第四章 動き出した時間 場面三 東方からの使者(七)
「皆は?」
「帰っていただきました。ガイウス殿は東方で病気でお亡くなりになったと、それだけお話をしました」
リウィアは頷く。
「ご苦労でした。それでいいわ」
「ポストゥムスをご存知ありませんか。奥へ入っていってしまったんです」
「今、家人が落ち着かせているわ。あの子はすぐに興奮するから」
「アウグストゥスは?」
「私室よ。あなたを呼ぶように言われたの」
「すぐに行きます」
「アントニア」
リウィアはじっとアントニアを見つめ、わずかに声の調子を落とした。
「ティベリウスはどうしたの?」
「邸に戻られたようです」
「そう。ゲルマニクスとドゥルーススも戻ったのね?」
「ええ」
アントニアはリウィアを見た。義叔母であり義母でもあるリウィアは、六十歳になっている。それでも、この第一人者の妻は美しかった。リウィアを輝かせているのは、かつて人妻の身でアウグストゥスを虜にした、その生来の美しさもさることながら、意志の強さを感じさせるその眼差しだ。アウグストゥスの尊敬と愛情とを一身に集め、そのことに自信と誇りを持つ彼女には、第一人者の妻にふさわしい重々しさと威厳とが備わっていた。
リウィアは重要な打ち明け話をする口調で囁いた。
「覚悟なさい。ゲルマニクスの運命は、今この時にかかっているわ」
アントニアはリウィアを見た。その言葉は意外なものではなかった。ガイウス・カエサルの失敗が明らかになってから、アントニアの耳には、かつて聞いた男の言葉がこだましていた。
『ユリアからつながる血がうまくいかなかったら、次は間違いなくあなただよ』
ガイウス・キリニウス・マエケナス―――自らを、人の心を映す鏡と言った男だった。
「アウグストゥスは、ゲルマニクスのことを何か仰ったんですか」
「いいえ。何も」
「ティベリウスのことは………」
アントニアは遠慮がちに尋ねる。リウィアはかぶりを振り、ため息をついた。
「バカな子。わたしが早くアウグストゥスに赦しを請うよう、何度も忠告したのに。アウグストゥスもアウグストゥスだわ。あの二人の強情には本当に苦労させられる。その結果がこれよ」
あきれた様子で言ってから、じっとアントニアを見つめる。
「でも、もうあの子しかいないわ。ほかに誰がいて? 二十二歳のガイウスに託そうとした結果を、アウグストゥスだって理解したはずよ」
「………ええ」
アントニアは同意した。リウィアは頷く。
「あなたも協力して頂戴。ティベリウスはあなたを信頼しているわ。あの子のかわいそうな弟を信頼していたように。そんな人間は、あの子には本当に数少ないの。困ったことにね」
「わたしにできることなら。ティベリウスは、わたしやゲルマニクスにとてもよくして下さるわ」
リウィアは少し間をおいて言った。
「あの子と結婚する気はある?」
「―――」
「あなたさえ承知なら、わたしからアウグストゥスに話してもいいのよ」