第四章 動き出した時間 場面三 対話(一)
ガイウス・カエサル死す―――
その情報はすぐにローマ中に広まった。ティベリウスが宴を退出した後、ドゥルーススから使者が送られてきた。ティベリウスの許へ行ってもいいかという問い合わせだったが、ティベリウスはアントニアの邸にとどまるよう返事を送った。その書簡の中でドゥルーススはその後の宴の様子を細かく報告してきており、ティベリウスには貴重な情報源となった。
あれから丸一日、動きがなかった。すでに日も落ちている。アウグストゥスは邸にこもったきりで、アントニアが付き添っているという。一夜が明けてから、いつもの数倍の人々が朝の挨拶に訪れたが、ティベリウスは体調不良を口実に玄関大広間に姿を現さず、執事のクィントゥスに応対を任せた。ただ一人自身で応対したのはドゥルーススだった。少し遅めの時間ではあったが、朝の伺候客に混じってティベリウスを訪れた息子だけは、さすがに奥へ迎え入れた。
息子は―――ティベリウスも同様だったが―――喪服をまとっていた。アントニアは気持ちの行き違いがあった、と言った他は何も話さなかったらしい。
「パラティウムの邸も、朝の客でごった返していました」
客間に通されたドゥルーススは、腰を下ろすなり言った。
「シラヌスが、一切挨拶には顔を出すなと言ったんです」
ティベリウスは息子と向かい合わせに腰を下ろした。
「それはわたしが指示した」
「父上が?」
「アントニアにも伝えてある」
ドゥルーススは驚いた様子だったが、遠慮がちに尋ねてきた。
「昨夜、一体何があったんですか」
ティベリウスは苦笑してかぶりを振る。
「お前が気にすることではない」
「父上」
ドゥルーススにしても、その返事は予想していたのだろう。腹を立てた様子はなく、むしろ訴えるように言った。
「気にしないでいられると思いますか」
「―――」
「ガイウス殿が亡くなって、その知らせを受けた父上が急に邸に帰ってしまってたというのに? アウグストゥスとの間に気持ちの行き違いがあったとだけ聞かされて、ぼくに気にするなと本気で仰るんですか」
ティベリウスは息子を見つめる。確かにその通りだった。「お前の欠点は、他人に説明しようとしないことだ」―――つい昨日、リウィアにも言われたところなのだ。息子の不安を取り除いてやることぐらいは、さすがにティベリウスの義務かもしれない。
「ドゥルースス」
「はい」
「お前が心配してそう言ってくれているのは判るが、わたしとアウグストゥスの間でのことだ。少し父を信用していろ。わたしも第一人者もいい大人だ」
「父上」
冗談とも本気ともつかない父の口調に、ドゥルーススは少し戸惑ったようだった。ややあって苦笑して口をつぐみ、それからじっとティベリウスを見た。
「信じていていいんですね」
「もう、九年前のような事はしない」
はっきりと言うと、ドゥルーススは小さく頷く。ティベリウスは立ち上がり、息子の肩に軽く手を置いた。
「邸に戻りなさい。何かあれば、必ず連絡する。もしも判断に迷うことがあれば、わたしのことよりも、アウグストゥスのことを考えて行動しなさい。アウグストゥスは公人で、わたしは私人だ。この国のことを考えなさい。意味は判るな」
ドゥルーススは少し間をおいて「はい」と答えた。
そうだ。ドゥルーススには判るはずだった。ローマに戻ってからの二年間、ティベリウスは息子を見てきた。周囲の評価を聞き、ティベリウスの前での行動も、社交の場での振舞いも観察してきた。決して非凡とはいえない。軍団指揮官としては優しすぎる嫌いがあるし、カリスマ性や、ゲルマニクスにあるような、ある種の「華」を欠いている。だが少なくとも、ドゥルーススの判断力には信頼がおけた。また多少気の弱すぎるところはあっても、小ティベリウスも落ち着いている。むしろティベリウスが危うさを感じているのは、才気煥発なゲルマニクスだった。確かに教養もあり、才知に富み、開放的で人気者だ。しかし―――いや、「だから」かもしれないが、意外に人の思惑に動かされやすいところがある。周囲の期待に応えようとして、時に軽率とも言える振る舞いに出てしまうのだ。グナエウス・ピソが「芝居がかった読み手」と評したように、自己陶酔的な面がなくもない。愛されたい、評価されたいという気持ちが強いゲルマニクスは、だからこそ「人気者」であるともいえた。
ドゥルーススは邸に戻っていった。恐らく質問攻めにあうのだろう。だが、それもうまく対処できるはずだ。