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第四章 動き出した時間 場面三 東方からの使者(九)

 アントニアは叔父の私室に入った。

 室内には、影のように隅に控える使用人の他は誰もいない。叔父は第一人者にしては簡素なつくりの寝台に横たわっていた。アントニアは寝台に歩みより、傍らに立つ。

「叔父上」

 反応はすぐには返ってこなかった。アウグストゥスはアントニアに視線も向けず、ぼんやりと宙を眺めていた。使用人が室内の椅子を運んでくる。アントニアは腰を下ろした。

 静かだった。年老いた第一人者の眸は乾いている。ほとんど瞬きもしない。虚ろな眼差しが痛ましかった。第一人者の座に着いたばかりの三十代の頃、アウグストゥスが後継者に予定したのはオクタウィアの息子で、アントニアには異父兄にあたるマルケルスだった。アウグストゥスはこの甥に娘ユリアを与え、破格の待遇をもって引き立てた。甥に先立たれると、次は親友アグリッパ将軍にユリアを与えて共同統治者とし、二人の間に生まれたガイウスとルキウスに期待をかけた。アグリッパの死後はティベリウスだった。ユリアを与え、二人の間に子供が誕生することを望み、かつガイウスとルキウスを守らせようとした。ユリアも気の毒な女性だと思う。彼女はアウグストゥスの後継者選びのために、たらい回しにされたといってもいい。そして、その彼女を待っていたのは、パンダテリア(ヴェントーテネ)への流刑という運命だったのだ。

 そしてティベリウスはローマを去り、ルキウスが死に、そしてガイウスも東方で帰らぬ人となった。

「………」

 ふと、アウグストゥスが何か呟いたような気がして、アントニアは寝台を見つめた。アウグストゥスの唇がかすかに動く。

「叔父上」

「………あの男はどうした」

 かすかな―――耳を澄ませていなければ聞き取れないほどのかすかな声が言った。

「ティベリウスは邸に戻られました」

「皆、帰ったのか」

「はい」

 少し間がある。

「怒っていたか」

「わたしもティベリウスとは顔を合わせていないんです。わたしが戻った時には、もうお帰りになった後でした」

 ゆっくりと答えると、アウグストゥスは眼を閉じた。かすれた声が呟く。

「神々よ………」

 アントニアは椅子から立ち上がり、叔父の頬に触れた。皺の刻まれた肌は乾いて、ざらざらしている。

「可哀想なあの子を、わたしに返してくれ………!」

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