第54話 惑わしの洞窟
「ここがその惑わしの洞窟です」
案内人について馬を走らせ、帝都から半日ほど。
山中の山道から少し外れた所にその洞窟はあった。
入り口の一番高い所で人、二人分半程度で横幅もそこまで広くなく、どこにでもあるような洞窟に思える。
「ここから洞窟に入っていって頂き、突き当りでこのペンダントを、小さな台みたいなのがありますので、そこでかざして下さい。すると惑わしの洞窟本体へ入れるはずです」
案内人にそのペンダントを渡された。
何かの紋章が刻まれており、中央部には薄い赤の宝玉がはめられていた。
俺はそのまま一人で洞窟の奥へと歩み入る。
試練に戦闘要素はない、かつ、惑わしの洞窟までも強力な魔物が出る地域ではないという事で、ミミやソーニャ、エヴァなんかは帝都でお留守番となっている。
洞窟の中に足を踏み入れるとひんやりとした空気が肌を撫でる。
洞窟内の奥に行くと太陽の火は一切届かなくなるので、案内人に渡されたランタンの灯りを頼りに歩を進める。
地面も壁も岩場で濡れていると滑りやすいので、濡れている所がないか探りながら注意深く進む。
暫く進むと案内人が言っていたように突き当りとなり、その突き当りの小部屋のような空間の中央には石造りの小さな台が配置されていた。
その台は大人の腰より少し高いくらいの大きさで、台上部の中央に何かをはめ込むような所がある。
おれは手渡されたペンダントとその台のはめ込む箇所を比較する。
丁度ペンダントの形が嵌りそうなので、その台にペンダントをはめ込んだ。
するとその台から光が発せられ、突き当りと思われていた奥の壁が、
ゴゴゴゴゴゴゴーーッ
と大きな音を立て、二つに割れて開かれた。
その先の洞窟は少し広い空間となっており、どういう仕組みなっているのだろうか、壁や天井に光の粒子のようなものがこびりついており、ランタンの灯りがなくとも十分な明るさを持っていた。
フッと俺はランタンの火を消して、その開かれた壁の先に足を踏み入れる。
そこからの洞窟は内部の壁や天井は明らかに自然物そのままの姿ではなく、滑らかな壁と天井。
そして地面をしており、自然物の洞窟に比べると何かしらの不思議な柔らかさが感じられた。
しばらく進むと、洞窟内から何か人々が言い争いをしているような事が聞こえる。
こんな所に人が? と疑問にも思うが、そのまま歩を進めていくと、
「ちょっと離しなさいよ!」
「何言ってやがんだよ、そんな男誘うような格好してやがってよ。ちょっとこっち来いよ、可愛がってやるから」
「ちょ、止めて、触らないで!」
真っ白のその肌に露出の多い白のドレスを着た女性。
その女性の手首を掴み、下卑た笑みを浮かべながら自身の方へと引き寄せようとしている髭面の、少し年齢を重ねていそうな男性。
男性の方は、鉱夫にも見えるような格好をしているが、女性のその格好は明らかにこの場に不釣り合いだった。
「あっ」
女性は俺の姿を確認すると。
男性に掴まれていたその手を振り切り、俺の方へと走ってくる。
そして髭面の男性から見て、俺の後方へと周り、肩越しから。
「ねえ、あの男が襲ってくるの! 助けて!」
と訴えてきた。
「どうして、こんな所……」
「おらーっ!」
俺がその女性に問いかけようとするが、それを待たずに間髪を入れずに、男は傍らに置いてあったツルハシで俺を攻撃してきた。
俺はその女性の肩を抱きながらその攻撃を躱す。
今の一撃で分かった。
男性は戦闘は素人で俺には一切負ける要素はないと。
俺は剣を鞘に入れたまま、それを男性に向けて。
「攻撃をしてくるのを止めろ! じゃないと反撃するぞ!」
「何をー、生意気にこのクソガキがあ! 死ねぇッ!」
男性はまたそのツルハシを俺の目から見ると、ゆっくりと振り上げた。
その隙だらけの腹部、みぞおちに俺は剣を鞘に収めたまま突き入れる。
「うごぉおーッ!」
その一撃をくらった男性は腹を押さえたまま、地面に座り込んだ。
そのまま地面に突っ付して動かなくなる。
あれ? そこまでの強撃を入れたつもりもないんだけど。
「どうもありがとうございます」
女性は俺にその体を密着させて言う。透き通るようなその白い肌。
俺は夢中になって掴んでいたその女性の肩を慌てて離した。
だが女性は俺への体の密着を止める気配はない。
そして何やら濡れた瞳で俺の目を見つめてくる。
そのドレスの胸元が空いた箇所から、俺へと押し当てられている柔らかな膨らみが、押し合いの末、隆起している様が目に入る。
足元はスリットになっており、右足の白く艶やかな美脚が顕になっている。
髪は黒髪の長髪で美しいストレートで、顔立ちは整っており、どこか男好きするような顔にも見受けられた。
「いえ……その、あの、大丈夫でしたか?」
俺は急に体が火照ってくるのを感じ、少し落ち着きを持てずに問いかける。
「はい、おかげさまで助かりました。このお礼は……」
そう言うとその女性は俺に抱きついてきた。
いい匂いがし、そしてその柔らかな体の肉厚を全身で感じる。
俺の心臓の鼓動は急速に高まっていく。
「この先にベットがあります……そこで、お礼を……」
べット? なんでこんな所に?
との疑問も湧くがそれよりその女性の魅力により理性が飛びそうになる。
今すぐにこの女をめちゃくちゃにしたい。
「ランス……」
その時、どこからか自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
女性の声だが、何処か懐かしい感じがした。
俺はその声によって一気に冷静になる。
「だめですよ」
俺はそう言って女性を自分から引き離す。
すると女性はあからさまに嫌な顔をして、「ちっ」と舌打ちをしたと思ったら、その姿が突然消えた……。
腹を抱えて倒れていたはずの男性もいつの間にかいなくなっている。
俺はその様に呆気にとられる。
……もしかして幻の類を見せられていたのか?
惑わしという事で何かしらの状態異常と思っていたが、これは思っていたよりも厳しいかもしれない。
それにしても先程の声は一体誰だったのだろうか?
俺は気を取り直して先に進む事にする。
そうして洞窟の奥へとしばらく進んで行くと、
「ランス……、私の事が見える……?」
一人の女性と、そして魔族の男が現れた。
女性は短髪で白の鎧を装備しており、腰に剣もぶら下げている事から冒険者だと思われた。
魔族の方は頭部に二本の角を生やし、黒系のローブでその体を覆っている。
なぜ人間の女性が魔族と?
それに私の事、見えるって?
「見えるけど……こんな所で、魔族と一緒に何を?」
「ああ、よかった! あなた、やっとランスと接触できるわよ! ああ、嬉しい、私のかわいいランス」
そう言うと、その女性は俺に抱きついてくる。
また先程の魅惑系の惑わしだろうか?
「エレイン、名乗りもせずに抱きついているからランスが戸惑ってしまっているぞ」
魔族の男が言う。
エレイン? それって母さんの名前じゃ。
それじゃあ、まさか……。
「そうね、ランスは私の顔はまだ1歳にもなってなかったから覚えていないわよね。私は名はエレイン。あなたの母よ。そしてそこにいる男性が、ルーファス。あなたの父親よ」
俺はあまりの衝撃に思考停止し、一瞬固まる。
にわかには信じがたいが、その女性と魔族の男性に何処となく懐かしさを感じるのも事実。
「かあ……さ……ん……? それに……父さん?」
「ああ、そうよ、ランス、立派になって……」
母はその目に涙を溜めてまた俺に抱きついてくる。
父もまた――
「ランス、お前を一人にしてすまなかった……」
そう言って、母と一緒に俺の事を抱きしめる。
ほんとに父さんと母さんなのか……?
俺は二人を抱きしめ返そうとその体に手を回そうとしたその時、急激に立ちくらみがした。
立ってられなくなり、その場にへたり込む。
なんだ? 眠気? 俺には状態異常は効かないはずなのに……。
「ああ、ランス! これは惑わしの精霊の仕業ね! ランス、しっかりして! ラン……」
母さんが俺を呼びかける声を意識の片隅で把握しながらも、俺の意識はまどろみの中へと落ちていく事となった。