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第67話 復讐前夜

「第5章 地下都市編」の始まりです。

 ガラガラガッシャーーーンッ!


 時は人々が寝静まり、沈黙が世界を支配している深夜。

 突然、一階から棚でも倒したかのような大きな音が鳴り響いてきた。


「う……ん……」


 眠気まなこを擦りながらゆっくりと起き上がる。

 窓の外、夜空に浮かぶまん丸と肉付いた月は煌々と怪しい光を放っている。

 一緒に寝ている姉も異変に気づいたみたいですでに起き上がって、寝ぼけているのか焦点の定まらない視線をしており呆けた表情をしている。


「キャーーーーッ!!」


 その突然の悲鳴にビクッとなる。

 今の悲鳴はお母さんのもののように思われる。

 何があったのだろうか?

 一階ではお父さんとお母さんが寝ているはずだった。

 隣の姉も今の悲鳴で目を覚ましたようで、その目を見開き、顔色を青いものへと変えていた。


「姉ちゃん、なに今の声? お母さんの声?」


 突然の異変と危機を連想させる悲鳴により、狼狽し恐怖を覚えながら姉に問いかける。

 すると姉はベットから飛び降り、


「エレン! このベットの下に潜りなさい!」


 姉は自分の手を取るとベットの下へと潜り込ませた。


 ベットの下で横向きになりながら、


「お姉ちゃん、いつまでここにいればいいの?」

「私が良いと言うまで絶対に出ちゃダメだからね! 絶対にダメよ! 声も一切出さないで!!」

「う、うん……」


 その姉の強い目力を伴った鬼気迫る様子に気圧される。こんな姉の様子は記憶にない。

 その様子から必死さが伝わってくると同時、姉の奥に潜む強い恐怖も同時に感じられた。


 ギシギシギシ、という何者かが階段を上がってくる足音。

 その足音は自分たちの寝室の前で止まり――

 ガチャっという音ともに寝室のドアが開け放たられた。


 見えるのは足元のみ。黒色の長いブーツを履いた何者かが侵入してきた。

 室内で靴を履いている事によりそれは家族の誰かではないことは明らかだった。


「なんですか、あなたは……あ……が……ぐ……」


 見知らぬ闖入者を咎めた姉の足が宙に浮かぶ。

 その足はバタバタと必死にもがきながら抵抗を見せる。


「お姉ちゃん!」 と思わず叫び声を上げそうになる。

 必死に声を上げないように両手で口を塞ぐ。

 目には恐怖と悲痛により涙が溜まっていた。


 バタつかせていたお姉ちゃんの足がいつしかだらんと垂れ下がる。

 そして、その足から透明にみえる液体が地面に垂れ落ちた。


「チッ!」

 っと舌打ちをした闖入者はお姉ちゃんの身体を無造作に地面に打ち捨てた。

 地面に横たわったお姉ちゃんのその顔は丁度、自分の方向に向き、その目と自分の目が合う。

 姉の固定化された視線の先には自分の姿があるはずだが、その表情は何の変化も生気もなく、何かのお面のようにそこからは何の感情も感じとる事ができなかった。


 自分の目に溜まっていた涙は止めどなく地面へとこぼれ落ちている。

 絶望の慟哭が漏れてしまわないように必死に口を抑える。

 すぐ目の前に迫った死の恐怖により身体は小刻みに震えていた。


 カッカッカッカ

 別の人間が階段を上がってくる足音が聞こえてくる。


「……始末したようだな。これで全部か?」

「知らない、でもまあ、たぶんこれで全部でしょ」

「……まあいいか、メインターゲットは始末したしな。それじゃあ帰るぞ、ソーニャ」

「ええ」


 カッカッカッカ

 バタン


 階段を降り、玄関のドアを閉じたであろう音が聞こえた。

 人の気配が消え、家の中には静寂が立ち込める。

 家の中からは人の気配が消えていた。

 目の前には姉が、そして一階には両親がいるはずなのに。


「………………」


 これは何かの悪夢で夢から覚めたらいつもの日常が戻ってくるのではないか。

 余りに突然の出来事に思考と感情が追いつかずに現実逃避の思考が芽生える。

 そうだドッキリだ! 深夜にたちの悪いドッキリを家族に仕掛けられたのだ。

 種明かしをされた際にはこっぴどくみんなを叱らないといけない。


 ……姉は能面のような表情で刺すような視線を自分に向けてきている。

 その痛々しい光景にすでに目の前の姉を静止する事はできなくなっていた。


「おねえ……ちゃ……ん……」


 他の誰にも聞こえないように呟くような小さな声で、すぐ近くで倒れている姉に声を掛ける。

 その声は届いているはずだが、姉は無表情なその表情で、まばたき一つしないその無機質な視線を自分に向けてくるのみであった。

 室内には柱時計の振り子が時を刻む音が等間隔で流れていた。


 チクタクチクタク。

 等間隔のリズムで告げられる時の流れ。

 まるで意思を持っているかのような濃密な沈黙。

 つい先程まで、家族で食卓を囲み、幸せな談笑の中、陽だまりのような日々を過ごしていたにも関わらず、孤独への恐怖が芽生え始めていた。


 べット下から這い出て姉を上から見下ろす。

 姉はべット下の方へ一心不乱にその視線を向けている。

 その時、丁度、雲に隠れていた月が顔を出し、その月明かりにより姉のその横顔が照らされる事になる。

 透き通るようなその白い肌は爛々と輝き、そして苦悶の中で息絶え、苦しみと憎しみを携えたようにカッと見開かれた瞳とその表情がまるで舞台照明に照らされるかのように強調される。


 美しい。自分はそれを美しいと思ってしまった。

 それは怖気をもよおすような光景にも関わらず。

 続いて感じるのは罪悪感。姉は自分を庇って死んだのだ。

 その光あるであろう未来と希望を投げ打って死に向って飛び込み、そこに自分が陥らないようにしてくれたのだ。

 その罪悪感はまるで心臓を握り潰されるかの強烈な重圧を自分に与え、立っていられなくなって姉に跪く。


 そして空間を引き裂くかのような慟哭の絶叫が家中に響き渡る事になった。






「うわぁーーーッ!!」


 ベットから飛び起きる。

 身体からは嫌な汗が吹き出ていた。


「くそッ!」


 そう一言毒づくとベットの脇に台に置いていたグラスに入った水を一気に飲み干して、喉の乾きを潤す。


「ふー、くそ、またあの悪夢か……」


 悪夢の元となったあの日。

 それはトラウマとなってフラッシュバックのように、繰り返しの悪夢のあの光景を自分に見せる事になった。


 自身の生きる目的と理由。

 それは悪夢のあの日によって定まった。

 両親と姉、家族の復讐。


 あの悪夢を見る事は自ら望む事ではなかったが、あの地獄を追体験する事により、自身の内で揺らめいている復讐の炎に燃料が投下される事になるので結果的には良かったのかもしれない。


 孤児となった自分はすぐに地下都市ソドムに堕ちる事になった。

 そこで地面に這いつくばり、汚水をすするような生活を生き延びてきた。


 蛇の柄が剣身に刻まれた短剣を手に取る。

 両親の形見となった短剣を組織用にカスタマイズしたものだった。

 洗面所に行き、顔を洗い、歯磨きする。

 身だしなみを鏡で少しだけチェックした後に玄関の扉を開ける。


 玄関の先にはいつもの建物郡が誤って作られた積み木のように乱雑に並んでいる。

 乱雑でカオス感もあるが、そこから逆説的に感じられる沸き立つような生命力。

 地下都市では比較的高層に位置するその居住区からは、地上に灯る人々の営みの灯りが小さな灯火として散見される。

 しばらく地下都市のその光景を眺めた後、その人々の営みへと加わるため居住区の階段を下っていった。

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