ドラゴン遣い
少女の家は山々に囲まれていたがのどかで穏やかな集落にあった。
人の往来は少ない場所だったが自然にあふれていたし、集落の人たちも
優しい人ばかりだったので特に不自由だと感じたことはなかった。
ただ、一つだけ不満を言えばふもとまでの長い道のりである。
徒歩や馬車で行けばとても時間がかかりそれはそれは一苦労であった。
ただし、普通であればの話である。
少女の集落の人間は外部からは『ドラゴン遣い』と呼ばれていた。
親しみを込めてそう呼ぶ人がいる反面、集落の人たちへの畏怖の念を持つ人たちもいた。
いつか我らに牙をむいてドラゴンを差し向けるのではないか、
いつか国を滅ぼそうとドラゴンを率いてすべてを焼き尽くすのではないか?
ドラゴンの偉大さに尊敬の念を見せる中、そう言った不安が見え隠れするのも当たり前の話だった。
それに加え、とても大きく人語を理解しないとされている野生のドラゴンは
どう言うわけかドラゴン遣いである集落の人たちの言う事には従うのだ。
王都で竜騎士に従っているドラゴンは仔の頃から調教されたドラゴンで、
自然界で生活している野生のものではなかった。
それ故にドラゴン遣いは貴重な存在であったはずなのだ。
「王様にはどうしたら会えますか?」
「お嬢ちゃん、天主さまにお会いしたいのかい?それなら正式な手続きを取ってもらわないと
無理だなあ」
「お前ばかだなぁ、もう少し夢がある断り方をしてやれよ」
「え?そうかあ?」
城門近くの兵士に尋ねると兵士はとても親切に『教えて』くれた。
自分の姿形が子供でなく、それなりに整っていたならばこの男たちの
自分への対応も少しは違っていたのだろうと表情には出さないように
奥歯を噛みしめる。
シヴァは努めて残念そうに聞こえるようにため息を吐いて礼を述べると
ひとまず城から離れた。
あの調子では恐らく何度訪れても色よい返事などもらえそうにない。
先ほど通ってきたドリノセントの城下は落ち着いた雰囲気を持ちつつもどこか
春の日差しを思わせるような気分になるようなところで、
町民も、貴族もそれぞれに秩序がしっかりと保たれているように互いと共に暮らしているようだ。
時折、素行の悪そうな人間もちらほら見かけるがそれはどこの街にでも
いるようなごろつきである。
シヴァは故郷とは別世界の城下を一人で歩いていた。
交易商や移住民、旅行者と同じような旅装束でふらふらしているため、
目につきやすいのか普段よりも視線を多く感じる。
山にいた頃も麓に下りれば似たような好奇の目を向けられていたがさすがに
人口が桁違いに多い王都だ。
その数が比ではなかった。
いたたまれなくなったシヴァは仕方なく大通りに繋がるいくつかの小道に足を踏み入れ
王都を探索しながらどうにか王に会えないか考えることにした。
(事情を話せば…誰かに、誰かに聞いてもらえれば…)
焼ける家、人、家畜へ向けて山の風は無情にも吹きつけ、
燃え尽きた木片や灰を遠くへ飛ばしていた。
肉の焼ける臭いと絶望と、目の前で血に染まった家族を脳裏に焼き付けたシヴァは
自分と同様にたった一匹だけ残されたドラゴンに縋って大声を上げて泣いた。
ドラゴンも自分の家族を殺されたからか、シヴァが泣いているからなのか、
あるいは両方からか大人しくシヴァに寄り添っていた。
周囲から恐れられてはいても、それは仕方のないことだと教えてくれた優しい両親が
自分を隠し部屋へ匿い、襲ってきた野盗に殺されるのをシヴァは声を殺して隠し部屋のわずかな
隙間から覗いていた。
おかげでシヴァは死なずに済んだが一人ぼっちになってしまった。
その日は外で遊んでいた、たった一人の弟も恐らく殺されてしまっただろう。
集落に火を放たれてしまったのでどの死体が弟かもわからなかった。
野盗たちは集落の人間を皆殺しにするだけではなく、空を飛んでいたドラゴンまでも殺してしまったらしく、その大きな体があちこちに転がっていた。
丁寧に牙や爪、羽根や目玉など、持ち帰れるものはすべて死体から切り取ってしまっている。
野盗の目的がドラゴンなのか、集落の人間なのかはわからなかったが
シヴァは沢山いたドラゴンをこれほど短時間のあいだに殺してしまえる野盗がいる事を
早く誰かに知らせなければとただその使命感のみで動いていた。
そうでもしなければ恐らく立って歩くことすらできないくらいに悲しい気持ちで
いっぱいになっただろうから。
小道とはいえ大通りほどの広さは無いもののそれなりの空間が広がっていて、
ここはどちらかと言えば貴族や富裕層が使うものよりも、町民やシヴァのような
よそからの来訪者が主にとおっている道のようだ。
壁際には果物や野菜や、調理された食べ物や飲み物を売っている、布で作られた屋根の簡易の屋台が点々としていて大通りにはない活気がある。
小さな子供も笑いながら追いかけっこをしてシヴァの横を通り過ぎていくあたり、
それほど治安も悪くはなさそうだ。
そんな中に城の兵士らしき男たちを数人見かけたが、ここでは兵士が
不遜な態度で町民に接していたためなんとなく声をかけるのをやめた。
城門にいた兵士とは全く態度が違うのでいくらか面食らったのと、特に子供への対応が酷かったからだ。
「おい、娘。お前山脈からきたのか?」
どうにかして王に会いたいのに、と心の中で呟いたのが聞こえたようなタイミングで
シヴァの後ろから男の声が降ってきた。
振り返って見上げるとそこには黒の軍服に鎧を身にまとった青い髪の男が
立っていた。
あまりに突然のことにどう返事をしていいかわからないでいると男は小道よりもまた少し細い路地にシヴァを連れて行った。
どうしてこの男はシヴァが山脈からきたのかわかったのかはかりかねていると
男の方が先に口を開いた。
「質問に答えろ、山脈からきたのか?」
「…山脈の麓から来ました。あの、あなたはお城の兵士ですよね?」
シヴァはついとっさに嘘をついた。
そしてその嘘がばれてしまわないようにとまくしたてるように出身地以外の話題へとすり替える。
「そうだ」
「王様にはどうしたら会えますか?私、王様に直接会って話したいことがあるんです!」
「王への謁見はそんなに簡単ではない。話なら私が通しておこう」
「直接話さなきゃいけないんです!」
シヴァとて容易でないことはわかっている。
しかしドラゴンをあんなに沢山殺せる野盗を野放しにしておくわけにもいかないし、
野盗がドラゴンを殺した目的もわからないまま誰彼にと話すわけにもいかない。
ドラゴンを殺すのは大抵、フロウルか私利私欲にまみれた貴族や富裕層に雇われた野盗や傭兵が多い。
フロウルはドラゴンを殺してもその数は1匹~2匹とごく限られているしよほどの事がない限り
乱獲もしないと両親から聞いた。
その上寿命が短い年老いたドラゴンを選ぶので自然の摂理からかけ離れた行為はしないのだと言う。
対して野盗や傭兵は雇われる身であり、その背後にいる貴族たちがやっかいで時折軍部とつながっている場合があるらしい。
時折集落にいる人間にまで被害が及ぶので集落の人たちは細心の注意を払って今まで生きてきた。
特に軍部と繋がりのある場合は、集落が襲われたりドラゴンを乱獲されたりした事実を
もみ消して情報を遮断されてしまう恐れがある。
だから迂闊にドラゴン遣いの集落が襲撃されましたなどと馬鹿正直に訴えることは
ドラゴン遣いの集落の人間はしなかった。
ただ『王に会いたい』と言う単純な謁見理由になってしまうが報告が遅れても
確実に知らせることができる方法でこれまで王への謁見を申し出ていた。
しかしシヴァはそのやり方を知らないしましてや子供である。
城の大人たちが鼻で笑うのは目に見えていた。
「そんなに王に会いたいか?」
「は、はい」
兵士は含むところがあるように手を顎に添えて言った。
シヴァは会わせてくれるのかと期待を寄せて身を乗り出す。
「ならば一つ条件がある」
「条件?」
「処刑場の罪人たちの脱獄を手引きしろ」
「え?!なんでそんなこと…」
シヴァは驚いて聞き返す。
男は淡々とした様子でつづけた。
「あそこには冤罪…無実の罪で捕えられているものたちがいる。それを助けたい」
「そ、それなら貴方が処刑場にかけあえば…」
「騎士は処刑場に干渉できないことになっている。私が掛け合うと門前払いされるのだ。
それに脱獄の手引きとは言ってもすべてでなくていい。一部のその無実の罪で捕えられている罪人だけを助ければいいのだ」
催眠にかかったようにシヴァは呆然とした。
頭の隅でそれはとても悪いことなのだとは理解できているが、
この兵士の言っているのは冤罪…無実の罪で捕えられている者の救出、
つまりは人助けである。
しかもそれが成功したなら王への謁見の機会が設けられるかもしれない。
泳ぐ目をしているシヴァを兵士の男はじっと見つめて返事を待っている。
そしていよいよ覚悟を決めたシヴァはゆっくりと頷いてみせた。
「?そこで何してるんです?」
路地の入口で話をしていたからか通りすがりの男に声をかけられた。
シヴァは兵士の男に頼まれたわけでもなかったが、とっさに悲鳴をあげて、通りすがりの男を指さし、変質者だ!と叫ぶ。
あたりがざわついて通りすがりの男を囲む町民たちが集まってきたのを見計らい、
兵士の男に逃げてください、とだけ告げた。
兵士の男はシヴァの意図を組んで何とも言わずに他の路地へ姿を消す。
シヴァも瞬時に人のよさそうなおじさんを捕まえて、声をかけてきた大きな眼鏡の男に
顔を見られないように怖がる振りをして指さし、捕まえてください!と叫ぶと
怯えて見える少女の願いを聞き入れようと人の良い町民たちはあっと言う間に
男を取り押さえてしまう。
シヴァはその隙に処刑場から罪人を逃がす手はずを整えるためこっそり人ごみから抜け出したのだった。