袈裟斬りの一閃を全力以上の力を絞り出しながら放った!
ガキィイィーーンッ!!
――激しく鉄同士がぶつかり合うような音がした後に。
真っ二つにへし折れたその剣は宙をくるくると回転しながら、その剣身を照明の光に反射させながら、バルザークの左前方の地面へ突き刺さった。
バルザークは手にしたその剣が根本からへし折れている事……そして、ヒルデガルドは左手のなんと生身でその攻撃を防御して、傷一つ付いていない事を確認する。
「そ……そんな……ばか……な…………」
力が抜けるように絶望したバルザークはその場に膝をつく。
その剣と同じように完全に彼の心はへし折れてしまっていた。
その瞳は恐怖の色を色濃く反映し、その手と膝はガタガタと震えている。
「ふん、ただのそこらの剣なんかで私に傷がつけられる訳がなかろうが、この愚か者が」
魔王ですら、勇者ですら相手にしても勝てるだろうと自負していた。
実際、数十年前の魔王と勇者が健在だった時に自分が成人していれば勝負を挑みにいったであろう。
地面の土と砂利とをその震える手で握りしめながらバルザークは問う。
「お前自体は一体何者なんだ? 魔族なのか? それとも……」
「そうだな……」
ヒルデガルドは両手を天高く広げると一つの魔法を発動した。
『ブラッドストレージボール/血液収納球』
打ち捨てられている屍から血液が次々とヒルデガルドの上空へと集まっていく。
集まった血液は円球上に溜まっていきその大きさを徐々に大きくしていた。
搾り取れる血液がなくなり、亡骸がミイラのように萎んだ状態になるとヒルデガルドの上空には光沢すら感じさせる美しい真紅の真球ができあがっていた。
ヒルデガルドはその上空の真球に向かって口を開ける。
すると真球の下頂部に穴が空いたようでその口の中に綺麗にホースで垂らしたように血液が注ぎ込まれていった。
「ふぅーーー、やはり血は搾りたてに限る! うまい!」
ヒルデガルドはその瞳を真紅のものに変え、口からは鋭い牙を覗かせていた。
「……吸血鬼? しかし、ただの吸血鬼がなぜそこまでの強さを…………もしかするとお前が吸血鬼の王なのか?」
「ぶっぶー、王ではありませんー」
「じゃあ、では吸血貴族か? しかしそこまでの力を……それはありえないだろう……」
「そうだな………」
片手を口に添え、少しの間、ヒルデガルドは熟考する。
「まあどうせ皆殺しにするんだからいいか、教えてやろう」
ゴクリとバルザークはつばを飲み込む。
「我はすべての吸血鬼たち、吸血鬼の王も違わず我の眷属であり、吸血鬼の母にして頂点なるもの。遥かなる昔、神話に語られるような時代より闇に蠢き、そしてそのすべてを支配してきたもの。そう我こそが吸血鬼の真なる祖先、始まりなる真祖である」
「し、真祖だってぇッ!?」
真祖など伝説、神話に出てくるような存在。正に神級の存在だ。
なんでそんな者がこんな地下の掃き溜めのような組織の中に……。
「さあ、お待たせちまちたー。これからは蹂躙、殺戮のお時間でちゅー」
おもちゃを目の前にした子供のような笑顔でそう宣言しながらヒルデガルドは無造作に間合いを詰めてくる。
「た、頼む! 命は助けてくれ! 欲しい物はなんでもやる! 金が欲しければ俺は今まで溜め込んだ大金を持っている!」
バルザークはヒルデガルドの足元に這っていってその足を舐めんがばかりに懇願し、命乞いをする。
SSランク冒険者としての矜持と誇り。絶対的な強者としての強烈な自負。
そういったものをすべてかなぐり捨て、無様な様を晒していた。
後方に控える【牙狼の砦】のメンバーからの刺すような視線がバルザークに注がれる。
「なんでもくれるのでちゅかー」
「ああ、俺の命以外だったらなんでも!」
「そうでちゅか………じゃあ、血をくだちゃいー」
「はっ!?」
ヒルデガルドは鮮血で染まった牙を覗かせ、その口を大きく開く。
開かれたその口はバルザークの首筋へと向かう。
「ちょ、ちょっと止めてーーーッ!!!」
バルザークは必死な抵抗を見せるが、ヒルデガルドの圧倒的な力に敵うはずもなく――
「あーーあーーーあひぃいーーーーーーッ!!」
首筋に噛みつかれた後に得も言われぬような、歴戦の戦士とは思えないようなバルザークの叫び声が辺りに木霊した。
ゴクリゴクリという音をたてながらヒルデガルドの喉仏が上下し、その間、バルザークは最初はその瞳を充血させながら涙を流していたが、しかし、いつしかその表情は恐怖と絶望ではなく、恍惚の表情へと変化していった。
「あ――あっああ――――!!」
バルザークの口から喜悦の喘ぎ声が発せられる。
ヒルデガルドは満足そうにバルザークの首筋から顔を上げた。
バルザークは呆けたような表情で視線を一点に注ぎ、ピクピクとその体を震わせてその場に膝をついて俯いた。
「ふぅーーー、おいちかったでちゅねー。安心してだいじょうぶでちゅ、おまえはレアなスキルをもっていたので眷属にしてあげましたー」
懐から取り出したハンカチえ鮮血に濡れた口元を拭いながらヒルデガルドがそう言った後に、バルザークがスッと無表情に立ち上がる。
そしてヒルデガルドに向って跪き、頭を垂れて恭順の姿勢を見せた。
「我が君よ」
バルザークはヒルデガルドから差し出したその手の甲へ接吻を交す。
「さて、まだお楽しみは続きまちゅよー。あとのお前たちはみーーなーーごーーろーーしーーですッ!!」
残された【牙狼の砦】のメンバーたちは全員、一気に恐慌に陥り――
悲鳴や叫び声を上げながら必死に逃げようとするがヒルデガルドが構成したバリアに阻まれて逃げる事はできない。
「べろべろーー」
そうおどけた後に一人のメンバーの目の前に一瞬で移動し――
「ばぁあーーーーーー!!」
その者の頭部を掴んだ後にそれを勢い良く上に引っこ抜くと、頭部を失った首から勢い良く噴水のようにその鮮血が辺りに撒き散らされた。
「いやだぁーーーーー」
「ひぃひぃーーーーー」
「た、助けてくれーーー」
自らの不吉な最後を予見しているメンバーたちの阿鼻叫喚が辺りに響き渡る。
辺りには血飛沫が舞い、元は人間だったものの破片が撒き散らされる。
それに伴い、彼女の上部に構成されている血の円球はどんどん大きくなっていっている。
死にゆく者たちの命乞いや狂気の叫び、怒号、呪詛の声などそのすべてを喜悦の表情でヒルデガルドは受け止めていく。
そして彼女のそんな様子を傍らで憧憬と恍惚の眼差しを向けてバルザークは眺めていた。
そして遂には最後の一人となった男の胸にその手を差し入れて、そして、それを引き抜き――
引き抜かれた心臓を男の目の前に掲げた後に、美味しそうにその新鮮な血液をまだ脈打っている心臓からすすり込む。
「か……え……せ…………」
そう言いながらヒルデガルドに手を向けて倒れていった男に満面の笑みを浮かべた後に感情が爆発したように――
「ひぁああああーーはっはっはーーーーーーーッ!!」
ヒルデガルドの地獄の底に響き渡るような嬌声が辺り一帯に反響していった。




