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翌日、春彦は一人、隣街リンドゲールに乗り合い馬車で降り立った。
今回はエリカには店で待機してもらっている。
護衛としてジェームスさんに無理を言って一日店に居てもらえるようにお願いした。
ジェームスさんは快く引き受けてくれた。
長閑な田園風景の先にある街は物資が潤沢にある様子を伺わせる程に賑わっていた。
街を取り囲むように板状の柵があり、手近にあった開かれた場所から街へと入った。
道の両脇に商店がひしめいており、大小サイズも違うし高さも違う。様式も異なっており、土壁風の建物もあれば、木造の建物もあり、更には屋根しか無い商店すらあった。
兎に角雑多な統一感の無い街並みという印象だった。
エリカに昨夜聞いた話に出てきた農地拡大のように少しずつ街を発展させていった結果、このような街並みになったのだろうか。
春彦にはその辺の所は分からない。
そもそも隣街は隣街であって、それ以外の役割を与えていなかった。
春彦が書いていた物語の中では街の名前すら出て来ないのだ。
当然、サルースの街のようにある程度の設定なんてものも無い。
その街が、こんなに生き生きと活気付いている。
春彦は俄かに感動を覚えたのだった。
その感動に充分浸る間も無く、春彦は街並みを見ながら歩き出した。
往来が多い商店街を抜けると、工房や小さな工場のような簡素な見た目の専門分野を扱う地区に入った。
商店街に比べると活気や華やかさなどは皆無だ。
「ごめんください」
春彦はその一角にある工場に入る。
エリカに地図を書いてもらった場所にある製粉工場だ。
エリカのパン屋は先代からずっとその製粉工場から粉類を仕入れているそうだ。
入り口を入るとすぐは事務所のようになっていて、作業机と椅子、乱雑に置かれた伝票の類が山となっていた。
人は居ない。
「ごめんくださーい」
もう一度。
先程より声を張り、呼び掛けた。
「はーい」
衝立が立っている場所の奥から女性の声がした。
小走りに小柄な女性が現れた。
年の頃は春彦よりもやや上に見える生真面目そうな引っ詰め髪の女性だ。
「こんにちは、久我山 春彦と申します」
女性は聞き慣れない日本名に僅かわばかり驚きを見せたが、すぐに取り繕ったように笑みを浮かべた。
「クガーマさん?」
「いえ、く、が、や、ま、久我山です」
「ああ、すいません。クガヤマさん。ご用をお伺い致します」
春彦はなるべく落ち着いたように見えるように配慮しながら言った。
「僕はサルースのエリカさんが経営しているパン屋の者です。今日は値上がりした小麦の価格についてお話しに参りました」
女性の顔色がサッと変わったのが分かった。
矢張り何かあるなと春彦はすぐに勘付いた。
「……何か?」
顔色が変わってしまった事を隠すように不自然なまでに冷淡な声色を出した女性に、春彦は逆に余裕が出て平静になった。
「ここで話して大丈夫ですか?後でネガティブな噂が立ったなどと保障を申し出られても困りますから」
春彦が言うと、女性は逡巡して二階の来客を持て成すような少し小綺麗な部屋へ案内してくれた。
そして、ちょっと失礼しますと言って退室して行った。
暫くして、気の弱そうな中年男性と共に女性は戻ってきた。
「こんにちは、今日は急な訪問申し訳ありませんでした」
春彦が立ち上がり握手を求めると、男性が一度反射的に出した手を引くような仕草をしてから手を差し出し握手を返した。
おどおどと何か怯えるような仕草だ。
「よ、ようこそ、この製粉所を営んでおりますキムルスと申します。こちらは妻のシャノンです。それで、本日はどのようなご用件で?」
「ええ、実は小麦の種類についてのご相談でして」
「しゅ、種類ですか?」
男は虚を突かれたように目を丸くしてから僅かに安堵の色を瞳に浮かべた。
「ええ。新作を作る際に、いつもはリンドゲール特産のファルコンにアメリアを七対三で配合された物を使っています。確かにそうですね?」
「はい。エリカさんのお店にはずっとその配合で提供しています」
「それでですね、最近うちのお客さんからパンの質が落ちたと言われるようになってしまったんです」
「質が?」
「ええ。それでうちとしましても試行錯誤をしてですね。こう、加水率を変えてみたり酵母に使う果実を厳選したり、或いは作業工程を見直したりしてみたんです。ですが成果には繋がらなかったんですよ。それで……」
「うちの粉が?」
「まあ、そういう事です」
「ですが、エリカさんのお店に卸している粉は先代から配合は変わっていませんが。先代の店主、つまりエリカさんのお父様と試行錯誤を経て辿り着いた配合ですよ?」
「ええ、そうなんですがね……」
「それなら」
「そうなんですがね、うまくない」
「うまくない?どういう事ですか?製品はきちんとしてますよ?!いつも通りの質の物です。保証しますよ!」
「そうですか?こちらとしては最近の単価の値上がりに関係あるのではと思って伺った次第なんですよ。決してお宅のやり方が杜撰だとか言うつもりは無いんですよ?そう聞こえてしまったなら申し訳無い」
「遠回しにそう言っているじゃありませんか」
かかった、と春彦は思った。
「キムルスさん、理由にお心当たりはありませんか?」
「何もありませんよ!私は知りませんからね!腕が鈍った事をこちらの所為にされても困りますから」
「では、こちらをご覧ください。写しですが。サルースの街で貴方の所から仕入れている店のここ一年の伝票です。分かりますか?これはうちの店のものです。分かりますね?この証拠を持って不当に搾取された分を取り戻せるように正式にこの一帯を管理されている領主様に訴える準備をしております」
「そんな瑣末な事を領主様が扱ってくれる訳がないでしょう?!」
「今ご自身でお認めになりましたね?」
春彦の言葉にキムルスは絶句した。
「あなた……」
妻のシャノンがキムルスの肩に手をかけて首を振った。
「主人は仕方無くこのような事をしたんです」
「シャノン!」
鋭くキムルスがシャノンを制止するが、シャノンは止まらなかった。
「でも貴方、このままじゃいけないわ」
「……シャノンさん、どうぞ仰ってください」
春彦が促すと、シャノンは語り出した。
「主人は最初は拒否していたんです。神に誓って本当です。長年の付き合いで先代のご主人から贔屓にして頂いていたエリカさんのお店ですから。でも、抗い切れなかったんです」
「シャノン……」
シャノンが言った言葉を小さく引き止めた。キムルスももう抵抗するつもりは無いらしい。
「今回、正確には十カ月程前にこの街一番の隊商を生業にしているザグルス隊商の次男であるガンドルフさんからうちの店との取引を見直したいと言われました。うちはこの通り夫婦でやっている小さな製粉所です。小麦の仕入れはなんとかなったとしても、荷運びまでは手が回りません。どうにかならないかと訴えたのです。そこで提案されたのが……」
「うちの店に対する金額の値上げですね?」
「はい。そうなんです」
キムルスが観念したように頷いた。
「それでは直接金の預かりをしている、ガンドルフさんでしたか?その方の隊商が搾取すれば良かったのでは?」
「はい。当初は我々もそう申したのです。しかし、それではこの話は無しだと言われてしまって」
ガンドルフはキムルス夫妻に金を握らせる事で圧力を掛けたのだろう。
なまじっか加担してしまったばかりにこの善良な夫婦は罪悪感を抱え、抗えなくなってしまったのだろう。
「私どもも、どうにかならないかとエリカさんに迷惑を掛けない方法を模索しました。具体的には他の隊商に当たるなどしました。しかし……」
「八方塞がりでした。街の隊商の元締めであるザグルス隊商に楯突くという事はこの街で隊商の仕事を続けられなくなる事を意味していますから。同情はされましたが、手助けはしてもらえませんでした」
シャノンの言葉を引き継いでキムルスが締め括った。