第四章 動き出した時間 場面三 東方からの使者(八)
アントニアは苦笑してかぶりを振った。リウィアは不思議そうな表情でアントニアを見つめる。
「あなたたちは、似合いの一対だと思うのだけれど。あなたと結婚すれば、あの子の頑なな心も少しは和らぐと思うわ。男にとって、幸福な家庭に恵まれることの意味は案外大きいのよ。あなただって、ひとりで子供たちを養育するのは大変でしょう」
アントニアは微笑した。
「そんな風に言って下さってありがとう。とても嬉しいけれど―――わたしはドゥルーススの妻でいたいんです。ドゥルーススの妻で、ティベリウスには義妹で―――それでいいと思っています」
「そう………」
リウィアは言い、珍しく少し苦笑した。
「ありがとう。ドゥルーススは―――きっと幸せだったわね」
「アウグストゥスのところへ行ってきます」
アントニアは頬笑んだ。
「アントニア」
話を終えようとしたアントニアを、リウィアがまた呼び止めた。
「ティベリウスがウィプサーニアと離婚した時のこと―――覚えているわね」
「ええ」
アントニアは苦笑した。
「あの時はごめんなさい。わたしは子供だったわ」
「あなたは言ったわ。「アウグストゥスはユリアからガイウスとルキウスを取り上げた」って」
「ええ………」
「もしも、アウグストゥスがゲルマニクスを―――いえ、ひょっとするとゲルマニクスと小ティベリウスを、養子にと望んだら?」
「―――」
アントニアはリウィアを見た。胸の中に沸き起こったかすかな反発は、リウィアに悟られただろうか。そうだ。叔父はまた同じことをするかもしれない。そして、リウィアはせめてティベリウスの妻になることで、自分の立場を守るべきだと言外に忠告したつもりなのだろうか。夫ドゥルーススを失ったアントニアは、ドゥルーススの後継者であるゲルマニクスの母であってこそ、あの邸で一定の役割を担うことができるのだ。女は、誰かの娘であるか、妻であるか、母であるか、いずれかの生き方しか許されていないのだろうか。両親も夫も失った今、子供まで取り上げられたら―――
アントニアは、軽く頭を下げた。
「とにかく、お話を伺ってくるわ」
そう言って踵を返す。アントニアには、義兄がこの実母としっくりいかない理由がなんとなく理解できるし、自身も時に反発を覚えてしまう。それは彼女の持つ、身内に対する支配欲とでも呼ぶべきもののせいであるのかもしれない。それはティベリウスの、一族に対する責任感とはまた別種のものであるように思える。ティベリウスには責任感はあっても支配欲はないが、リウィアには責任感もあるが、それ以上に支配欲のほうが大きいのではないかと思えてならない。それは当然アウグストゥスに対しても向けられているのだが、一見柔和でその実したたかな叔父は、妻を愛してはいても決して支配されたりはしない。対照的に、一見尊大で実は気を遣う性分の義兄は、この実母の意向にどうしても左右されてしまうのだった。
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